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2008年9月29日月曜日

初めてのアルバニアで

シュコーデルはモンテネグロとの国境から12kmの地点に位置する。
あまり調べてこなかったので、この辺りに何があるのかはよく
わからない。とりあえず、ホテルの看板は見えたので、宿泊施設は
あるようだ。

車を降りてから、右に進むか、左に進むか迷っていた。まずは、
ATMを探さないと。。。 お金が無ければ何も出来ない。5分ぐらい
考えていると、通りがかりのおっさんが「Hello」といって陽気に
通り過ぎていった。このチャンスを逃すわけにはいかないと、
近づいていって、ATMが無いかを聞いてみた。すると、英語が
通じない。身振り手振りでがんばってみるが、やっぱり通じない。
すると、おじさんが道路の向こう側を指差して、あっちへ行こうと
言ってきた。見てみると、白髪のおじいさんがカフェの外に座って
手を振っている。ひょっとして英語が通じるのか?と思い、
おじさんと一緒にカフェへ移動した。おじいさんは英語を話せ
なかったが、ATMでお金をおろしたいというのは伝わったようで、
ATMがどこにあるか教えてくれた。歩いて10分ほどの所のようだ。

おじいさんと話していると、また別のおじさんが話しかけてきて、
ATMまでバイクで乗せていってくれるとのこと。おじいさんも
「リュックは見といてあげるから行ってきな」と言っている
ようだった。正直、いきなり来たアルバニアで荷物を置いて
バイクでどこかへ連れて行ってもらうのは心配だったが、
全体の流れから断るのは難しかったので、貴重品だけを持って
残りの荷物はおじいさんに預けてバイクにまたがった。
バイクのおっさんはATMまで乗せてくれ、お金を下ろすのを
待ってくれて、ATMから元の場所まで送ってくれた。そして、
私を降ろしたら、バイバイとそのまま立ち去った。

元の場所に戻った私は、おじいさんに「まぁ、座りなさい」と
接待を受け、カフェで少しお話をする事になった。当然英語は
使えないので、身振り手振りとホワイトボードで
コミュニケーションを取り合った。そのうち、おじいさんが
どこに泊まる予定なんだいと言うので、「ん~、その辺の
道端で寝ようかな」と冗談半分で伝えると、「ならうちの
ガレージを使うと良い」とありがたいオファーをくれた。

送信者 around_shkoder

おじいさんの家はカフェのすぐ後ろにあり、ガレージへ着くと
息子さん(30歳)が椅子に座ってくつろいでいた。夜までずっと
暇なので、息子さんと一緒にくつろいでいると、近所の子供達
が4~5人集まってくる。みんな初めて日本人と話して楽しそうだ。
その中の1人だけ、英語が多少できる子がいて、その子が通訳
として活躍してくれた。13歳と言っていたが、学校で習った
だけであれだけ会話ができるようになるとは驚きだ。

送信者 around_shkoder
送信者 around_shkoder

夜になると、息子さんが近所のインターネットカフェに連れて
いってくれ、そこでサッカーゲームを楽しんでいた。この時は
プレーしなかったが、日本で私も相当ハマったゲームなので、
アルバニアでもプレーされている事に驚いた。プレーステーション
ではなく、パソコンを使っていたので、多分違法系のやりかた
だと思うが、まぁ誰もまだつっみを入れる人はいないだろうな。

送信者 around_shkoder

結局、ガレージではなく、息子さんと同じ部屋に泊めてくれたので、
気持ちよく寝ることができた。家は大きく、寝る場所はたくさん
ありそうだが、2階~4階はまだ骨組みだけらしい。

送信者 around_shkoder

次の日、ティラナ行きの乗り合いタクシーへ乗る際におじいさんが
運賃を払ってくれた。最初から最後までお世話になってしまった。
今度アルバニアを訪れる際は、何か恩返しをしないといけないな。

シュコーデルは忘れられない土地になった。

アルバニアへの道のり

バスかヒッチか。ブドバの町を出る際少し迷ったが、バスで
直接アルバニアへ行くとなると、ポドゴリッツァを経由するし、
どうせなら海岸沿いを行きたいのでヒッチにした。まぁ、
バスも海岸沿いの町まで乗ってからアルバニア行きに乗れば
いいのだが、若干高くつく。まぁ、ヒッチしてみましょう。

バール(BAR)とウーチン(ULCINJ)の他、直接行けたらラッキーな
アルバニア国境の町であるシュコーデル(SHKODER)もホワイトボードに
書き込み、9:00にヒッチ開始。

送信者 budva_to_sukodra

30分経過。クロアチアの時と比べて明らかに反応が薄い。
1時間経過。気配なし。。。

2時間経過。通り過ぎる際に合図をくれた車が20メートルほど
後ろで止まった。フロント3人乗りの小型トラックで、既に前に
若者が3人乗っているが、どうするのだろうか?一応私のために
止まってくれているか手を振って合図すると、「こっちへ来な」
と合図をくれた。とうとう捕まえたか。荷物を持って近づくが
荷台の扉を開けてくれる気配が無い。更に近づくと、突然車は
発進し、行ってしまった。先のコーナーでフロントが少し見えたが、
馬鹿笑いをしていた。まぁ、騙された訳です。

「なるほど、こういうこともあるのだな。」

その後10分ほど待っていると、今度は目の前に車が止まった。
でも、ドライバーの雰囲気がウェルカムっぽくないので、まずは
窓越しに話し始める。第一声が「いくら出す?」だった。意味が
わからず、「俺はヒッチしてるんだけど?」というと、「60ユーロ
でシュコーデルまで乗せて行ってやるよ。タクシーみたいなもんだ。」
というので、丁重にお断りした。更に10分後、また別の車が
止まり、「100ユーロ」とかありえない金額を指定してくる。
「20ユーロだったら考える」と言うと、「無理無理」みたいなサインを
出し、行ってしまった。そして、その後その車はこの辺を行ったり
来たりしているらしく、通り過ぎるたびに「プップー」とクラクションを
鳴らして行く。

「なるほど、こういうこともあるのだな。」

もし、これが始めてのヒッチハイクならこの時点で辞めていたかも
しれない。騙しやお金の要求があるとは思ってもいなかったので、
乗せてくれる人がいるといった期待が大いに揺らいでいただろう。
これまでの経験から捕まえられる事を信じて立ち続けた。

3時間経過。また、一台の車が目の前で止まった。即、バールまで
乗せてくれると言ってくれた。ヒッチハイク成功。荷物を詰め込み、
出発。乗せてくれたのは男女の若いカップルで、男性が英語を少し
話せる。でも、車の中ではほとんど2人が現地語で会話をしていた。
乗せてくれた理由は、2時間前にバールからブドバへ入る際に私を
見ていて、用事を済ませて戻る際にまだ居たので、不憫に思って
乗せてくれたらしい。長時間待ってみるものです。バールまでの
道のりは30km~40kmで、さほど遠くなく、なぜバスを使わないのか
不思議がっていた。まぁ、当然ですね。。。バス、5ユーロぐらい
だものね。。。

バールで降ろしてもらった後、2時間ほど食事や観光をし、バールの
南側へ移動してまたヒッチを開始。ホワイトボードからバールを
外して、今度は経由地であるヴラジミール(VLADIMIR)や国境の
場所であるシュコビン(SUKOBIN)を追加する。開始して間もなく
また「いくら出す?」と聞いてくる人達がいたので、即刻
「No Money」と返し、乗る気が無い仕草をしてみせた。こちらの
対応がはっきりしていると、彼らは直に「OK」と言って立ち去る
ので、さほど気にならない。

送信者 budva_to_sukodra
送信者 budva_to_sukodra

ヒッチ開始から30分ほどで車が止まってくれた。ウーチンまで
乗せてくれると言う。ヒッチ成功!止まってくれたのは
中年女性3人組だった。ヒッチ始まって以来、初めての女性
ドライバーだ。女性は100%止まってくれないと思っていたので、
かなり意外だった。ドライバーの女性が英語を話せ、気さくな
人だったので、気兼ねなく過ごせた。

ウーチンまでの道のりで色々話していると、国境まで乗せていって
くれるとオファーしてくれたので、甘える事にした。ウーチンに
着くと、一人を降ろして車を乗り換えると言うので、別の車に乗り
再び出発した。そして、町の中のパーキングに車を止め、また
別の車に乗るというので、荷物を降ろす。

なんかいやな予感がする。なんでそんなに乗り換えるのか。。。
そして、彼女の友達であるという中年の男性を紹介され、その
男性の車で国境まで行くという。荷物を詰め込み、女性2人が
後部座席、私は助手席に座って、また出発。車は山の中の
細い道をクネクネと進んでいく。正直、色々な事が頭をよぎり
何が起きても仕方が無いと覚悟した。

男性は英語が話せたので、道中は色々と会話をした。主に私の
話題だ。なぜヒッチしているのかとか、家族はどうだとか、
旅行にどれぐらいお金を使っているのかとか。。。

そんな話をしていると、あっという間に国境に着いてしまった。
車を降りて荷物を背負った私に、なんども「アルバニアでは
荷物に気をつけるんだよ」と何度も言ってくれ、国境チェック
へ向かう私を、本当に心配そうに見送ってくれた。

良い人たちだった。本当に、親切で。。。疑ってごめんなさい。

モンテネグロの国境チェックを通り過ぎると直にアルバニアの
国境チェックかと思いきや、建設中だった。わき道を通って
進んでいくと50mほどでプレハブ小屋より少しましな建物が
見えてきた。建物の前まで来ると、4人のオフィサーがいて、
なにやら喋っている。内一人はりんごをかじってる。なんとも
のどかな国境だ。1分ぐらいして、1人が私のパスポートを持って
建物の中へ入っていく。オフィサー達は誰一人として英語を
喋らない。待っているとタクシーの運ちゃんが10ユーロで
シュコーデルへ乗せていくぜとオファーしてくるが、乗る気が
無いと伝える。ちなみに運ちゃんも全く英語を話さない。
5分ほどして、パスポートが返ってきた。スタンプが押して
あるのかと期待して中を見てみたが、押していない。
アルバニア-モンテネグロは押さないのかと思っていると、
最後のページに押してあった。。。 おいおい、普通は
前のページから押すだろう。。。

送信者 budva_to_sukodra
送信者 budva_to_sukodra
送信者 budva_to_sukodra

建物の前で次に来た国境越えの車にシュコーデルまで乗せて
もらえる事になった。乗せてくれたのは若いモンテネグロ人男の
2人組み。仕事での移動らしい。シュコーデルまでの道のりでは
軽いカルチャーショックを受ける。道路を横切る鶏と雛のペア、
放し飼いの牛、荷物を運ぶのに馬を使っている人達、小さな川が
ゴミで一杯に埋もれている光景。なんというか、東南アジアの
田舎がこんな感じなんじゃないかと思うような、そんな景色が
シュコーデルまで続いていた。

