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2008年8月27日水曜日

ミラノの紐売りのアップデート

ミラノでリストに紐をくくりつけてくれた人の様子を
YouTubeにアップしてブログに貼り付けました。

興味がある方はどうぞ

http://eutabi.blogspot.com/2008/08/blog-post_2530.html

2008年8月24日日曜日

タリンの罠

タリンでの2日目、あるファーストフードチェーンでコーヒーを
注文した時の事です。11時頃だったので、コーヒーの注文が
多かったのか、私が注文する番になった時、コーヒーサーバーの
コーヒーが丁度空になっていました。そこへ、私がコーヒーを
注文すると、店員は新たにコーヒーを作るべく、ドリッパーに
お湯を入れ、粉をセットしてコーヒーを作る準備を始めました。
そして・・・ コーヒーがドリップする場所にサーバーではなく、
なんとカップを置いたのです。スイッチを入れドリップが開始
されると、濃縮されたコーヒーがどんどんとカップに入っていき、
カップがいっぱいになると、入れ違いにサーバーを置いて、
カップは私の手元に。飲んでみると当然恐ろしいほど濃い。
私は濃いコーヒーが大好きですが、さすがに2リットルは入る
サーバー用の粉の分量を1カップにドリップされるのはきつかったです。

そもそも、そんなに簡単にコーヒーを切らしてしまうなんて事が
日本では考えられないですよね。

タリンでいろいろありました

リガ23:45発、タリン4:45着のバスに乗り、タリンに着いたのは4:00。
バス会社は単純に距離で時間を出しているらしいので、夜行バスはだいたい
早く到着する。

バスを降りると、そこは誰もいない寂しいバスターミナル。ユーロラインの
オフィスは幸いターミナルにあるようなので、次のバスの予約のためオフィスが
開く6:30まで待つ事になった。

ベンチに座ろうとターミナルを歩いていると、同じバスから降りてきたらしい
バックパッカーの女性が一人ベンチに座っていた。同じユーロラインパス保持者
かなと思い、話しかけてみた。

彼女はメキシコ出身でフランス在住の学生さんだそう。英語が堪能でネイティブ
と変わらない。1ヶ月ほどの一人旅でぐるっと中欧、北欧を回っているそうだ。
ターミナルは朝4時でまだ暗かったので、念のため朝が来るのを待っていた。
丁度よかったので、同じベンチに座り、夜明けまでしばらく一緒に話して時間を
潰していた。最近、こういった機会では会話が弾むようになり、なんとなく
会話を通じて信頼関係が築けているような気がする。ほんの2時間ぐらいの
出会いだったけれど、メールアドレスを教えてくれ、いつかまた会えそうな
雰囲気を感じた。

朝6:30、ユーロラインズの次のバスの予約をしに行くと、タリンから乗れる
バスはドイツ行きの便だけ。一応ネットで調べて知っていたが、ネットの
情報はあてにならない事が多々あるので、常にオフィスで確認するのだが、
情報は正しかった。そして、悪いことにバスが満席でタリンに4日間も
滞在する事になってしまった。まぁ、ヘルシンキも近いし、オプションは
色々考えられる。物価もきっと安いだろうし。

タリンのバスターミナルにツーリストインフォは無かったが、旅行者向けの
PC端末が置いてあり、宿情報を見たり、予約したりする事ができる。
とりあえず4件ほどホステルの情報を写し、オールドタウンと言われる
旧市街地へ向かった。タリンは町が小さいからだと思うが、ほとんどの
ホステルはこの旧市街地の中にある。プラハとかでは考えられない事だ。

旧市街地に点々としているホステルを回ると、控えていた4件は全て満室。
もう夏も終わりのこの時期に満室になるとは思っておらず、驚いたが
理由はすぐに納得できた。土曜日である。タリンにはヘルシンキから
1時間半~2時間半、ストックホルムから17時間ほどで来ることができる。
それに豪華客船が入港しているのも関係しているらしい。当然、
「タリンでは宿が足りん」なんてくだらない事を言ってる余裕も無く、
テント無しの野宿では夜は10度まで下がる気温に耐えられるはずも
ないので、諦めずに宿を探す。

朝8:00、あるホステルで今自分が置かれている状況を説明すると、
うれしい事に宿探しを手伝ってくれた。彼女が知っている近くの
いくつかのホステルに電話を入れてくれ、空きが無いかを確認して
くれた。そして、結局空きは無かったのだが、引き続き私が探せる
ように、ホステルのインターネット設備を無料で使わせてくれた。

朝10:00までネットで探し続けたが、空いているホステルは無かった。
次の頼みの綱はツーリストインフォ。週末は10:00に開くので
ホステルの受付の子にお礼を言ってインフォにすぐに向かった。
これだけホステルに空きが無いと、まだ空きがある場所は早い者勝ち
になる。朝10:00でまったく空きが見当たらないので、午後まで
もたもたしていると、まず泊まるところは無くなるだろう。

ツーリストインフォでは宿泊場所の案内はしていなかったが、
宿泊案内をしてくれる機関を2つ教えてくれた。1つは国の運営、
もう1つは民間の運営。まずは、民間で運営している方が目の前に
あったので、そちらに行ってみた。

民営だけあってフレンドリーでイージーゴーイングな雰囲気。
先客があったが、お構いなくこちらの用件を伝えられた。
「空いているホステルが見つかりません。どこかありませんか?」
すると、先客だったオランダ人が少し驚いたように、「そんなに空きが
無いの?」と聞いてきたので、それまでの経緯を話してあげた。
このオランダ人はヘルシンキに在住で、ふらっとタリンに1泊の予定で
遊びに来ているとの事だった。

案内所では、何箇所か宿泊場所に電話をしてくれたが、結局見つからず、
諦めて国営へ行ってみようかと考え始めた頃にスタッフからある提案を
受けた。

「2人でツインはどう?」

ちょっと予想していなかったのと、オランダ人の反応がイマイチだった
のもあり、どうしようかと迷っていると、スタッフはお構いなく
ツインで探し始めた。そして、あるホステルでツインが空いていたので、
とりあえず部屋と値段を見に行く事にした。エストニア人の積極性には
驚くばかりだ。