シュコーデルのどこで降りたいか?と聞かれたのでバスターミナルへ
行きたいと伝えると、場所をしらなかった。。。 まぁ、ここからは
自分の問題なので、シュコーデルのどこかわからないが、適当に
降ろしてもらった。時間は17:00となっていた。

1度は来てみたかったアルバニアである。さて、どうするか。

2008年9月27日土曜日

プランなしでモンテネグロ

ポドゴリッツァで客引きが無かった事で、宿に困った。幸い
気温は10度以上ありそうで、野宿も選択できる。ここには
何も見るべきものが無いと聞いていたので、このままコトルや
ヘルツェゴノヴィやブドバやバールなどの海岸沿いの町へ
行くのも良いかも知れない。

フラフラと寝られそうな場所が無いかバスターミナルの回りを
歩き回っていると、サラエボからのバスで一緒に乗っていた
バックパッカーを見かけた。ひょっとしたら宿の情報を知って
いるかもしれないので、声をかけてみた。

男女のカップルだったので、恋人同士かと思いきや兄妹だった。
彼らも泊まる所が決まっておらず、ポドゴリッツァには安宿が
無くて、ブドバに行けばあると聞いて、ブドバ行きを決めた
らしい。バスは1時間後に出るのだとか。折角なのでこの流れに
乗ることにした。彼らに一緒に行動して良いか聞いて、「Yeah,
no problem.」との答え。

ブドバに到着したのは0:30。こんな時間で本当に大丈夫か?
私はまぁ、宿無くてもさほど困らないが、妹さんが一番困る
だろう。ヒポホステルってのがこの辺りで一番印象のいい
ホステルらしく、そこを探すことになった。

ほとんど人がいない。住所はわかっているが、聞いてみても
誰も知らない。いつもの私なら諦めて野宿場所を探して
いるだろうが、今回はそうも行かない。40分ほど歩き回り
やっと住所がわかる人に出会えた。

もう1時を回ってる。例え宿に辿り着いたとしても、ベッドを
割り当ててくれるのだろうか?この兄妹はとにかく前へ進む。
私はそれについて行く。

ヒポホステルに着いたのは1:30。まだ人が起きていた。
というか、なにかお祝いをしている。後で聞いたらモスクワ
から知り合いが来ていて、この日帰るからお別れ会を
していたのだった。そして、そこに泊まっている人も何人か
参加しており、幸運な事に、我々は、ほぼ誰に迷惑を
かける事なくベッドを手に入れた。

翌朝、宿主が「明日無料のコトルツアーをするのよ」と情報
をくれ、折角なので参加することに決めた。ってことは
ここに3泊する事になり、アルバニアで10月を迎える事に
なりそうだ。この日はのんびり海岸散歩と近くにある
小さな旧市街地に行くことにした。

海岸にはたくさんの水着姿の人達が。どちらかというと
年配者の人が多いような気がする。いわゆるビーチなのだが、
石がごろごろしていて、徳島の田井ノ浜のようだ。
ここをリゾート地として拡大しているモンテネグロに
必死さを感じる。でも、まぁ、後で聞いたのだが、砂より
石の方がべたべたくっ付かないから、こういったビーチを好む
人も多いそうだ。私なら砂が良いけどね。しかしまぁ、9月末の
週末にこれだけの人を集められるのはすごいな。

送信者 around_budva

送信者 around_budva

旧市街地は本当に小さかった。100㎡ぐらいだろうか。
売ってるのもブランドものや、宝石などが主で、私には
関係ないものばかり。雰囲気はクロアチアで見た
旧市街地と大差は無い。

送信者 around_budva

昨日出会った兄妹と一緒にお昼を食べたのだが、串焼き
豚肉とビール一杯で9ユーロも取られた。ビールは
まぁ、1.50だから大したことないが、レストランで
食事するとやはり高くつく。

送信者 around_budva

夕方、フラフラしていると日本語で話しかけられた。
胡散臭いおっさんだったが、ちょっと会話してみた。
10年以上前に、浦和になる前の三菱でサッカーのコーチを
していたそうだ。そしてその後3~4チームでコーチを
していて、合計10年ほど日本に住んでいたそうな。
日本語が片言なので、英語でちゃっちゃと質問したかったが、
失礼かと思い、そのまま日本語で会話した。聞きたい事が
たくさんあったのだが、タイムアップしてしまった。

ブドバで日本人以外に日本語を使うとは思っていなかった。
さすがは旧ユーゴスラビア、サッカーで名を轟かせた国。

しかしまぁ、プラン無しでもなんとかなるものですな。

これまで使ったお金(ユーロ)

パリのドミトリー 24 x2
パリのインターネットカフェ夜中8時間 x2
パリの一つ星ホテル 49 x2
列車、パリからレンヌの2等 56
列車、パリからベルサイユ往復 5.80
モンテルナスタワー屋上 約9.50
ルーブル美術館 9
レンヌYH 20
ジェネYHテント朝食付 9
ジェネYHテント 6
ジェネYH 11
バユーYH 18.50 x2
D Day博物館 6
ボロニューYH 17
モンサンミッシェルからハレまでのガソリン代 80
アンニャとのディナー 40
YHのメンバーになるためのシール 3 x6
列車、ハレからブルッセル 3
ブルッセルYH3人部屋 18.50
ブルッセルYH6人部屋 16.50
ユーロラインバス、ブルッセルからルクセンブルグ往復 32
ローカルバス、ルクセンブルグからエヒテルナッハ 1.50 x2
エヒテルナッハYH 17.50
エヒテルナッハキャンプ 10
ルクセンブルグYH 19.50 x2
列車、ルクセンブルグからリエージュ 36
リエージュYH 17.5 x2
ベルギーワッフル 1.50
列車、リエージュからアントワープ 14.60
アントワープユースホテル4人部屋ドミトリー 21
アントワープピザとビール 8.50
ドルドレクトキャンプ 10
(オランダのYHは毎日値段が変わる)
ロッテルダムYH 29
アムステルダムYH 20 x2
レンタル自転車 10
アムステルダムホステル、フライイングピッグ 28.70
トラム、アムステルダム1ゾーン 1.60
Largeポテトフライ、アムステルダム 3
バス、ユーロラインパス+予約料 439+5
ストラスブールYH 19
マクドナルドビッグマッククラスセットラージ 7
ミランYH 19
シングルアイスクリームコーン 2
列車、リヨンからジュネーブ 22.90
ジュネーブYH 29フランク
ブラティスラバ格安ホテル1人部屋、TAX含む 450sk(1ユーロ≒30sk)
コペンハーゲンYH 200デンマーククローネ シーツ50デンマーククローネ
ベルリンホステル 21.50 朝食3.50
チェコ格安ホステル 270チェコクローネ
チェコのバー500mlビール 24クローネ
タリンツイン 500クラウン(1人250クラウン)
タリンホステル 200クラウン x 3
タリンのビッグマックセット 60クラウン
タリンのピザディナー 100クラウン
ケルンのビッグマックセット 6ユーロ x 2
列車、プラハからドレスデン 600クローネ
ドレスデンのホステル 土曜12ユーロ 日曜7ユーロ シーツ3ユーロ
列車、ドレスデンからエルフルト 19ユーロ
列車、エルフルトからワイマール往復 6ユーロ
列車、エルフルトからドイツ国境(チェコ国境) 19ユーロ
列車、ドイツ国境からチェコ国境 3.70ユーロ
列車、チェコ国境からブダペスト 53ユーロ
ブダペスト日本人ホステルアンダンテ 14ユーロ x 2
ブダペスト温泉 2300フォリント
ブダペストアンダンテ近くのカレー屋 950フォリント
列車、ブダペストからバルトンシュメス 2050フォリント
列車、バルトンシュメスからナカニッツァ 1350フォリント
列車、ナカニッツァからザグレブ 3150フォリント
ザグレブホステル500mlビール付き 100クナー
ザグレブバラック(肉入りパン) 12クナー
バス、ザグレブからプリトビッチェ 100クナー
プリトビッチェ入場料 220クナー
バス、プリトビッチェからザダル 98クナー
ザダルSOBE 80クナー x 2
スプリットSOBE 120クナー
フェリー、スプリットからドブロブニク 97クナー (8時間)
ドブロブニクSOBE 70クナー x 2
瓶ビール500ml 7クーナ
ペットボトルビール2リットル 17クナー
モスタルホステル 10ユーロ
列車、モスタルからサラエボ 10マルク
サラエボホステル 12ユーロ
レストランのチェバブチチ 7マルク
持ち帰りブレック 2.50マルク
バス、サラエボからポドゴリッツァ 35マルク 荷物1マルク
バス、ポドゴリッツァからブドバ 6ユーロ
ブドバホステル(ヒポホステル) 12ユーロ
バス、ブドバからコトル3ユーロ
ティラナホステル 12ユーロ又は1500レク
ベラートホステル 8ユーロ又は1000レク x 3
シュバーハ、肉とサワクリームとポテトのディッシュ 200レク



ユーロライン予約手数料
アムステルダム 5
ストラスブルグ 0
ミラノ 5
リヨン 0
ジュネーブ 5フランク 荷物預かり料1つ 2フランク
ブラティスラバ 150sk
ウィーン ?
クラコウ 0
ハンブルグ 0
コペンハーゲン 0
ベルリン 3
プラハ 0
タリン 0
ケルン 0


旅した経験、プライスレス

2008年9月26日金曜日

サラエボからモンテネグロへ

サラエボからモンテネグロ入りするには2つのルートが考え
られる。1つはモスタル経由でドブロブニクまで行き、
そこから海岸沿いにモンテネグロへ行く方法。もう1つは
直通の山道を通る経由。

ドブロブニクから来る際はモスタル経由だったので、今回は
山道を選んだ。バスの時間を調べると、ポドゴリッツァ行きの
8:15と14:00がある。ヒッチハイクも考えたが、距離が
若干遠めと、経由する町の情報がよくわからず、また雨も
強く降っていたので、バスで移動する事にした。

8:15のバスに乗るべく7:15に宿を出発しようとするが、
バス停の名前をよく見ると「East Station Sarajevo」と
書いてある。そして、その場所はメインステーションから
遠く離れ、高い丘を越えた町の南側に位置している。
時間的に間に合いそうだが、行き方がわからない。残念
だが朝の便は諦めた。14:00の便に乗るとポドゴリッツァに
到着するのが21:00頃になってしまうので、もう一泊して
次の日に伸ばそうとしたが予約で一杯だったため、仕方なく
14:00の便に乗る事にした。

バスの乗車率は90%ほど。大きさ的にはマイクロバス程度
だが、こんなに一杯になるとは思っていなかった。18ユーロ
という値段設定なのか、それとも週末のせいなのか。。。
バックパックのような大きな荷物を持った人はたった3人なので、
ほとんどが地元の人なのだろう。

バスは山の中を走行する。かなり曲がりくねっていて細い。
断崖絶壁の脇を掘って道を作っているので、結構怖い。
もちろんガードレールなんか無いので、全てはドライバー
次第。対向車が来る度にぎりぎりで通り過ぎていく。

国境にさしかかるとパスポートチェックがある。クロアチア
からボスニアヘルツェゴヴィナへ入った際は何のチェックも
無かったので、旧ユーゴスラビア内ではチェックが無いのかと
思っていたのだが。そして嬉しいことにモンテネグロ入国の
スタンプをもらえた。フランス、クロアチアに次いで3回目の
スタンプだ。

モンテネグロに入ると道は広くなった。相変わらず山道を
くねくねと進むが、それほど怖い場所も無い。

しかし、ずっとサラエボからずっと山道だ。ここら辺の国が
こんなに山の国だったとは思わなかった。平地率とか日本と
変わらないんじゃないだろうか。

予定通り20:30にバスはポドゴリッツァへ到着した。早起き
だったのでバスの中で寝られるかと思っていたら、ほとんど
寝られず、今日はかなり疲れた。でも、山の景色はなかなか
良かったので、乗った甲斐はあったかな。

ターミナルに着けばSOBEの勧誘があるかと思っていたが、
来るのはタクシーの運ちゃんの誘いだけ。これから宿探しを
しなければ。。。

送信者 sarajevo_to_podgorica

送信者 sarajevo_to_podgorica

送信者 sarajevo_to_podgorica

青い目のイスラム教徒-サラエボ

日本を出発した時は、サラエボに行こうなんて思っていませんでした。
昔、戦争があった時期によく聞いた名前ですが、最近はそれほど
ニュースにも上がらず、どんな場所なのかも想像できませんでした。

行くことに決めたのは、旅の途中で旧ユーゴスラビアが今どうなって
いるのかが見たくなった事と、資金面の問題で安いところへ移動
したくなっていたからです。

この国へ来たのは正解でした。最初、ボスニアヘルツェゴヴィナへ
足を踏み入れてみてかなりの衝撃を受けました。民族や宗教が
混じって町が出来ているとは聞いていましたが、実際に自分の
目で見ると不思議な感じがします。

サラエボに入る前は、トルコ人と見た目が近い人が多いのかと
思っていたら、実際には私達が白人と認識するような人もたくさん
います。私は、アメリカのドラマの見すぎで、イスラム教徒
といえば中東の人のイメージがあり、町を歩いてみて自分の
持っているイメージとの差の大きさに驚きました。実際、
青い目で金髪のイスラム教徒を見た時には、私の常識は完全に
置き換えられました。

この宗教のごった返した町、なるほど宗教戦争が起きてしまう
のも理解ができました。

ジプシーに気をつけろ

ボスニアヘルツェゴヴィナに入る前に複数の人から注意を
受けたのが、「ジプシーに気をつけろ」ということです。
本物のジプシーとはちょっと違うらしいのですが、似たような
生活をしている人達がいて、旅行者の荷物をよく狙うらしいです。

夜道を襲ったりしてくるわけではないので危険は無さそうですが、
いつの間にか持っている荷物がなくなっている、というのが常套手段
のようです。バックパックのように重たい荷物は盗まれにくい
とのことですが、基本的に洋服でも食べ物でも何でも盗むそうです。

アドバイスを受けて、いつもより更に気をつけて身の回り品には
気を配り、おかげで滞在中は何も起きませんでした。

2008年9月21日日曜日

ヒッチハイクfromメトコビックtoモスタル

バスでメトコビックへ来た後、国境を越えた方がヒッチを
しやすいだろうと思い、とりあえずボスニアヘルツェゴビナへ
行くことにした。バス停付近で通りがかりのおっちゃんに
道を確認して徒歩で国境へ出発。

距離にしてだいたい2kmぐらいだろうか、一応モスタルと
書いたホワイトボードを頭に掲げて移動していた。すると、
国境まであと300mぐらいというところで、目の前に車が
止まった。モスタルまで乗せてくれるそうだ。ラッキー♪。

乗せてくれたのは、60歳代の夫婦。戦争が始まる前に
ロンドンへ脱出し、今はロンドンとモスタルを行ったり
来たりしているそうだ。

途中コーヒーブレークをした際、またもやおごってもらった。
今度はトルココーヒー。初めてだったので、飲み方を
教えてもらい、美味しく頂きました。

送信者 dubrovnik_to_mostar


年配の方がヒッチで止まってくれたのは初めてだったので、
なぜ止まってくれたのか聞いてみると、意外な事実が。
それまで気がつかなかったが、バスを降りてから道を
尋ねた人が旦那様だったらしく、その後歩いている私を
見て乗せてあげようと決めたそうだ。そんな単純な
振る舞いが左右するってのも面白い。いや~、本当に
面白い。

夫婦は私をモスタルのバス停まで送ってくれた。

メトコビックの高校生

オプゼンのバス停でバスを待っていると、目の前で高校生が
ヒッチハイクをしていた。自分以外の人間でヒッチをして
いるのを始めて見た。話しかけると、彼はメトコビックに
住んでいて、毎日学校が終わるとヒッチで帰るそうだ。
しかし、毎日ヒッチハイクとは。。。 恐れ入った。

ヒッチハイクfromドブロブニクtoメトコビック

本日は雨天なり。ヒッチハイク初の雨天、といってもまだ
3回目。それほど強い雨ではないので問題ない。ただ、
曇っているため、ドライバー席が暗くて良く見えず、
アイコンタクトが取りづらい。

目的地はモスタル(Mostar)だが、前回学んだように中継の町で
あるメトコビック(Metkovic)とオブゼン(Opuzen)を並べた。
オプゼンまでは約100kmで、ドブロブニクは飛び地なので、
途中ボスニアヘルツェゴビナの領土を22kmほど通る。

宿のばあちゃんに貰ったブドウを食べながら車を待っていると、
1時間ほどで車が止まった。車からおっちゃんが出てきて、
オプゼンまで乗せてくれるという。なんでも、オプゼンから
ドブロブニクまで娘さんを大学まで送っていく途中で私を見て、
その帰りに拾ってくれたそうだ。

おっちゃんは45歳だが、結構英語ができる。英語は若い人なら
話せる人が多いと聞いていたが、おっちゃんもいけるんだね。
そして、とにかくよく喋る。2時間ほどのドライブで沈黙した
のは10分程度だろう。

話してくれた中で印象に残ったのは、1960年にアルバニアで
災害があった際、日本政府が援助したという話。アルバニアに
知り合いがいて、その人が言うにはアルバニア国民はその恩を
今でも忘れていないらしい。

途中、ボスニアヘルツェゴビナの領土を通過する際、チェック
はあるが、ほぼ素通り。そして、パスポートにスタンプは押して
もらえなかった。ただ、バスはちゃんとチェックを受けている
様子で、我々が通り過ぎる間、ずっと止まっていた。

この22kmのボスニアヘルツェゴビナ領土を回避するため、
クロアチアは現在、ドブロブニクへ繋がっている半島への橋を
作っているらしい。3年後ぐらいに完成するそうなので、
その時にはカスタムチェックを受ける事無く素通りできる。

おっちゃんが「今度クロアチアに来る時は、オプゼンに寄って
私の所に来なさい。歓迎するから。この町でバッジョはどこ?
と聞けば1人しかいないから直わかるはずだ。」と言ってくれた。
今度来た時には是非寄りたいと思う。

オプゼンに着くと、おっちゃんがサンドイッチとビールを
買ってくれた(笑。そして、「メトコビックまでは10km程度
だけど、時間がないので送ってあげられない。ここから
バスが出ているからそれに乗って行きなさい。」といって
バス代13クナーをくれた。おっちゃん超優しい。何度も
お礼を言って、おっちゃんと別れた。

13クナーあればビールが1リットル買えるが、ここは当然
バスに乗るさ。おっちゃんありがとう。無事にメトコビック
まで辿り着いた。

I love Croatia.

送信者 dubrovnik_to_mostar

おっちゃんの車のスピードメーター
60km/h超えてると思うけど、ずっとこんな感じ(笑

ビールビールinドブロブニク

ザダルからドブロブニクまでずっと晴天が続いている。気温は
それほど高くなく、風が常に吹いているので、それほど暑くない。
太陽が出ている間はTシャツで、隠れたら長袖といった感じだ。

気候はとても乾燥していて、唇がすぐにカラカラになる。
コンタクトレンズをつけていたら相当辛いだろうなと思う。

そんな中で美味いのがビール。ドブロブニクでは水を飲まず
ビールばかり飲んでいた。小売店で500mlビンが7クーナ(約150円)
スーパーで1リットルペットボトルが12クーナ(約260円)、
2リットルペットボトルが17クーナ(約370円)となんとも
安い。

長年ビールのどこが美味しいのかわからなかったけれども、
やっと理解できた。

ドブロブニクのSOBEばあちゃん - この客にこの宿あり

フェリーを降りると「宿はいらねーかー」と十数人の客引きが
誘ってくる。もうこれはアドリア海のコーストラインの町々の
名物と言っても良いかもしれない。値段は聞けばわかるが、
部屋の状態は見てみるまでわからない。場所も彼らは「近い」
としか言わず、車に乗ったら最後、結構遠くまで連れて
行かれる可能性もある。何が起こるかわからないといったら
大げさだが、そういった客引き達に対して私はホワイトボードを
用意して、部屋を探すことにした。

「GIVE ME A ROOM 70KUNA」

相場は100クーナ(約2100円)ぐらいだろうから3割引きだ。
これならどんなSOBEでも我慢できる。最初に近寄って
きた客引きにホワイトボードを見せると、いかにも「無理」
といったしかめっ面をされた。気にせず次へ。反応は「No」。
さすがに欲張りすぎかと思いきや、突然おばあちゃんが
俺の腕を引っ張る。「OK,OK」「SUPER SUPER」。

逆客引き成功。

おばあちゃんに連れられてフェリーターミナルから歩いて
3分ほどの所にあるSOBEまでやって来た。おばあちゃんは
全く英語ができないので、ずっとクロアチア語で話かけて
くる。理解できないが、ジェスチャーでなんとか乗り切る。

玄関を開けると右手に洗面所があり、正面に部屋がある。
部屋には2つのベッドと1つの簡易ベッド、そして2つの
イスが置いてあった。部屋の奥にキッチンとバルコニーがあり、
キッチンは完全に閉められて使えず、バルコニーに冷蔵庫と
コンロとテーブルが置いてあった。