案内所から紹介してもらったホステルまでは多少距離があり、この
オランダ人と話しながら向かっていると、驚いた事に彼はIT関係の
仕事をしていて、コンサルタントだと言っていた。「エスエーピー
って知ってる?そこで働いているんだ。」と聞かれたが、「ASPなら
知ってるがSAPは聞いたことが無いよ」と答えた。後でネットで
調べて、私の返答がとても馬鹿な物だったと判明してしまう。(笑

ホステルに着いた頃には2人とも打ち解けており、値段も1人250クローン
だったのでここに宿泊する事にした。こちらの人は合理的であれば、
大抵なんでも気にしない事が多いが、知らない男同士でツインというのは
こちらの人にとってもやはり違和感があるらしい。なので、今回の
ケースは本当に稀だと思う。

お互いIT関係だったり、彼は仕事でタイに住んでいた事があって
アジアに多少興味があったりで意気投合し、その後は観光も食事も
ずっと一緒に行っていた。性格はおとなしくまじめで、多少の
ユーモアがあり、なんとなく私と似た感じだったと思う。

会話の話題は色々な事に及ぶ。旅の事についてから、日本やオランダが
抱える社会問題、コスプレ(笑、小野についてなどなど(彼は
ロッテルダム出身)。そして、夕食の後ビールに誘ってくれ、
お酒が入ると、最初は意識的に面白い話をしようとしているのに、
いつの間にか仕事の関連について話題が向いていて、
日本も外国も一番の関心事は自分の仕事なんだなぁと
感じる一面だった。

結局、出会ってから次の日にヘルシンキ行きのフェリーターミナル
へ見送るまで、ほとんどの時間を一緒に過ごし、そしてほとんど
喋っていた。

見送った後、ベルギーの人達と別れた時のような、ちょっと
だるくなるというか、何もする気になれない、そんな感じに
なっていて、そんな自分に改めて驚いてしまった。

2008年8月23日土曜日

リガは雨

リガで手に入れた日本語のパンフレットには「リガ」ではなく「リーガ」
と書いてありました。

朝、バスターミナルに着いてから、降ったり止んだりを繰り返して
16時以降はずっと雨です。リーガはこれまでの観光地とはちょっと
違っていました。これまでの観光地の印象は、そこに住んでいる
人達とは少し離れた場所にあり、観光場所だけを巡っていると
暮らしの匂いがする場所に入る事はありませんでした。それが、
リーガでは暮らしの匂いを直ぐに感じ取ることができます。

バスターミナルを出て、左に行くと観光地、右に行くと市場が
あります。市場ではお肉、野菜、果物、衣類、靴、CD、花、
洗剤など生活に関わるものが何でも売っており、特に私が
驚いたのは売っている花の美しさでした。何故だかわかりませんが、
日本で見る花よりも鮮やかに見え、花ってこんなに美しい
ものだったかな、と花が売ってあるセクションで30分ぐらい
うろうろとしてました。ちなみに花屋さんだけで20件以上は
あります。

リーガの印象は簡単に言うと、ヨーロッパを少しボロくした
感じです。壁が崩れたりしている未修復の建物が多数みられます。
ただ、私はその土地の経済力を車で見ようとするんですが、
リーガでは以外に大き目の普通車や10年以内に購入された
ような型の車が多く走っていました。タクシーも外見で
乗り心地のよさそうな車ばかりです。そして、交通渋滞が
頻繁に起きるほど車が多いので、リーガは私が思っていたほど
後進な国ではないようです。

観光地としては、あまり人気が無いのか、それとも国の方針で
制限されているのか、ファーストフードはマクドナルドしか
見かけません。お決まりのケンタッキーやSubwayはあるのかも
しれませんが、看板を見ませんでした。普通は人気がある観光地
ならば色々なファーストフードが進出しています。

旅する理由あれこれ

雑談する中で、「何で旅をしようと思ったのか」について聞くのは
定番になっています。学生は単純に、夏休み中だからというのが多いです。
社会人は旅行が趣味だったり、転職前に空いた時間ができたから
といったのが多く、定年後の楽しみとしてというのもありました。
あとは、ヨーロッパに住んでいる途中や住みに行く前のついでに
旅行していたりするようです。そうそう、結婚する前の最後の旅行
ってのもありましたね。

私がそういった機会に言うのは「なんで生きているかわからなく
なったから」です。日本で言うとドン引きかもしれませんが、
こちらだとあまり引かれません。でも、あまり深く話そうとする人も
いなくて、「みんな色々な理由で旅してるんですね~」みたいな
感じになります。

これまで1人だけ静かに、そして真剣に語り合ってくれる男性が
いて、面白かったです。まだ学生さんですが、デザイン系の方面を
目指しており、色々な事に興味が尽きないようで、「IT関係の
仕事をしていたけど、それをメインで仕事をするのは辞めようと
考えてる」と聞いて、「何で?どうしてそう思うようになったのか?」
といった感じの質問をされました。まったく違った方面の人は
やはりまったく違った視点を持っていて話すのがすごく新鮮でした。

旅で出会うというのは職種が関係ないので面白いですね。

2008年8月22日金曜日

時計買ってくれよ(リガ)

リガのマクドナルドでタリン行きのバスを待っていると突然、
「これいい時計だから買ってくれよ」と話しかけられた。「は?」
と思いながら、

私:「もうすぐバスで国外に出るから少しの小銭(440円)しか持ってないんだよ」
やつ:「ユーロがあるだろ」
私:「銀行からいつも下ろしてるから無いよ」
やつ:「じゃ、銀行行けよ」
私:「そこまでして欲しい時計じゃない」
やつ:「いい時計だぜ」
私:「いらないから」
やつ:「じゃ、1ラットくれ」
私:「この小銭は最後にハンバーガーを買うために残してるやつだからやれん」
やつ:「・・・」

そして、去って行った。
最初っからイラナイと言うべきでした。

2008年8月21日木曜日

出会うとどうなる

ヨーロッパのバックパッカー旅行でどれほどの日本人に出会うかと
思っていましたが、結構たくさんの方に出会います。
(でもそれ以上に、韓国人女性のパッカー率に驚きました)

こういった旅で日本人の方と出会うと、自然に会話が始まります。
主に旅行に関する話で、色々と情報交換したりします。
これも旅の醍醐味の一つですね。

私は今回の旅で怖い思いをした事が無いのですが、やはり
色々な犯罪が起きているようで、話を聞くことでまた
気を引き締めなおしたりしています。

2008年8月20日水曜日

プラハでバスに乗り遅れた件について

酒に酔ってたんです。普段あんまり飲まないのに、出発の
3時間前に500mlx3を飲んで少しうとうとしてました。
気がつけば19:45。バスの時間は21時。当然あわてて
中華料理屋に行って、テイクアウトで焼き飯注文して、
ホステルに戻ったわけです。そして、荷物をまとめて
ホステルを出たのが20:10。最初はトラムでの移動を考えて
いたんですが、トラムを待つ時間が惜しく、最短距離を
歩いていくことにしました。まぁ、歩いて15分ぐらいの
距離。。。のはずでした。案の定、そこには酔っ払いの
落とし穴が。。。かばんの中に入れてあった地図が見つからない。
じゃぁ、仕方が無いので勘で行ってみようと、西北西を
目指して出発。歩いて5分で公園らしきところに当たり、
そんな公園は記憶に無かったので、これを右に曲がって
まっすぐ。この道、ひたすら登り道で、早歩きで必死に
上っていると汗がかなり出てきました。そして曲がって
から10分経っても、公園の終わりに辿り着きません。
何か間違っている気がしてきたけれど、とりあえず
最後まで歩いてみようとがんばってみました。
そして20:30に公園の終わりに到着し周りを確認すると、
バスターミナルがある様子はまったくありません。
もう一度改めてかばんを確認すると、出てきました、地図が。
悪い予感は的中し、まったく別の場所にいました。
ターミナルの場所はこの公園の反対側で、ここで
半分諦めてしまいました。しかし相手はユーロライン、
遅れてくるかもしれないので、とりあえずまた
ターミナルを目指します。

5分間の休憩をとって再び今度は公園の中をまっすぐ
進んでいきます。が、この公園の長いこと長いこと。
幅は多分100mぐらいなんですが、長さは相当です。
さっき坂道を登っていたこともあり、ほとんど体力が
残っておらず、公園の中間を過ぎたぐらいで21:00を
迎え、90%諦めモードになり、もう一度10分の休憩を
取りました。この時間帯の公園は多少寂しい感じですが、
ジョギングしている人がちらほらいて、あまり怖い
印象はありませんでした。あと、少し高台になっていて、
夜景がとても綺麗だったのが頭に残っています。

再び歩き始め、やっと反対側に辿り着き、バスターミナル
に着いた時には21:30で、オフィスで確認すると、
やはり既にバスは出発していました。残念。
ユーロラインパスで予約して乗り過ごしたので何か
ペナルティーがあるかと思いきや、ペナルティーは無く、
直ぐに次のワルシャワ行きの便を予約できました。
次のワルシャワ行きは2日後の同じ時間です。同じ失敗を
しないように気をつけねばいけません。

自分を戒めるため、この日は野宿をする事に決め、
バスターミナルで寝る体制に入ると、30分ほどで
ポリスに起こされ「ここでは寝ちゃいけないよ」
「荷物には十分気をつけるように」とやさしく
注意されました。バスターミナルやトレインステーション
は置き引きが非常に多いのかもしれません。
ターミナルで寝れないとなり、次に向かったのは
さっき通ってきた公園です。公園の脇に丁度寝やすそうな
平地があったのでそこに向かいます。

目的地に到着し、辺りは真っ暗です。公園からの明かりが
多少届くか届かないかといった場所で、多分だれも来ません。
でも、ビール瓶が少し落ちていたので、来るのかも。。。
月がほぼ満月のようで、空を見上げると気の枝が影となって
空に映っているように見えました。寝袋を取り出して
横になっていると、今日あった事を色々思い出します。
気温は丁度良い涼しさで、集ってくる虫もいません。
遠くで犬が鳴いたり、車の走る音がしたり、電車の音が
聞こえたり、いつも寝ているベッドとはかなり違った
雰囲気です。

いつの間にか寝てしまい、起きると5時半になっており、
何事もなく朝を迎えました。もう一日滞在が残っている
ので、少し公園を散歩した後、また一昨日泊まった
ホステルへ向かい、その日の宿を取りました。

教訓:バス停への移動は計画的に(笑

2008年8月19日火曜日

チェコの街

ここに来るまで私がチェコに関して知っていたのは、サッカー選手の
ネドベドを排出した国であるということぐらいでした。プラハの街を
歩いてみて少し知識がプラスされました。

プラハと言えば。。

旧市街地の古く美しい町並み、新市街地の賑やかな町並み、
緩やかな丘の続く街では高台から景色を楽しめ、
カジノが多くギャンブルには困らない、
バーが非常に多く、庶民派中華料理屋もこれまた多い。
夏はヨーロッパ中から観光客が訪れ、それを目当てにした
外資系のホテルやファーストフードが多数進出している。

そんな街です。

2008年8月18日月曜日

今回の旅について考える

飲んでます。プラハの郊外のバーで1杯24クローネ(約1ユーロ:170円)
の大ジョッキを飲みながら書いてます。最近ビールをよく飲むように
なりました。写真

昨日予約していたバスの時間(21時)に乗り遅れてしまい、プラハに
もう2日滞在する事になりました。なんとも情けない話ですが、遅れた
のは道に迷ったせいです。本当は15分もかからない道のりを1時間半
かけて辿り着きました。ちなみにその日も飲んでました。

プラハの観光もトラムの旅もしてしまったので、今日も天気は良い
のですが、少し腰を据えてバーで飲みながら今回の旅について
考えてみようかと思いました(月曜昼の3時)。