おばあちゃんは私にとりあえずそこに座りなさいと言って
テーブルに置いてあったコップにジュースを注いでくれた。
イスに座ると、おばあちゃんは部屋に入っていったので、
覗いてみるとベッドメイキングを始めていた。じゃ、
ジュースでも飲んで一息つこうと思ってコップを見ると、
ゴミが浮いている。。。 他のコップを見ると、どれも
汚れているようで、多分しばらく外に放置されたまま
の状態だったのだろう。大きなゴミは取り除いてみたが、
やはり飲めない。勇気が出ない。捨ててしまおうかと
思ったが、バルコニーには炊事場が無かった。

ジュースを飲めないままいると、おばあちゃんがベッド
メイキングを終えて戻ってきた。ジュースが減ってない
のを見て、飲め飲めと進めてくる。飲みたくない理由は
説明もし辛いし困った。困惑している私を見て何を思った
のか、今度はキッチンからウォッカを持ってきた。
そして、他の汚れているコップへ100mlぐらいを注いで
私にくれた。もはや後には引けない気分である。

覚悟はいいか。

ゴミもろとも胃袋へ注ぎ込む。何らかの洗礼を受けた
気分だ。もう何も怖いものは無い。ジュースも底に
見えている大きなゴミを残しておいしくいただいた。

支払いの時、1日70クナー(約1500円)の2日分の140クナー
を渡そうとすると、バルコニーを使わせてあげるから
10プラスして、合計160クナーくれという。やはり、
ちゃっかりしているというか、がめついというか、
すんなりこちらの言い値で終わってくれない。まぁ、
ここは「バルコニーいらないから70ね」と返す。
おばあちゃんは簡単に諦めてくれた。バルコニーも
使っていいそうだ。バルコニーには芽がたくさん
出ているジャガイモや古そうなたまねぎが置いてあり、
それらも自由に使って良いそうだ。おばあちゃん
ずっと親切なんだけど、逆に困る部分が多い。

この日は町に出て色々見て回り、22時頃にまた部屋に
戻ってきた。そして、ベッドの上で日記を書いていた
はずが、疲れていたのでいつの間にか眠っていた。
何時間か過ぎた時、突然ドアが開く音がしたので、
びっくりして目覚めた。誰が部屋に入ってきたのかと
目を凝らすと、おばあちゃんである。そして、
電気を消して出て行った。電気つけっぱなしで
寝ているのもどうかと思うが、突然貸し部屋に入って
くるのも驚きだ。

次の日の夜、21時頃に部屋に戻るとおばあちゃんが
いた。もう一泊するかどうかを聞きに来たらしい。
これが最後の夜になる事を伝え、モスタルへ向かう
事を告げた。

突然おばあちゃんは2リットルのビールボトルに興味を
示した。帰ってくる途中にスーパーで17クナー
(約400円)で買って、飲みながら帰ってきていたのだ。
1リットルほどまだ残っていた。テーブルの上に
置いてあるブドウをレジ袋に入れて、「これを持って
行っていいから、ビールと交換しよう」と言っている
ようだった。既に1リットル飲んで良い気分になって
いたので、承諾してビールを渡した。ばあちゃん相当
酒好きだ。

2008年9月20日土曜日

フェリーでドブロブニク

当初はドブロブニクまでヒッチで行こうと考えていたが、
せっかくのアドリア海、スピリットからドブロブニクまで
フェリーを使うことにした。料金は97クローネ(約2000円)と
かなり安い。途中で3ヶ所の島へ寄るため、バスが4時間という
時間に比べて8時間と時間もかかる。急がない旅はそういった
時間を気にしないで良いのがすばらしい所だ。

フェリーはクロアチア海岸沿いにある島々を縫うように
進んでいく。景色は美しいの一言。3つ目の島へ寄った後、
隣の席へカナダ人のカップルが座った。カナダ人の多くは
バックパックに小さなカナダの国旗を縫い付けてあるあら
わかりやすい。せっかくなので話しかけてみた。

彼らは2週間かけてクロアチアを旅しているらしく、コースト
ラインに沿って南下していた。2週間のほとんどを島で過ごして
いて、リエカからドブロブニクまでをずっと島経由で移動
していた。私が島へは一度も寄らないんだ、と言うと彼らは
それは勿体ない、次はぜひ島を巡るといいよ、とアドバイスを
くれた。9月の島は観光客が減って、宿代も安くつくらしい。
1人90クーナ(約1900円)程度で良いSOBEが見つかるとか。

話をしているうちに、15時にドブロブニクに到着。早いものだ。
次にフェリーに乗るのはきっと2~3週間後でギリシャから
イタリアになるだろうな。

送信者 split_to_dubrovnik

2008年9月19日金曜日

2回目のヒッチハイク

プリモシュトンからスプリットまでの道は約70km。最初のヒッチハイク
の兄ちゃんに40クーナ(850円程度)で、1時間置きに1本、夜の12時まで
プリモシュトンからバスが出ている事を聞いていたので、切羽詰って
ヒッチをする事もない。気が楽だ。ただ、せっかく始めたヒッチハイク
なので日が落ちるまで、後1時間少々試してみたいと思う。

ザダルの時と比べ交通量が少ない。3分に1度ぐらい車が通り過ぎていく。
夕暮れ時だし、田舎町なのでそんなものか。ヒッチをしながら、今晩の
宿の事を考えていた。このままスプリットに着いても、もうインフォ
は開いていないだろうし、ヒッチなのでSOBE(部屋貸し)の客引きも
当てにはできない。宿は100クーナ(2000円程度)以内に抑えたいところだが、
このまま行っても選べないだろうから適当に入るしかない。

そんな事を考えながら、ヒッチをしていると車が止まった。時間にして
40分程度。意外に早かった。今度止まってくれたのは真面目そうな
20才台後半と思われる青年だ。荷物を詰め込み出発進行。

青年の名前はマリュオ。英語に長けているが、癖が相当強い。出身は
リトアニアで今はブルガリア在住らしい。リトアニア語、英語の他に
ロシア語とブルガリア語を話せる。クロアチアへは仕事と休暇を兼ねて
来ていて、この日はリエカから海岸沿いをドライブしてきたそうだ。
この日のマリュオの目的地もスプリットなので、しばらく一緒に行動
する事になった。

トロギールという町が途中にあり寄ってみたかったが、既に日が
落ちてしまっていたので諦めた。どこにも寄らず進み、スプリットに
到着したのは20時過ぎ。とりあえず車を止めて、2人で中心街と
思われる場所へ行ってみると、美しくライトアップされた旧市街地に
出た。マリュオも私もカメラを取り出し、夜の町並みを取りまくった。
宿を探し始めたのは24時を過ぎてから。それでも不思議なもので
宿(SOBE)は見つかり2人で250クーナ(約5200円)だった。

次の日もマリュオと一緒に過ごし、彼から面白いオファーを受けた。
彼の仕事はブルガリアでの不動産業で、他にツーリズムや特産品の
扱いを行っている。扱っている不動産は黒海側の海岸沿いにある
田舎町の土地で、今なら1㎡が4~5ユーロで買えるとか。この地方の
特産品は蜂蜜入りのワインで、彼曰く、これがすばらしい味らしい。
マリュオは私に日本でのエージェントになってみないかと言った。
要するにブルガリアの土地や特産品を日本で売るトレーダーに
ならないかという事だ。流れに乗ってやってみるのも面白いかと
思ったが、今の自分には事業を始める資本が無いので、残念ながら
断った。でも、将来的にはやってみる価値はあると思うので、
住所を交換して、連絡を取り合う事になった。

私は当ての無い旅を続けているので、この機会にブルガリアを
訪れてみるのも良いかもしれない。マリュオの住んでいる場所に
行けば泊めてくれるそうだし、土地やワインを見ておくのも
良いかもしれない。

ヒッチハイクは単に一つの場所から次の場所へ移動する手段と
考えていたが、思いがけない出会いがあるものだ。初っ端から
こんなに面白い人たちに出会えてしまうと、癖になりそうだ。

送信者 around_split
右がマリュオ

2008年9月18日木曜日

初めてのヒッチハイク

場所はクロアチアのザダル(Zadar)。海岸沿いの道へ続くザダルの町の
出口で始めた。ホワイトボードに書かれた町の名はスプリット(Split)。
距離にしてたったの169km程度だが、本当にヒッチハイクできるのか
半信半疑だ。

朝9時に宿を出て、決めたポイントまで2時間ほど歩いて移動する。
歩きながら「今日の午後、自分はいったいどこにいるのだろうか」と
高まる期待と不安を心に抱いていた。失敗すればもう一泊ザダルに
泊まるだけなので問題ない。バスも1日に何本か出ていて、100クーナ
(2200円)でスプリットまで行ける。今日失敗すれば、明日バスで移動
するだけだ。問題ない。

よく晴れた、雲ひとつ無い青空の中、左手にホワイトボードを持ち、
右腕を横にまっすぐ伸ばして、親指を上に立てる。オーソドックスな
ヒッチハイカースタイルだ。ただ、初めてなのでぎこちなく感じ、
ちゃんとヒッチハイカーに見えているのか不安だ。

33歳男、初めてのヒッチハイクを開始。

5分過ぎた、当然誰も止まらない。格好はなんとか出来上がったが心が
まだ付いてきていなかった。照れがあり、車の中のドライバーを
見ることが出来ず、遠くを眺めていた。そんな感じで15分ほど
過ぎた時、反対車線の車から20歳ぐらいの男2人が「がんばれよ~」
と応援をくれた。自分の行動に対して実際になんらかの反応があった事で、
心の不安が少し晴れ、車の中のドライバーを1台1台見れるようになった。

ドライバーを見ていると面白いものだ。大半は知らない顔で
通り過ぎていくが、5分~10分に1度ぐらいなんらかの反応をくれる
ドライバーがいる。「自分は近くまでしか行かない」とか、
「がんばれ」とか「ピース」とか、そんなジェスチャーが多くかったが、
時々、理解不能な物もあった。理解できないジェスチャーは時折
不安を増幅させる。「俺は何か間違った事をしているのじゃないか」と。
でも、アイコンタクトをドライバーとし始めた事によって、単純に
突っ立っているだけとは違う、ヒッチハイクをしているんだという
実感が生まれてきた。

2時間が経過したが誰も止まらない。晴天で直射日光が降り注ぐが、
気温は18℃ぐらいでそよ風が吹き、暑くもなく、寒くもない。
ふと「スプリットは遠すぎるのか?」という疑問が出てきた。
試しにホワイトボードのスプリットの文字の下に、中継の町である
シベニック(Sibenik)と書いてみる。

再開して30分、止まった。車が止まった。ファンキーな兄ちゃんが
俺を呼んでいる。喜び勇んで車へ駆け寄る。兄ちゃんはシベニックへ
行くという。当然乗せてもらった。

初ヒッチハイク成功。

兄ちゃんはガソリンスタンドのチェーン店に雇われていて、配管工
をしているらしい。ザグレブからドブロブニクまでのスタンドを
担当しているそうだ。週に3回ほど南方面へ出張があって、この日も
ザダルとシベニックの先にあるプリモシュトン(Primoston)の2箇所で
作業があるんだとか。