何をしている人たちか知りませんが、なぜかバーにはちらほら
若者からおっさんまでが飲んでいます。この時間に。チェスを
する人、ノートパソコンをいじっている人、カウンターで会話を
している人など色々です。あと、マリファナをしている人も
いるようで、アムステルダムで嗅いだあの匂いがします。

さて、今回32歳という年齢でバックパックの1人旅を始めた訳
ですが、何か私の心に進展があったでしょうか。

旅を始めたきっかけを言葉で説明するのは難しいのですが、
簡単に言うと「自分が生きている事に感動しなくなった」
だと思っています。この言葉だけ見ると明日にでも自殺しそうな
感じですが、そんな事はなく自殺には興味はありません。
生きている事に感動がないというのは多分、自分の周りで
起こっている物事に興味が無くなってしまったことから
始まっていると思っています。例えば食事。食事をする際に
おいしい物を食べたいと思わなくなる。食事に興味が
無くなれば食べるものは何でも良くなる。誰かと食事しに
行っても食べたい物が無いので一番安いものをオーダーしたり、
一緒に行った人に決めてもらったりします。自分を着飾る
事にも興味がなくなります。自分を着飾るというのは
自分を表現する事。でも、誰からどう見られるかまったく
興味が無く、また自分の興味がどこにも無いので表現する
必要もありません。そのため指輪やタトゥー類は付ける気に
ならず、服装は至ってシンプルになります。興味が無いこと
に関して書けばキリがありません。

元々こんなに興味の無い人間だったかというとそうでもありません。
大学を卒業するぐらいまでは相当に色々な事に興味を示し、
かなり行動的でした。例えばサッカーが大好きなので、
すばらしいプレイヤー達の試合を見たり、自分でプレーを
したりしていました。それがいつの間にか好きだったハズだから
試合を見たりプレーしたりするようになっていました。
他には競馬が大好きでした。ブラッドスポーツと呼ばれる
競馬にはギャンブルの観点より、血統や個々の馬の生き様に
惹かれました。興味がある時期は何百頭という馬の名前を覚え、
血統ラインを暗記したものですが、今は1頭の名前を覚える
のも難しいです。

物事に興味が無くなるというのはすごく辛い事です。
なぜこんなことが自分に起きているのか不思議です。
この状況から脱出するため、かつて欲しかったものや
好きだった事を買ったり行ったりしましたが、
結局使わなかったり、続かなかったりで、状況は変わりません。

今回の旅にもそれほど期待している訳ではなく、多少の変化が
あれば良いなと思っています。まぁ、当たり前の事なんですが、
人生を楽しく生きるのは全て自分自身にかかっていて、その
演出を自分でどれだけできるかなんですよね。旅をしながら
人々を見ていて、それだけははっきりと見て取れます。

これから将来、日本では私のように自分の興味がどこにあるか
判らないという人間がもっともっと増えてくると思います。
ある意味、私は悩める人々の最先端を行っているのかもしれません。
旅をする事は多少なりとも人生観に影響をもたらしていると
思います。特にヨーロッパという場所はたくさんの国が
存在し、西欧、北欧、東欧、ギリシャやトルコを巡ると
色々な価値観に出会うことができます。世界は日本を中心に
回っているわけではない、そんな単純な事が新鮮に感じます。

ところでこの旅をしている途中に将来達成したい事が
出てきました。それは母親をチェコに連れてくる事。
私はこれまで親孝行をした事がありません。学生時代散々
親に迷惑をかけておきながら、何もしてあげたことが
無いのです。学校を出してもらったおかげで、英語が
話せるようになり、コンピューターの知識を得る事が
でき、色々な可能性を広げる事ができました。

母をチェコに連れてくる事、これが当面日本に戻ってからの
目標になりそうです。

人生とは

人生という漢字を考えた人は「人が生まれる」で人生と書いた
のか、それとも「人が生きる」で人生と書いたのか、どちら
だったのでしょうか。

英語で言うならLifeですね。でもLifeと単純に訳してしまう
のも何か違うような気がします。ゲームなどでは日本で言う
HPと同じ使われ方しますし。どちらかというと生きていること
をLifeと言うのかもしれません。

人生ゲームなんてものがありましたが、よくできたネーミング
だと思います。でも、ゴール=死ぬ事ではなくゴール後は
生きてきて得た様々な経験や物をお金に換算して勝敗を
決めます。

自分の考えとしては、生きている間、楽しく過ごせられれば
それが一番すばらしい生き方だと思います。楽しく過ごせる
かどうかはその人の楽しく過ごすための行動をどれだけ
行っているかによるのだと思います。当たり前なんですが、
なかなか実践できない。

考えれば考えるほど難しいテーマです。

カード社会

ヨーロッパのプライスレスな旅にはビザカードが不可欠です。
カード社会とはよく言ったものですが、日本に比べて
ヨーロッパのカード利用率は相当高いのではないでしょうか。
日本では携帯電話や公共料金の自動引き落とし、ネットで
商品を購入した場合、ガソリンの購入などでカードを使う
のが主流だと思っていますが、こちらではほとんどなんでも
暗証番号付のカードを利用しています。
日本ではカードがそこまで利用されなかった事が新たな
サービスを呼び込んだのかもしれません。電子マネーは
皆さんよくご存知だと思います。最近よく日本で聞く
ようになったと思いますが、ヨーロッパでは今のところ
耳にした事がありません。まぁ、日本のように下地となる
コンビニや自動販売機が無いので、そちらが理由かも
しれませんが。

2008年8月16日土曜日

ベルリンの思い出

ベルリンに着いた朝、熱が出た。多分38℃はいってない。でも、
体はダルい。次のバスの予約をしなければならないが、良い便
が無くなかなか決まらない。熱のせいで思考能力が低下している
のか、決めるのに2時間もかかった。宿を探すため地下鉄に
乗ろうとするが、ベルリンの地下鉄はやたら複雑で、途中で
3度も乗り換える必要がある。初めてここの地下鉄を使う場合、
そうとう迷うに違いない。それとも熱のせいでややこしく
見えるだけなのだろうか。。。
地下鉄で移動中、次に乗る必要のある路線が工事中である
ことが看板に書いてある。だが、ドイツ語なので、詳しくは
わからない。工事中の路線を使えないとなると、目的地に
行くには相当回り道をする必要がある。ダルい体には酷い
仕打ちだ。パリの地下鉄網もたいがい酷いが、ベルリンも
負けてない。と思う。
やっと宿に到着。ベッドも問題なく取れた。さて、朝から
何も食べていないのでキッチンへ。一昨日の夜、
コペンハーゲンYHで大量に作っておいたスパゲティーが
やっと食べられる。電子レンジでチンしてチーズを。。
流石に一昨日に買ったチーズを冷蔵保存なしで使うのは
怖いかな~と思ったが、見た感じ大丈夫そう。エイやっと
振りかけて、混ぜてパクリと一口食べてみる。味は大丈夫だが
麺に粘り気が。。。腐りかけ?と疑問を抱くも味が大丈夫なので、
二口、三口と食べていく。ネチョネチョパスタ。例えて
いうなら味はミートスパゲティ、食感は完全にのびたパスタ
と納豆のネチョネチョ。微妙な気持ちで食す。

そして悲劇が訪れる。

パラメゾンチーズにカビを発見。よく見ると結構カビて
らっしゃいました。熱のせいで良く見えなかった?
速攻ゴミ箱へダンプ。

さて、この後お腹が痛くなったりするのかどうか心配で、
吐いてしまうかどうか悩んだが、自分の胃を試す事に。
丁度コペンハーゲンで、自分が常に持ち歩いている
ペットボトルを何気なく見たときに、飲み口の周りが
カビだらけだった事があり、それでもお腹は痛くならな
かった。多分今回も大丈夫だろう。

ベルリン、それは試練の土地。


(その日も、その次の日も、お腹は大丈夫であった)

風邪ひいた

コペンハーゲンに着いたとき若干ノドに違和感があったが、
YHで次の日、超久しぶりのベッドの中で朝目覚めると完全に
ノドが枯れていた。この日は夜行でベルリンに向かう予定
なので、観光はそこそこにしてYHのラウンジで体を休めて
いた。そして23:45にベルリンに向けて出発し、次の日の
朝6時に到着した。熱が出てた。体温計が無いので何℃かは
わからないが、多分37.5℃ぐらいだろうと思われる。鼻水は
出てないので気分的には少しマシだ。
ベルリンから次の便は相当悩んだ挙句2日後の朝の便で
プラハに行くことに決定。ベルリン観光に2日当てれる
事になり1日は安静にしようかと思ったが、天気もいいし
観光する事にした。
観光の際いつも持ち歩いているかばんは約5kgで、4~5km
歩いてもどうって事ないのだが、熱があると勝手が違う
ようで、短い間隔で歩いては休憩、歩いては休憩を
何度となく繰り返しながら観光を続けた。疲れてくると
考え方がネガティブになるらしく、何でこんな旅して
いるんだろうと考え始めたりしていた。
この日は19時にベッドに入り、翌日6時までゆっくり
寝ると熱は引き、代わりにノンストップの鼻水が
出てくるようになった。観光中、ティッシュでは
何枚あっても足りないのでタオルを持って行っていた
のだが、タオルでも足りなくなるところだった。
結局熱が出てから3日目に若干の余韻を残して風邪が治り
プラハでは久々に歩きに歩き回った。

熱が1日で引いたのはありがたかった。熱が続いて
しまうと体のダルさからどんどんやる気を失って
いってしまったかもしれない。

水道水あれこれ

水道水を基本的に飲んでいます。味は各国で多少違います。
パリ、ベルギー、イタリアの水道水の味はまぁ、あまりよくありません。
ルクセンブルグではましでしたが、人口が少なく自然が多い割にはパリやベルギーと比べて多少ましといった感じです。
チェコの水は良いほうだと思います。
オランダでは水が良く、ロッテルダムやアムステルダムは水のクオリティーが良いです。ミネラルを希望しなければ、水道水で十分いけます。
ジュネーブの水、最高です。冷たくておいしい。

2008年8月11日月曜日

ハンブルグの宿は

早朝、6時半到着予定のバスはいつも通り1時間半早い5時に
ハンブルグに到着した。夜行バスは立ち寄る場所が少なければ、
かなり早く現地に着く。こんな早い時間にも関わらず、
ハンブルグのユーロラインオフィスは開いていた。早速
予約しに行くと、7時に帰ってきてと言われ、仕方なくしばし
睡眠を取る。7時、次の便の予約を行う。目的地はコペンハーゲン。

ここでまた次の日の便は無く今日の便ならあるとのこと。
仕方が無いので、シャワーは諦め今日の便を予約した。
ウィーンで2回野宿、夜行で2連泊してきたが、これで
夜行3連泊が決まった。涼しいので2~3日はシャワー無しでも
問題ないが、5日となるとさすがに厳しい。ユーロライン
の旅はなかなか難しい。

2008年8月10日日曜日

Krakau半日

残念ながら私の願い叶わず、Krakauでシャワーを浴びる事は
できなくなった。朝4時半にKrakauに到着した私は、一寝入り
した後、ユーロラインのオフィスが開く9時と同時に次の
便の予約をしに行った。すると、希望していたチェコや
ラトビアへの便は無く、ドイツ方面の便があった。ならばと、
ドイツ方面で次の日の便があるかどうかを調べると、無い。
今日ならある。なんともまぁ、運が悪いのだろうか。仕方が
ないのでハンブルグ行きを予約した。時間は15:45発。
アウシュビッツの見学に2時間ほどしか充てられない。

また来るか?