荷物を詰め込み、ザダルからプリモシュトンまでのコースとラインを
進んでいく。たった100kmぐらいの道だが、景色はとても美しい。
またここへ来る機会があれば、次は必ずレンタカーを借りるだろうな。

兄ちゃんとは英語で会話した。高校で習った程度というが、十分に
意思疎通ができる。道中、多少のクロアチア語を教えてもらった。
「ズトラボ」「ドバルダン」「クワッラ」「ドブロドショウ」。
いきなり言葉を覚えるというのは難しい。聞いたことない言語なら
発音も一緒に覚えなければいけないので、特に覚えにくい。
兄ちゃんの指導のおかげで上記4つは確実に暗記できた。

兄ちゃんはオートバイが趣味で川崎のオートバイを持っている。
正に愛車みたいで、キッチンに置いている写真を何枚も見せてくれた。
そして、紙とペンを出してきて、「川崎」って書いてとお願い
されたので、汚い字だが「川崎」と大きく書き、「かわさき」と
振り仮名を添えた。バイクは7歳から乗っていてこれまで合計で
20本の骨を折ったと言っていた。

途中でランチに寄った際、豆スープにヌードルとウィンナーが一本
入った料理をご馳走してくれた。私が貧相に見えてるのか、気に入って
もらえたのかわからないが、久々の温かい料理だったのでありがたく頂いた。
「これ食べるとオナラがすごいんだけど、体に良いんだよ」と教えて
くれていたが、本当に夕方からオナラが連発で出たので、正直、
次からは違うものを注文せねば。。。。ヒッチハイカーにオナラは
厳しい。。。

15時に目的地のプレモシュトンに着くと兄ちゃんが「ビール飲もうぜ」
と誘ってくれ、1杯飲む事になった。兄ちゃんの知り合いが2人集まって
きて3人でクロアチア語で喋ってる。500mlをお喋りしながら1時間ほど
かけて飲んでいた。全然会話に参加できないが、初めてこちらの人と
飲んだので、雰囲気は存分に楽しむ事ができた。

ふと、兄ちゃんがサッカーくじを買ってきたので見せてもらうと、
いくつか知っているチームが書かれていた。サッカーも新しい
シーズンが始まったんだなぁ、と自分の勝ち負け予想と比べながら
見ていると、いつの間にか3人はいなくなっていて、兄ちゃんの
タバコと車の鍵と財布がテーブルの上に残っていた。そして、
10分、15分しても戻ってこない。そろそろ次のヒッチを始めたい
ところだが、一人ポツリと兄ちゃんが帰ってくるのを待っていた。

1時間ほどして兄ちゃんが帰ってきた。仕事をしに行ってたらしい。
超マイペースだ。17時になり、日も傾き始めたので、そろそろ出発
しようとすると、兄ちゃんが「もう1杯飲もうぜ」と誘ってきた。
当然飲む。こんなにおごってもらって良いんだろうか。結局、
18時まで一緒に飲み、初めてのヒッチハイクが終わった。

I love Croatia.

2008年9月14日日曜日

アドセンス広告

1ヶ月ほど前からアドセンスの広告をブログに入れてみた。
どんな広告が入っているのかチェックしてみると、
変わったビジネスを展開している会社を1社見つけた。
ぱっと見はブランド物販売のネットショップで、広告には
「バイヤー募集」と出ているので、ブランド物を購入する
海外在中社員でも求めているのかと思ったらそうではなかった。

よく見ると海外ブランドを代理販売する会社で、基本的に
楽天市場がやっている方法と同じように、個人が仕入れて
ネットに写真や価格をアップして売る。違うのは、1人1人が
店を持つのではなく、販売サイトは代理店のサイトのみとなり、
商品ページの画面に販売者の名前が出てくる。この実際の
販売者を「バイヤー」と呼ぶようだ。「バイヤー」がアップする
商品は必ず海外で購入した商品で、代理店会社は商品を
日本で受け取り預かってくれ、売れたら購入者へ送ってくれる。
バイヤーのセンスの良さがダイレクトに商品の売れ行きを
左右するので、自身のある人にはもってこいのシステムだろう。

私にブランドは似合わないが、面白いサイトだとは思う。
まだ規模は小さいようなので、これからどうなるか注目したい。

2008年9月11日木曜日

シュンゲン協定

ヨーロッパに長期間滞在する人は知っておかなければならない
協定です。簡単に言うと、シュンゲン協定に加盟している国交間
では、荷物検査やパスポートチェックがありません。面倒な
手続きが無いのでありがたいのですが、ビザ無しで加盟国内に
滞在できるのは180日間の間で90日となります。

地球の歩き方2007-2008を愛読している私は、この協定について
書かれている93ページを何度も確認しました。それによると、
私が訪れる都市は協定国とそうでない国に分かれており、
ヨーロッパ4ヶ月の滞在でも協定国内で90日を超える事はない
だろうと思い込んでいました。

ヨーロッパでの旅が始まり、まずスイスへ入った際にパスポート
チェックがありました。スイスはシュンゲン協定国外です。
しかし、入国や出国のハンコを押した形跡は無く、単純にチェック
だけして終わったのでした。この時点で協定国内に90日という制限の
日数をどうやってカウントするのか少々怪しく思い始めていました。

そして、スロバキア、チェコ、ポーランド、ラトビア、エストニア
とシュンゲン協定国外を移動しても一度もパスポートが汚れる事は無く、
パスポートのチェックすらろくにありませんでした。たまに旅の途中で
出会う人にシュンゲン協定について聞いてみても、あまり重要そうに
思っている様子は無く、「90日なんて適当じゃないの?」と言われたり
していました。そして私もそれほど気にしないようになっていました。

エルフルトに滞在中、ふとシュンゲン協定について思い出し、調べて
みると、新事実がでてきました。私が先ほど上げた国の中でスイスを
除き、全ての国が2007年12月にシュンゲン協定に加盟していたのです。
そして、9月8日現在までの滞在日数を数えてみると69日!あと21日しか
滞在できません。この期間で、ハンガリー、スロベニア、ギリシャ、
イタリア、スペインを回るのは非常に厳しいですし、40日近くを
クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェコビナ、
マケドニア、ルーマニア、ブルガリアで過ごさなくてはいけません。
正直ビックリです。まさかこんな事になっているなんて。。。

まぁ、協定国のどれかでビザを発行してもらえば、協定国どこでも
有効だそうなので、いきなり強制退場ってことにはならなさそう
ですが、こういったことは前もってちゃんと調べなきゃいけない
ですね。

2008年9月10日水曜日

粋だねぇ(ワインフェスティバルinブダペスト)

ドレスデンで知り合ったミホさんとブダペストで再会した。
ミホさんによると今日からワインフェスティバルが王宮で
行われるらしく、せっかくなので一緒に参加してみることにした。

このワインフェスティバルではハンガリー各地域のワインを
王宮に一堂に集めて、それぞれが小規模のお店を開くという
趣向だ。参加者は気になるワインを試飲する事ができる。
入場料が2300フォリント(約1500円)で、200フォリント分の
試飲チケットとワイングラスが貰える。ワインの店舗は100を超え、
他にチーズやピザなどのお店が出ていた。私が行った時は初日
だったので、オープニングセレモニーが行われ、他にも色々と
催し物があったようだ。

会場はたくさんの人で賑わい、ミホさんと私もその中の
1人として歩き回った。ワイン少なめ1杯が200~600フォリント
とお手ごろで、気軽に飲むことができた。ワインの味は
あまりわからない私だが、甘いと言われるトカイのワインは
違いが良くわかった。すごく甘い。

3~4杯ほど楽しんだ後、最後の1杯を飲もうと、近くのお店へ
行った。手に持っているのは200フォリント。正直、どれを
頼んでいいのかわからないので、店の兄ちゃんにこう言った。

私「なんでも良いからこのお金で飲めるお勧めのワインを頂戴」
 「選んでくれたのを喜んで飲むから」
店「ん~、赤と白どっちがいいんだい?」
私「赤かな」
店「ちょっと待ってな」

値段表をチェックしながら少し考えた後、あるワインを注いで
くれた。しかし、ワインの量はいつもの半分ぐらいしかない。
そして、兄ちゃんは言った。

店「これはこの店で一番有名なワインだよ」
私「えっ、200フォリントしか無いんだけどいいの?」

と200フォリントを渡そうとすると、

店「取っておきな」

粋だ!このシステマティックな会場でそんな粋に出会うとは
思わなかった。兄ちゃんカッコいい。

味がわからない私には最高に美味いワインとなった。

2008年9月9日火曜日

DECIN(チェコ国境の町)への道のり

エルフルトでの滞在を終え、次に向かう街はブダペスト。ブダペストへ
行くには最低でも国を1つ超えなければならない。とりあえずネットにて
電車で行った場合の値段を調べると126ユーロと出た。高い。。。そして、
ICE(高速列車で新幹線みたいなやつ)だと更に高い。まずは行く方法から
考えなければ。。。

ユーロラインズのようなバスは無いかと検索してみると、残念ながら
エルフルトを通ってブダペストへ行く国際バスは無かった。そして、
ドレスデンやプラハへ行けばバスは有るのだが、直近の数便は満席だった。
ミュンヘンやニュルンベルクはどうだろうと調べてみれば、何故か
料金が90ユーロ以上もしてビックリ。宿泊先のドイツ人によると、
オーストリアはアウトバーンが有料だからその分が上乗せされている
のじゃないかと。バスは厳しいなぁ。。。と感じた。

ここで思い出したのが、ドイツで結構ポピュラーな相乗りサイト。
2つ教えてもらっていたのだが、1つは国内、国際を問わず検索可能。
http://www.mitfahrzentrale.de
もう一つは国内の地域しか検索できない。
http://www.mitfahrgelegenheit.de
当然、ブダペストが検索できる方で見てみると、エルフルトから
直接ブダペストへ行く車は見当たらなかったが、ここから西北西に
70~80km行った場所からトラックが出ている。早速連絡してみたが、
既に予約者がいて残念ながら乗れなかった。ちなみに、料金は50ユーロ。
エルフルトから乗り場までが20ユーロぐらいなので、合計で70ユーロ。
これに乗れなかったのは本当に残念。

さて、正攻法じゃダメな場合、私は変わった事にトライします。

前にポーランドに行った際、バスも電車も東側の国では値段があまり
変わらないとあるイタリア人に教えてもらっていた。じゃぁ、単純に
チェコに入ってからブダペスト行きのチケットを買ってみてはどうだろう、
と考えた。エルフルトからドイツ国境まではトゥーリンゲンチケット
(一定の地域で各駅停車の電車に9:00~3:00まで乗り放題)が19ユーロで
買える。ドイツ国境の駅からチェコ国境の駅までが3.70ユーロ。合計で
22.70ユーロでとりあえずチェコ国境まで行ける事になる。