2008年8月9日土曜日

野宿(ウィーン)

ウィーンで野宿。ブラティスラバから到着したのが19時半。バスから
降りてみると、やや街から外れた雰囲気。場所を確認すると、どうやら
南駅で降ろされたらしい。ユーロラインのオフィスを運転手に聞いて
みても、英語が微妙なのと、ブラティスラバ出身ぽくて近くにある
受付を指差されただけだった。明らかにユーロラインのオフィスとは
違う。ここはウィーンだし、街の中心に行けばインフォがあるだろうと
歩き出した。通り過ぎるトラムを横目にテクテクと2kmほど歩くと
だんだん騒がしくなってきた。どうやら国立オペラ座付近に出たらしく
このまま直進するとシュテファン寺院みたいだ。途中にインフォが
あるだろうと思い、両脇をチラチラ見ながら探してみるが全然ない。
21時半にシュテファン寺院到着。疲れたので休憩。回りは見せ物
やカフェが大賑わい。多分ここがウィーンで一番観光客の多い通り
なのだろう。インフォはもう閉まっているだろうし、ユーロラインも
どうせもうやってないだろう。本当はこの日のうちに次のバスの
予約をしたかったんだが。YHなどの安宿は今から歩けば2時間は
かかりそうな距離で、とても歩く気になれなかった。

ここはウィーン。治安のとてもいい国。そして、この観光客の
多い通りは賑やかで明かりが多い。おまけにシュテファン寺院の
ライトアップが鮮やかで、眺めもいい。ということで、そこに
野宿してみる事にした。決めたのはいいが、なかなか人が減らない。
24時を回ってやっと石の腰掛台から人が減ってきた。腰を掛けていた
状態から、横に寝そべってみる。寝そべりながらシュテファン寺院を
眺める。結構いい気分。1時に難関がやってきた。それは清掃車。
ものすごい轟音と共に何度も周辺を清掃する。1時半に清掃車は
どこか遠くへ。夜はぐっと気温が下がったので、ジャケットと
ジーパンを出して振る装備に変更。気温は多分14~15度ぐらい
だろう。何度か若者が騒ぐ音を聞いたりして目が覚めたが寝れた。
途中警察の巡回が何度か来ていたが、特に声もかけられなかった。
朝8時、警察にGood Morningと声を掛けられ、「身元チェックか?」
と思い起きたら、そのまま立ち去った。起きてれば良いらしい。
なんだろう、バックパッカーにやさしい国なのだろうか。

少し観光した後、インフォへ行きユーロラインの場所を聞くと、
歩きではえらく遠くの場所だった。仕方なくまたテクテクと
歩いて行き、15時頃にユーロラインオフィスに到着。次の
目的地Krakau、ケルン、ベルリンの開き状況を調べると、
ドイツは全滅。Krakauは委託先のバス会社があり、そっちで
聞いてくれと言われたが、開くのが17時。やっぱりここでも
ユーロラインの連携の悪さを実感する事になった。17時まで待ち
委託先の会社に聞いてみると、この日は一杯。次の日なら
席があると言われ、仕方なくその席を予約する。ここで問題に
なるのは、この日の宿。さすがにシャワーを浴びたかったので、
宿探しへ。ウィーン交通機関24時間載り放題のパスを買って、
安宿を回ってみるが、満室ばかり。そう、この日は金曜日で
魔の週末なのであった。パリと同じくウィーンも相当な観光地
なので、週末は特に混み合うらしい。高い宿に泊まるのは
長期の滞在に影響を及ぼすので、できない。仕方がないので、
この日も野宿を決める。

野宿先を探す前に、せっかくなのでこの時期に市庁舎前で
行われるフィルムフェスティバルを見に行くことにした。
無料のイベントだし混み合うだろうと21時スタートのところを
19時から会場で待つことに。19時は人がぽつぽつ。20時に
近づくと少しずつ人が増えてきたが、雨が少し降ってきた。
こちらの人は少しの雨では動じない。みんな傘やカッパを
着て待機している。しかし、運命の8時15分に大雨がやってくる。
私は大雨対策ばっちりなのでそのまま座っていたが、他の
皆様は一斉に退却してしまった。席に残っている勇者は
座席数1000に対して10といったところ。でも、私一人で
ないところに外国を感じる。大雨の中座っていると、
スクリーン裏にある市庁舎下に人影が見える。カッパも
傘もしていない様子。「ひょっとしてこの雨の中の野宿が
できるかもしれない」と期待感がでてくる。

雨の中フィルムフェスティバルが終わったのは23時半。
早速、市庁舎へ行ってみると、広い屋根と大きなベンチが
待っていました。まさに寝てくれといわんばかり。ベンチは
たくさんあり、辺りをみると既に寝ている人が5~6人いる。
寝袋で寝ている人もいる。「みんなホームレスには見えない
んだけど、なぜここで寝ているんだろう」などと他愛もない
事を思いながら横になった。シュテファン寺院前とは違い
ここは静か。ベンチも木のベンチで幅も広いので、寝心地も
なかなか良い。雨で濡れた靴と靴下を干して、眠りに着いた。
朝は7時に会場を掃除する人の音で目が覚めた。掃除機の
反対で空気を吐き出してゴミを飛ばす機械だ。掃除機と
同じく爆音を轟かせる。雨が降っていたにもかかわらず
乾いた靴下と靴を履いて、2ヵ所目の野宿場所を後にした。

ウィーンで2泊も野宿する事になるとは思わなかった。
次のKrakauでは絶対宿にとまるぞ!

2008年8月7日木曜日

ウェルカムトゥマイシティ

ジュネーブでびっくりしたこと、それはYHで滞在期間中市内乗り放題の
チケットをもらったこと。
ブラティスラバでびっくりしたこと、それはホテルで一晩につき50skの
税金を取られたこと。

ヨーロッパの夜は危険?

本などでヨーロッパの夜の一人歩きは危険だと書いてあることがあります。

町は昼と夜とで見え方がかなり違います。そのため夜の町を撮りたいと
思うことがありますが、10時や11時にやっと暗くなるところばかりです。
あまり遅くなるのは危険かなと思い、以前は外出を控える事もありました。

いつも宿やインフォで「夜出歩いても危なくないか」と聞いてみるのですが、
その度に笑われます。安全だよって。

ん~ ちょっと拍子抜け。

PR Bratislava

町の中心でホットスポットの提供をしています。
ありがたく使わせてもらっています。
夜の10時半だというのに、回りのベンチにノートとにらめっこしている人が他に5人(笑

天気と温度

7月前半から中盤は曇りがちな天気が続いていましたが、7月後半
から8月前半はずっといい天気です。旅行の最初のうちは、寒くて
長袖が欠かせませんでしたが、最近はTシャツに短パンが主流です。
暑いのは暑いんですが、日本の暑さとは比べられません。気温も
30度前後ですし、湿度もきっと低いです。朝起きるとノドが
カラカラなんて事も場所によってはあります。

同じヨーロッパでも南にいくとやはり暑いようで、8月3日にいた
ミラノでは歩いているだけで汗をかきました。それに比べて、
8月6日に歩いたブラティスラバでは汗をほとんどかかないです。
まぁ、ミラノも「うだるような暑さ」とは無縁ですけれども。

これから更に北に上がってみる予定なので、気温がどのように
変化するか楽しみです。

タバコのポイ捨て

今、日本の大都市で厳しくなってきているタバコですが、
ヨーロッパではそれほど厳しくありません。当然地下など
煙の逃げ場の無い所で吸っている人はいませんが、歩道なら
どこでもOKです。そして、ポイ捨てOK?です。更にポイ捨て
する際に火を消しません。道路側に投げ捨てる事が多いので
多分消さないのが普通なのかもしれないです。昔から石の
つくりが普通で燃え移る心配がないからでしょうかね。

ヨーロッパの喫煙者が東京に行ったら、混乱するかも
しれません。

2008年8月5日火曜日

アルバータ出身の青年

ジュネーブYHでカナダのアルバータ州出身の青年と話す機会があった。
彼も長期の旅行中で、7月20日に始めたばかりだそうだ。あとどのぐらい
旅をするのか聞くと、9ヶ月との答えが。私が4ヶ月でかなり驚かれるのに
彼は9ヶ月というので、私が驚いた。「よくお金が続くね」と聞くと、
「アルバータはオイルマネーでリッチなんだ」と教えてくれた。私が
カナダに滞在していた頃はまだ消費税があったが、無くなったらしい。
あまり具体的に聞くのも失礼かと思ったので、それ以上深くは聞かなかった。
アルバータ出身で彼のような人はたくさんいるらしい。食事も制限
している様子がないので、多分1日30~50ユーロ出費していると
思われ、相当予算があるんだろうな。

オイルマネー恐るべし。

2008年8月4日月曜日

日本の飲食店の安さ

ランチを気軽に食べる、そんな事が日本ではできます。
ヨーロッパに来てからランチはほとんどパンを買ってます。
パンにつけるペーストはYHから少し拝借してます。

1食あたり500円~1000円(3ユーロ~6ユーロ)という破格の
値段で食事が提供できるのは、日本独特の早い回転率にある
のでしょう。私がサラリーマンだった頃1時間ゆったりと
食事をする事はなく、店に入ってから15分~45分で食事を
終えて出ていました。ラーメンだと更に相当早いですね。

日本ではとにかく「安くてよい店」だけを探し回って
いましたが、今はなんだか色々なお店にランチを食べに
行ってみたいと感じてます。

ミラノ

あっという間に来てしまいました。これだけ南に下がると、日が暮れる
時間も多少早くなってます。イタリア語まったくわかりませんが、
ボンジョルノ~とグラッチェは結構自然にでますw。ボンジョルノと
ボンジュールは似てますが、イタリア人はフランス人ほど挨拶を
交わさないようです(スーパーなどでの経験から)。まぁ、1日だけ
ではイタリアについて語るには早いですね。旅の後半でイタリアは
じっくり来るつもりなのでその時にまた感じたことを書きたいと
思います。

ミラノYHに着いてまず向かったのは、サンシーロ。YHで聞くと
なんとサンシーロまで歩いて30分の距離という近さだったので、
真っ先に向かいました。すばらしい晴天に恵まれ、これ以上無い
コンディションです。

長い並木道を進んでいくと見えてきましたサンシーロ。でっかいです。
建物はとても美しく、ただのサッカースタジアムとは思えません。
1週していると、朝の8時半頃だというのに、ちらほらと他にも観光客が
歩いてました。時期によってはスタジアムツアーもあるようで、
「TOUR 14ゲート」みたいな張り紙がしてありました。しかし、
開いている様子はなく、時間の知らせもなかったので、今の時期は
やっていないのだろうと勝手に判断しました。それに、芝も張替え
途中のようで、無造作に剥したした芝が外の駐車場に置かれており、
芝抜きで見学しても美しさ半減かもしれません。
(今ネットで調べたら10時に開くそうです。)

サンシーロを後にした後は市内観光をしにDUOMOへ。その後
スフォルツァ城へ歩いて行き、「最後の晩餐」を見ようとCenacolo
Vincianoまで行ったのですが、2週間先まで予約でいっぱいだ、と
断られました。予約するならこのナンバーへ電話して、と
番号を渡されあとは相手にしてくれません。まぁ、想定の範囲内の
出来事なので、本当の目的地であるダ・ヴィンチ記念国立科学
技術博物館へ足を向けました。と・こ・ろ・が、入り口に
「改装中」
の文字が見え、再オープンは9月15日だとか。。。。。これは当然
想定の範囲外で、本来なら一日ほとんどをここで過ごそうと思って
いただけにショックでした。仕方が無いので、しばらく市内観光を
する事にして、違うルートからDUOMOまで戻り、ちょろちょろと
歩いてました。