前もってかかる時間をちゃんと調べられるはずなのだが、遊び気分を
残したいのと、時間だけはたっぷりあるので、チェコ国境の町である
DECINまでのチケットだけ買って出発してみた。

特急に乗らないとこれだけ時間がかかるのか、と思いしらされる。
通常ICEに乗ってブダペストへ行くとすれば、所要時間は多分
10時間ぐらいだろう。早朝に出発すれば明るいうちに着く。
だが、私のタイムテーブルは次のようになった。

--:-- Erfurt 9:00
10:04 Weissenfels 10:26 (12分待ち)
11:12 Leipzig 11:58 (46分待ち)
13:39 Dresden 15:00 (99分待ち)
15:57 Schona 16:05 (ドイツ国境の町)
16:24 Decin --:-- (チェコ国境の町)

各駅停車でゆらりゆらりと揺られながらゆっくりとDecinへ向かう。
天気は快晴で、電車からの眺めは最高。飽きないので、ボケーっと
外を見ているだけで時間が過ぎていく。そして、ほどなく電車は
Decinへ着いた。

勝負どころです。

チケット売り場へ行き、ブダペストまでの料金を尋ねると、
1315クローネ(≒53ユーロ)と答えが返ってきた。すばらしい!
合計75.70ユーロでエルフルトからブダペストまで行ける!
タイムテーブルを見ると

--:-- Decin 19:59
21:32 Praha 21:53
07:03 Budapest --:--

って、夜行?朝7時着って、どれだけ時間かかってるんじゃ。
しかもDecinに3時間以上滞在できる。3時間あれば、歩かねば。

駅の荷物預かり所へ、バックパックを預けに行くと、おじさんが
対応してくれ、20クローネ必要だということがわかった。よく
考えると、クローネなんて持っていない。ポケットに4クローネ
を発見したが。。。 ちなみにおじさんは英語が話せないので、
相談とか交渉とかできなさそう。どうしようか考えていると
「後で持ってきな」と(たぶん)言って奥へ消えてしまった。
20クローネ。。。150円ぐらい。。。 Exchangeだとコミッション
取られるし、1ユーロなんて両替したらいくらかえってくるのか。。。
まぁ、仕方がないので、町へ出てどうにかなるか試してみる
ことにした。

知らない町で最初に行くのはツーリストインフォ。フリー
マップを貰ってアドバイスを。。。 と思ったら、英語が通じない。
英語が通じないツーリストインフォは久しぶり。たぶん、ここは
ドイツ語とチェコ語だけなのだろうなぁ。。。 残念。

2時間ほど写真を取りながら歩き回り、駅まで戻ってきた。
途中でユーロが使える店や、両替できそうな場所が無いか探して
みたのだが、見当たらなかった。そもそも、国境の町なのに、
駅にExchangeが無いって。。。 銀行はあるが閉まってるし、
ATMだと500クローネからしか取り扱ってくれないので、できれば
使いたくない。仕方が無いので、ユーロで受け取ってくれないか
聞いてみることにした。預かり所へ行くと、中年の女の人が
出てきて、20クローネを請求してくる。1ユーロを出して、
ジェスチャーで「これで勘弁して」と押してみたが全く効果無し。
そして彼女は、20クローネ持ってこないと荷物は渡せないと言って
奥へ消えた。。。

非常に困った。

どうするか。公共機関がダメならそこら辺を歩いている人に
聞いてみるしかない。3人、4人と聞いていくが、誰もユーロと
なんか交換してくれない。そして、英語が話せる人は1人も
いないので、相談もできない。途方に暮れていると、バックパック
を背負った女性が切符を買いにやって来た。チャンス到来と
ばかりにユーロを交換してくれないか聞いてみると、さすが
パッカー仲間、快く交換に応じてくれた。そして無事に、
バックパックを取り戻した。

久々に英語が全く通じない世界へ飛び込んだ。ずっとメジャーな
観光都市ばかり巡っていたので、少し感覚が鈍っていたようで、
言葉が通じない時の怖さを思い知らされた。全く言葉が通じない
人間は地元の人にとっていい迷惑なので、適当にあしらわれて
しまう事が多々ある。共通言語が話せる人を1人も探せないとなると
本当にどうしようもなくなってしまう。お金が関係する事は
ちゃんと考えてから行動しないといけないですな。

休養中の休養?(エルフルト)

ルクセンブルグで出会ったドイツ人の招待を受け、エルフルトへ
足を延ばしてみました。それまでは、エルフルトっていう地名すら
しらなかったのですが、今ではドイツの中では一番良く知っている
町になりました。

滞在期間は1週間。合鍵を渡してくれ、出入りは自由。プライベート
ベッドを与えられ、インターネットは使い放題。正直、家に居る
のとさほど変わらない環境です。

天気があまり良くなかったのもあるのですが、最初の3日間は
ほぼ家にいて休養してました。1日目はドミトリーでいつも
そうだったように、夜中に何度か目を覚ましてしまい、ゆっくりと
眠れませんでした。2日目は腰などに若干痛みが出てきてしまい、
3日目には風邪のような鼻炎のような症状がでていました。
なので、この旅自体が休暇のようなものなのに、その中で更に
休養を取るという、とても贅沢な事をしてました。

ゆっくりしているから、ブログでも書こうかと思うのですが、
気分が乗りません。不思議です。今思うと、私がブログ記事を
書くのはバスや電車での移動中が主で、その時は結構ノリノリ
です。これまでこういったリラックスした環境が無かったので、
わかりませんでしたが、心を落ち着けて何か書くというのは
向いていないようです。

4~6日目はWeimarに行ったり、エルフルトの町を探索したり
少し外に出て行き、最後の日はブダペストの宿情報を見たり、
電車の情報探したりと旅の続きに向けての調査をしました。
4日目以降は既に次の旅が待ち遠しくなっており、最初に
1週間泊めて欲しいとお願いしていたのを繰り上げて出発して
しまおうか真剣に考えてました。

ここでの休養のおかげで体調を再び整えられ、汗臭かった
全ての所持品を洗うことができ、全てを一度リセットする
事ができました。休養中の休養、それは貴重な体験でした。

後半戦

エルフルトでの休養を終えて、いよいよ後半戦が始まりました。
使ったお金ですが、7月が約20万、8月が約15万となっています。
9月は15日までに約4万5千円使いました。

日本にいても海外にいても、時間が経つのは早く感じます。
フランスに入ってからもう2ヶ月も経つのかと驚くばかりです。
今の私にとって旅の途中で立ち寄った場所や出会った人々が
その2ヶ月という空間を埋めてくれます。最初はどんな旅に
なるのか想像もできませんでしたが、だんだんと自分の旅の
スタイルが出来上がり、今はもう慣れたものです。

旅の目的の一つであった「地元の人との交流」はあまり成功
しませんでした。ホステルに泊まるとだいたいが他国から
来た人ばかりだし、観光中は商売人としか話す機会がありません。
また、言語の問題もあります。誰が英語を話せるのか、というのは
わからないですし、片言で道案内ならOKでも、ベンチに座って
じっくり話すのは難しかったりします。それに、昼間はほとんど
みんな働いていますしね。地元のバーに行けばそれなりに
相手も見つかるのでしょうけど、私はあまり飲めないことと
お金がそれほど無いのがネックです。

ただ、「地元の人との交流」に代わる交流が色々あったので、
それで良いかなと思っています。モンサンミッシェルで
ベルギー人に会ったり、ルクセンブルグでドイツ人に会ったり、
ワルシャワでイタリア人に会ったり、タリンでオランダ人に
会ったり、ドレスデンでニュージーランド人に出会ったり、
ザグレブでスイス人に会ったりと色々交流が持てました。
不思議なもので、各人様々な目的や期間で旅をしていますが、
ホステルに泊まると、3~4泊に1回は気の会う人がいます。
積極的な人であれば、毎回誰か一緒に出歩いたりする人を
見つけられるかもしれません。

何にせよ残り2ヶ月、これから物価の安い地域へ移動するので、
お金は最初に予定していた分でなんとか収まりそうです。

2008年9月5日金曜日

ドレスデンで360°

タリンのあるアートギャラリーに立ち寄った際、ふと置いてあった
テレビを見ると男の子の後ろがぐるぐる回っている映像が延々と
流れていました。景色が2~3週すると背景や男の子の服が変わり、
昼になったり夜になったりする映像でした。

ちょっと面白いと思ったので、ドレスデンでマネしてみました。


ツヴィンガー宮殿中庭


フラウエン教会の前


ツヴィンガー宮殿前の広場(夜)

ケルン

私がケルンに興味を持ったのは友達が持っていた「水曜どうでしょう」
というテレビ番組のDVDを見せてもらった時からでした。番組の企画で
「ヨーロッパ21カ国制覇」というのをやっていて、その中で大泉さんらが
ケルンの大聖堂に立ち寄ったのでした。彼らは大聖堂の展望台で大はしゃぎ
していて、それを見た私は楽しそうだなぁと感じたのでした。

ケルンについては大聖堂以外は何も知りませんでした。なので、本当に
この大聖堂を見に、それだけの為にケルンへ行きました。タリンから36時間も
かけて。。

大聖堂は駅の目の前なので、まったく迷う事はありません。反対側に
出てしまっても、駅の向こう側に確認する事ができます。駅周辺には
大きなビルは無く、多分景観を保つためになんらかの規制があるのだと
思います。

さて、上ってみた感想ですが、面白かった部分とがっかりした部分と
両方ありました。面白かったのは、上ること自体です。長い旅行の中で
古い建物系の長い階段は今回が初めてだったので、わくわくしながら
上って行きました。螺旋階段は幅が狭くて1段1段が高いので、後ろに
倒れたら大怪我間違いなし。何度も降りてくる人とすれ違いながら
やっと一番上に辿り着きます。がっかりしたのは展望台全体を覆っている
セーフティネット。「どうでしょう」で見た時はそんなもの無かった
ような気がするんですけどね。ネットのおかげで景色が見づらかったです。