DUOMO前でボーっと立っていると近寄ってくる人が2種類います。
1つはモロッコ系?のハト豆をもった人。とてもフレンドリーで、
「ハトに豆あげてみなよ」みたいな感じで豆を渡してきてきます。
もらった豆をばら撒くと回りのハトが一斉に食べに来て楽しい
ですが、その後お金を要求されます。好きなだけ渡せば良いですが、
50セントぐらいが相場みたいです。私みたいにボーっと立っていると
足元に豆を撒かれたり、写真を撮ってあげると言って、撮っている
間に豆をまかれたりしますw。いやな人は完全無視か常に歩き続ける
事で避ける事ができます。
もう1つは紐を持ったアフリカ系の人。私が相手したのはセネガル
出身だと言っていました。こちらもフレンドリーでボーっと
立っていると突然横にいて、手首に紐を巻いてきます。いらない
と言ってみると、「アフリカのグッドラックのためなんだよ」
みたいな、よくわからない事を言ってきて、手首から取れない
場所で結び目を入れ、余った部分を切ってしまいます。その後、
お金をせびられます。これもまた50セントが相場みたいです。
こちらは結構しつこいので、避けるにはいらないとはっきり言った
ほうが良いみたいです。私は手首に巻かれた後、お金を渡すのは
あまり好まないので、代わりに何かないかカバンをみてみると、
100円ショップで買った調味料ボトル「ひと押し計量ボトル」を
を丁度もっていたので、「友好の印として代わりにこれを
あげるよ」と言って渡してみました。すると「それより金を
くれ」と言うので、「このボトルが遠い日本からシンガポールや
ヨーロッパの各都市を私と一緒に旅行してきた大切なボトル
なのだよ。でもMade in Chinaだけど」などと説明していると
回りからお仲間が3人ほど集まってきて私たちのやり取りを
見ている様子。お仲間さん達はみな苦笑い。1人はちょっと
ボトルに興味がありそうだった。結局10分間そんな感じの
やり取りをしているうちに、「お金をくれるのか、
くれないのか、どっちなんだ」と言うので「お金はあげない」
と答えると皮肉で「サンキュー」と3回ほど言って去って
行きました。ちなみに、彼らに一切怖い感じはありません。

皆さんはどう対応しますか?50セント払ってとっとと
厄介払いします?それとも、近づいてきただけで、腕を
隠しますか?


ターゲットを探している様子


お金を貰うところ


くれる紐はこんな感じ

英語のレベル

ヨーロッパを旅行していると、自分の英語のレベルがどこら辺に
あるのか良くわかります。なぜかというと、さまざまなレベルの
人に出会うからです。バスの受付、ホステルの受付、ドミトリーの
相部屋で会う人、道を尋ねる時に話す人など色々な場面に遭遇し
それぞれレベルはバラバラです。今は観光シーズンなので、英語が
母国語の人と遭遇することもよくあります。

英語のレベルを体感で言うと、

・英語が母国語同士の会話を聞くとき、何を言っているか理解できない。
・こういった人たちが私と話す時は理解できるが、喋るスピードが早いため、こちらが話す時は少し焦ってしまう。
・英語を教養の範囲で第二言語としてマスターしている人とは一番話がしやすい。

喋っている事が理解できないのは結構きついです。TOEICで聞く
会話とドミトリーで聞く会話は、まるで別物です。

鼻炎

鼻炎持ちです。仕事を辞めてから田舎でゆったり過ごしていた時は多少
収まっていたのですが、旅行を始めてからは結構症状がでてます。
長期の旅行という事もあり、色々な事柄が原因になっているのでしょう。

鼻炎のひどい時は1日中鼻水が出続けます。そして、くしゃみを連発する
ようになり、一気に体温が上昇して、体がだるくなります。だるくなると
頭がボーっとして、横になりたいと思うようになります。仕事をしている
時は、この症状が出ると仕事にならず、まわりの方に大変ご迷惑をかけ
ました。今も、仕事復帰したときに、鼻炎の事が心配でなりません。

上記のようにひどくなるのは通常1週間に1回程度で、ヨーロッパに来て
からも1週間に一回程度のままです。ただ、朝晩が冷えるせいか、目が
覚めてから1~2時間は鼻がでます。

1つ不思議な事があります。寝てる間は一切鼻水は出ないんですよね。
どれだけ寝る前に酷い鼻炎の症状が出ていても、眠りについた後は
止まっているようなのです。そして、目が覚めた途端にまた鼻水が
出始めるのです。こんなに極端に変わるということは、脳の伝達の
一つで出たり止まったりすると思うので、その伝達を意識的に操れれば
うれしいのですが。

2008年8月2日土曜日

旅と宿とインターネット

宿に着いたときに一番最初に確認すること、それはベッドがあるかどうか。
夏のバケーションシーズンでは予約でいっぱいになっていることもしばしば。
行き当たりばったりで着いた所で宿を取って、気ままにぶらりと旅をする
時代は終わったようです。最近はインターネットで予約を行うのが主流で、
人気の場所は数日後まで予約でいっぱいになります。今までのところ、
断られたのはパリ、ブルッセル、アムステルダムの3ヶ所。パリでは
週末のせいか複数の場所に断られました。立て続けに断られると、
重たい荷物を持ったままでの移動となるため、かなり堪えます。しかも、
宿を探すだけで半日かかってしまったりするので、時間がもったいなく
なります。しかし、宿からしてみれば予約していない方が悪いので、
どうしようもありません。

旅のスタイルも時代とともに変化しているのですね。

昔は電話、FAXでの予約が主流だったのか、それとも私のように
宿に直接来る人が多かったのか、どうだったのでしょうね。

2008年8月1日金曜日

ストラスブールのマクドナルドにて

チキンです。

チューリッヒでは次の予約がどうなるか判らなかったので、
ストラスブールに来ています。ユーロラインのタイムテーブルは
オンラインでチェックできるのですが、システムが落ちまくりで、
オフィスが無いチューリッヒでは立ち往生する可能性があります。
ストラスブールでもユーロラインの情けない状態があったのですが、
それは別の日にブログに書きます。

今日はストラスブールのYHに宿を取りました。そこの方が
「インターネットならマクドナルドで使えるよ」と教えてくれ、
試しに来てみると問題なく使えてます。

とりあえず次の目的地をミラノに決め、バスのチケットも問題なく
取れました。その次は。。。 リヨンかブダペスト辺りのチョイスに
なるかと思います。

日本のバスと比べシートが大きく、リクライニングもかなりの
角度まで倒れるとはいえ、バスの中で寝ると多少疲れます。
しかし、1泊分の宿代が浮くのはかなり大きいです。浮いた分で
食事が豪華に(笑