全体的に大聖堂の印象は良かったです。行かれる方は寄付するつもりで
2.50払って上がってみてください。

あと、せっかくなのでいくつか動画撮ってみました。

寝転がって下から上を撮影


真正面から下から上


鐘の場所


展望台を一周


階段を降りる際

2008年9月2日火曜日

ドレスデンで出会ったミホ??歳の♀

オーストラリアに1年、ニュージーランドに4ヶ月の間、ワーキング
ホリデービザで滞在したすぐ後にヨーロッパを旅していると
言っていました。全部で3ヶ月ほどの旅行ですが、クロアチアで
3週間ほど宿泊と交換でボランティアワークをしたりと、少し
異色のトラベラーです。クロアチア滞在後に北欧と中欧ヨーロッパ近辺を
回っていて、ドレスデンのA&Oホステルで私と出会うこととなりました。
見た感じティーンで珍しいなと思い、こちらから声をかけてみました。
ちなみに写真をアップするので年齢はご想像にお任せします(本人
承諾済み)。ミホさんとはたくさん話しました。彼女がYHで盗難に
あった事や、女性ならではのハプニングなど、私が経験していない
または、経験できない事が色々聞けました。
盗難された人は皆、一気に旅行のテンションが下がり、日本へ帰り
たくなると聞きますが、ミホさんも例外なくそうとう気落ちした
そうです。取られた荷物を置いていたのはYHのロッカーで、カギは
日本から持ってきたチェーン式の物を使っていました。ただ、
ロックをかける部分がプラスチック製で、完全に壊されていた
そうです。

そうそう、これまで会った日本人の中で、やっと初めて私と同じように
帰ってからの就職は決まっていない人でした。2人でどうしようかなぁ
などと川を眺めながら喋ってました(笑


A&Oホステル

A&Oホステルの名前を初めて聞いたのはベルリンでした。ユーロ
ラインズのオフィスの人に宿情報が無いか聞いた時に、広告を
もらったのでした。結局泊まらなかったのですが、ドレスデンで
またA&Oに出会う事になります。

A&Oホステルはここ数年でドイツを中心に勢力を拡大している
ホステルのようで、ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘン、
ドレスデン、プラハ、ウィーンに存在します。また、2008年に
新しくオープンする場所もいくつかあるようでした。

A&Oの良い所を幾つか紹介します。まずはコーヒー好きの方に
朗報です。A&Oホステルのカップ(5ユーロ)を買うと、どこの
A&Oへ行ってもコーヒーをタダで何杯でも飲むことができます。
2つ目は、滞在しているA&Oから他の都市にあるA&Oへ予約を
入れると10%OFFになります。3つ目は、場所や時期によって
値段が極端に安くなる事。ドレスデンで宿泊した時丁度週末
だったため、極端に安かったです。8月30日(金)が12ユーロ、
31日が7ユーロでシーツ代が別途3ユーロ必要でしたが、
2日で22ユーロと考えると少し飛び跳ねて喜びたいぐらいでした。
(ちなみに朝食は別途6ユーロ)

ビジネスライクなA&Oのようなホステルが存在している事は
私にとって結構な驚きでした。A&Oは明らかにこれまで
泊まってきたホステルとは違っています。これまでは、
元々あった建物をそのまま利用するか、改造、改築したり
していたのが主で、ホステル運営を始めるのになるべく
お金をかけないスタイルが主でした。そういえば、
ルクセンブルグのホステルも相当ビジネスライクだった
のですが、A&Oのようにチェーン展開をするといった
タイプではなかったし、利用客を増やすためのサービスを
考ようとしている側面はみられませんでした。

A&Oのようなホステルが主流になってくると、バックパッカーの
思い出にも変化が出てくるかもしれません。食事時になったら
みんながラウンジやキッチンに集まってきて、ちょっとした
会話が始まる、そういったのがホステルなんですが、ドレスデン
のA&Oにはラウンジ、キッチンはありません(待合場所みたいな
場所はレセプションの横にあります)。最上階にバーがあるので
そこが集いの場なのかもしれませんが、お酒を飲みたく無い
時もありますよね(気分的に、金銭的に)。ただ、宿泊費は
明らかに安いので、長期の旅人にはありがたいホステルです。

次にヨーロッパへ帰ってきた時にA&Oがどうなっているのか
とても楽しみです。

2008年9月1日月曜日

ユーロラインパス(ハイシーズン)を使い終えて

成績発表(笑

期間は7月30日~8月29日の30日間。439ユーロ。

回った都市 15
回った国 11

ユーロラインパスでの移動回数 14回
ユーロラインパス以外での移動回数 2回
夜行を使った回数 13回
夜行以外を使った回数 3回

宿に泊まった回数 13回
野宿 3回
24時間マクドナルド 1回
バスターミナル2回

追加で払った予約料合料 26ユーロ
追加で払った荷物預け料 2ユーロ
希望路線が無く追加で払った移動料 40ユーロ

一番短かった路線 ブラチスラバ ~ ウィーン (2時間)
一番長かった路線 タリン ~ ケルン (36時間)

一番短かった滞在 クラコウ(アウシュビッツ)4時間
一番長かった滞在 タリン 99時間


移動都市
アムステルダム→ストラスブール→ミラノ→リヨン→(自腹25ユーロ)ジュネーブ→ブラチスラバ→ウィーン→クラコウ(アウシュビッツ)→ハンブルグ→コペンハーゲン→ベルリン→プラハ→ワルシャワ→リガ→(自腹15ユーロ)タリン→ケルン→プラハ


終わった感想

面白かったです。ヨーロッパで必ず行こうと決めていた場所は
少なかったので、強制的に自分で次に行く場所を決めながら
移動するのはとても良かったです。ただ、ハイシーズンは
人気の場所へのバスは満席が多く、同じ場所をグルグルして
しまうんじゃないかという懸念を持つ事も多々ありました。

バスで寝るのも慣れればどうって事なく、ヨーロッパ人サイズ
の席はむしろ170cmと体の小さい私にとって寝心地が良かった
です。隣に人が座ったのは3~4回ぐらいで、後は空いていた
ので、横になって寝てました。最初は休憩ごとに目が覚めて
いましたが、慣れれば継続的に寝られるようになりました。

夜行バスでは、みんな乗った後すぐに寝る体制に入って
しまうので、知らない人同士ではほとんど会話が始まるが
ありません。そのため、新しく知り合いができる事は
ありませんでした。

ヨーロッパの夜行バスで大きな文化の違いを感じたのは、
寝る体制に入っても誰もカーテンを閉めない事。カーテンは
付いてるんですが、昼間の日除けに使われるぐらいで、
夜間には一切使われません。

バスの予約をしてから乗るまで、各国によって違いがあった
のも面白かったです。ある国では乗車前にオフィスで
チェックインを行わないと絶対に乗せてくれないのに、
ある国ではチェックインが無く、ドライバーに直接チケットを
渡します。普通の夜行では男のドライバーが2人乗っており、
この人達が人数の確認などを行いますが、ある国では
モデルのような美人の女性が同乗して、雑務を行っていました。

バスの運転手は通常、運営されている会社の国の言葉と
他1つぐらいの言語を話せますが、英語が常に通じるわけ
ではありません。バルト三国からスロバキアぐらいまでは
特に通じない事が多かったです。

回った都市が15というのは最初に希望していた数と同じで
滞在期間の長短はあれど、がんばった数字だと思います。
ヨーロッパはやっぱり国と国が近いと改めて感じる事が
できました。

もう一度やってみたいかというとYesなんですが、もう少し
いける国が増えてくれないと、行った事がない都市だけを
回るというのが難しいです。9月15日からミドルシーズンが
始まり、価格が一気に下がるので、とても魅力的なパスに
見えてしまいます。

お金くれよ

人が集まる街で必ず出会うのが物乞いです。日本ではまず見る
ことの無い物乞いですが、ヨーロッパの各都市では様々な
物乞いを見ました。

フランスのエッフェル塔下で雨宿りをしている時、少女が
英語で話しかけてきました「Do you speak English?」。
「Yes」と答えると、手に持っていた紙を私に見せます。
紙には、少女がボスニアから来たこと、生活に困っている事、
弟が病気にかかっておりお金が必要な事などが英語で書いて
あります。お金をあげる事はできないと言うと、何度も
プリーズと言って引き下がりません。10分ほどのやり取り
の後、悲しそうに去って行きました。そして、2分ほど
すると、別の少女が同じ事が書かれた紙を持って私の前に
やってきました。そして、同じようにお金をあげる事は
できないと答え、5分ほどのやり取りの後、2人目の少女は
去っていきました。またしばらくすると、20歳過ぎの女性が
私の目の前にやってきます。そして、5分ほどのやり取りの後
去っていきました。
そして、彼女達をしばらく観察していると、彼女達は7~8人の
集団で、手分けをしてお金を集めている様子でした。

ストラスブールのマクドナルドで食事が終わって休憩して
いた時、9歳ぐらいと7歳ぐらいの男の子が私の前にやってきて、
年上の男の子が何かフランス語で話し始めます。多分食べ物を
くれといっているのだろうと思います。そして、こちらが何かを
言う前に、年下の子が私が飲み残していたコーラを勝手に飲み
始めます。こっそり飲み始めるというより、どちらかといえば
挑戦的で、これで俺のものだ的な雰囲気を感じました。
食べる物は残ってなかったので、コーラはあげるけど、
食べ物は何も無いと言うと、すぐに小銭をくれと切り替えして
きました。お金もあげる事はできないと言うと、2回ぐらいの
押しの後、すぐに他の客にターゲットを変えて去っていきました。

ルクセンブルグの街を歩いている時、20歳ぐらいの若者が
家に帰るお金が無いので、お金をくれないかと聞いてきた。
そこで私は身に着けているビリビリに破けたジーパンを
指差して、「お金をあげる余裕は無いよ。俺の姿を見てみろよ。」
と切り返してみた。すると、「それはスタイルじゃないか」
と言うので「余裕がないんだよ」と強く伝えました。
それを聞いて彼は諦め去っていきました。

プラハのバスターミナルでバスを待っていた時、40歳ぐらいの
おじさんに小銭をくれとせがまれました。この時は初めて
持ってる小銭60円ぐらいを全部あげました。というのは、
プラハを出てしまうと、小銭はきっと他通貨に変えてもらえ
ないからです。小銭が少なく不満そうでしたが、礼を言って
去っていきました。

たくさんの国で通常見かけるのは、道で座って自分の前に
カップなどの入れ物を置いている形です。こういった場合、
目の前を通る人に一言声をかける人と、常に祈っている
ように固まっている人に分かれます。前者はたまに犬を連れて
おり、日本じゃまず考えられないと思います。連れられている
犬はたいていご主人様と一緒にじっーと座っています。動物に
同情して食べ物をあげる人もいるようでした。あと、究極は
ブルッセルで一度だけ見た子供連れです。子供と一緒に座って
物乞いをする様子は少し信じがたい光景でした。後者は
いろいろと推測できますが、見た感じ中東系の人が多く、
多分現地の言語がまったく喋れないのだろうと思います。
それで、話しかけられないようにじっと固まっているの
じゃないかと。

あとは、教会の入り口で待っている人達も結構ますね。

そういえば、前にブログに書いた、ミラノとリガの人達も
物乞いの一部に入るかもしれませんね。

日本ではホームレスは見かけることはあっても、物乞いを
見かけることはありませんでした。ホームレスはホームレスで
自立した生活をしているのでしょう。これは結構な文化の差
になるのではないでしょうか。

英語に対する苦手意識

中学、高校と英語がからっきしダメでした。留学する事で
英語の知識が飛躍的にアップしましたが、文法や長文などは
まだまだ未熟で苦手意識は残ったままです。

ビクトリア大学に入学申請をした際、申請が受け付けられ、
次の学期から入学できる旨の郵便を受け取りました。この時、
私は書いてある事が100%理解できず、本当に入学できたのか
どうかを確かめるe-mailを大学に送りました。すると、
帰ってきたメールで、「見てこの子の英語笑っちゃうわ。
ベーシックな英語のコースを取る事を祈ってるわ。」と
意味がわからない返信が来ました。あて先を見ると、同僚
宛てになっており、私がCCで入っているようでした。
要するに、私のことを馬鹿にした電子メールを同僚に送った
けれども、誤って私にも送ったのでした。

この件については上司のお偉いさんが謝罪しにきてくれま
したが、今でも強く私の意識に残っています。

苦手意識というのは、要するにその事に関して馬鹿にされる
事を嫌う人が持つのだと思います。文章を書く場合、
きちんとした英語が求められる時と、意味さえ伝わればいい
時とに分かれると思いますが、メールなどを書く場合は
ほとんど意味さえ伝わればいい事が多いです。馬鹿にされても
気にしなければいいわけです。たくさんのメールをやり取り
しているうちに、きちんとした書き方もわかってくるはず
ですから。

この旅に出てから、やっと苦手意識というものは無くなり
そうな感じがしています。決して英語が上達した訳では
ないですが、英語を使うことに対する恐怖はだんだんと
無くなりつつあります。

山が無い

ずっとブログに書きたかったんですが、忘れてました。ヨーロッパを車、
電車、バスで旅しているとよくわかるんですが、山がありません。
スイスにあるじゃない、という横槍はやめてくださいね m(_ _)m
パリからモンサンミッシェル。そして、フランス北岸からブルッセル
まで、山が見えません。ただ広い土地となだらかな丘が続きます。
ヨーロッパに入って初めて山を見たのはルクセンブルグ。ただし、
標高は低いです。丘と言ってしまえるかもしれない高さです。
その後、オランダやドイツやポーランドやバルト三国など色々と
回っている際もほとんど山を見かけず、アメリカにイメージする
ような広大な畑や農場がひたすら広がっています。この広大な
平地を見ると、なるほど生産ベースが日本と比べ物にならない
のが良くわかります。

土地がある国とない国、日本からすると羨ましい限りです。

ケルンで出会った22歳の♀

ケルンに19:30着いたらユーロラインのオフィスが閉まっており、一泊を
24時間マックで過ごすか、YHで過ごすか大聖堂前の階段で悩んでいる時に、
いかにも日本人旅行者の女性が、同じく階段に座って暇を潰している
様子だったので声をかけてみました。見た感じ、大きなスーツケースを
持っていたので短期の旅行をしている人かとおもいきや、1ヶ月の
長期旅行で、そういった人は初めてだったかもしれません。これまでは
急いで旅をしている人が多かったですが、何だかゆっくりしていて、
私と同じように目的があまり無いそうで、身内や知り合いに良いよと
言われたところに3~4日滞在する予定みたいでした。カナダの
ケベック州に1年間留学していた事があり、現在は新宿の○○ホテルで
バイトをしていて外人対応をしているそうで英語が堪能でした。
就職も海外派遣がありえる会社に内定が決まっていて、海外志向が
強かったです。

リガで出会った25歳ぐらいの♀

私がケルン行きに乗車して、リガで乗り換える際に「日本人ですか?」
と声をかけてくれました。ただ、乗り換えなので、30分ほどしか
話する時間がありませんでした。彼女は9ヶ月の旅の1ヶ月が終わった
ばかりで、中国から入ってシルクロードを通ってロシアからタリンへ
来たそう。そして、一緒のタリンからリガ行きに乗ってたんですが、
降りた際に気がつき出会いました。予算が全部で100万だそうで、
安い地域をずっと旅すると言ってました。リガの後はヴィルナス
ポーランドと南へ下り、西欧には寄らずにアフリカまで抜ける
そうです。一泊300円の世界。私にはまだ未知です。

タリンで出会った35歳ぐらいの♂

普通のサラリーマンで、世界一周旅行切符をゴールデン
ウィーク、夏期休暇、年末の3回に分けて、日本の空港も
福岡、関空、成田と3つを使い分けて、ヨーロッパに来ている
との事でした。旅行、というか辺境地へ行くのが好きだそうで
今まで色々な所に行ってきたそうです。北朝鮮へ行った時の
話など、面白い話を色々聞かせてくれました。

タリンで出会った24歳ぐらいの♂

日本人とドイツ人のハーフで、日本の大学で専攻している学科で
有名な先生がタリン大学にいるので、ボンである学会の前に
少し学びに来ているそうでした。日本語が母国語なんですが、
英語とドイツ語を話すことができます。学会とかすごく
雲の上の話で、すごい人なのかなぁ~なんて思いながら
話してました。

コペンハーゲンで出会ったアーストリップ社長の奥さん♀

結婚するので、その前にヨーロッパの一人旅をしていると聞いて、
「よく旦那様が行くのを許してくれたね」とビックリすると、
旦那様自身がものすごく旅行好きで、もう何度も世界を巡ってる
と言っていました。そして、旅を仕事にしたいということで、
自分で沖縄にアーストリップという民間の観光案内所を設立して
いるそうです。民間の観光案内所なんて聞いたことがなかったので、
またまたビックリしてしまいました。大胆な事を実行する人が
いるもんですね。

コペンハーゲンで出会ったIT系の同じ年か下の♂

すごく積極的な方でよく喋ります。3ヶ月の旅行中で、行き先は
決めずに気分で移動していました。北欧が良いよと聞いて、
突然北欧にフィヨルドを見に行ったり、美術館を巡ったり
したそうで、そういった事をとにかく楽しそうに話していました。
行った先の地名や美術館の名前がポンポンとすぐに出てくるので、
現役で働いている時もかなりできる方だったんじゃないかと
思いますが、彼も次にまたIT系に戻るかどうかは微妙だと
言っていました。

コペンハーゲンで出会った68歳♂

定年後、自転車を趣味として最近は毎年夏にヨーロッパを自転車で
めぐっているそうです。自転車用のスポーティなシャツと真っ黒に
焼けた肌が印象的でした。今年は北欧をメインに回っていて、
ノルウェーからフィンランドのルートの1700kmをを自転車で走破する
という途方も無い事をしてらっしゃいました。雨などで
思ったほど距離が進まず、途中でタイムアウトになってしまった
そうで、帰りの飛行機が出るアムステルダムまで戻る途中に
私とコペンハーゲンのYHで出会いました。夕食の時にご飯を
分けてくださって、久しぶりにお米を食べました。炊きたてだと、
こちらで売っているお米でも十分おいしいですね。私はが
夕食を作る時はパスタの一辺倒なので、ちょっと見直そうかと
思いました。来年も走るそうなので、怪我無くいい旅ができる
ことを祈っています。

ストラスブールで出会った26歳♀

元々働いていた業界の違う会社に転職したそうで、その合間に
9ヶ月の世界旅行を行っている途中でした。既にアジアと中東方面を終え、
ヨーロッパも残り1週間で、次に南米へ旅立つと言ってました。
世界一周航空券みたいなのが売ってるらしく、50万ぐらいで買えるそうです。
面白かったのは、私と同じようにユーロラインパスを買ったそうで、
ストラスブールで真夜中に降ろされて、野宿というかそのまま朝を迎えた時に、
バスから降りてきた私と出会いました。英語がほとんど話せない
けれども、単語とジェスチャーで突破しており、また、日本人を見かけたら
積極的に話しかけて、色々情報をもらっているそうです。
コウの時と同じく、ジュネーブで再び再開して、一緒に少し観光を
しました。

ブルッセルで出会ったコウ32歳♂

IT系の仕事をしていたそうで、IT系の旅行の装備はかなり万全。
次の仕事に就く前に3ヶ月の旅行中をしているとの事でした。
IT系を辞めると決めて旅行にくる人ってやっぱりいるんですね。
面白い事に、2人ともまったく別のルートを旅行していたのに、
アントワープで偶然再会して、少し観光を一緒にしました。
私と同じく長期旅行は初めてと言ってましたが、なんだか
とても落ち着いた感じでした。大手に勤めていた時はあまり
飲みに行ってなかったそうですが、旅行中は毎晩飲んでいる
みたいです。私の勤めていた会社でも、元々よく飲んでいた
という人はたった一人で、飲まない人ばかりでした。IT系って
やっぱりあまり飲まない人が多いみたいですね。

ブルッセルで出会ったノブ27歳♂

バンクーバーでバイトをしていた事があり、英語が話せます。
日本でダブルでバイトして貯めたお金で3ヶ月の旅行中だそうで、
とにかくたくさんの場所を巡ると言ってました。これまでは、
いわゆるフリーターだったけれど、日本に帰ったら定職に就く
予定だそうで、最後の長期旅行のようでした。YHでスパゲティーに
ニンニクとベーコンを絡めただけの夕食をごちそうした際、
「うまいっす」と言って食べてくれた、そんな若者です。

レンヌで出会ったKATSUKOさん6?歳♀

前にブログで書きましたが、1ヶ月のバックパックの1人旅中で、
一緒にモンサンミッシェルへ行きました。旅行が趣味で、
定年前からよく海外旅行をしていると言ってました。見た感じも
話した感じも自由人という印象を受ける人で、生きるエネルギーに
満ち溢れていました。東京の板橋区に住んでいるそうで、
以前住んでいた所に近く、少し懐かしかったです。

パリで出会ったマサ27歳♂

最初のホステルでイキナリめちゃめちゃ元気な人と会いました。
最初の一言が、にこやかに「日本人ですか?」で、喋っていると
「いや~、久しぶりに日本語喋りました」なんて言ってました。
ダブリンから西へ行った田舎町にワーキングホリデービザで来ており、
最初は学校に通った後、今は旅をしているそうです。すごく田舎な
場所だけあって、日本人は他におらず、生徒のほとんどが
ヨーロッパの各国から来ていたそうで、そこで友達になった
イタリア人やらスペイン人やらの家を転々としながら、数ヶ月旅を
すると言ってました。マッサージ師の資格を持っているそうで、
イタリアの友達の家で開業しようかな~なんて事を冗談半分に
言ってましたね。一人旅は初めてではなく、東南アジアや
チベット、中国の南部などを回ったことがあるそうです。
その辺りの一人旅は大変だけどすごく面白いと言ってました。