観光客、特に日本人がイスタンブールの旧市街地を歩くとすぐに声を
かけられます。アジア人であれば「こんにちは」、それ以外であれば
「Hello」と、数十メートル歩く度に聞こえてきます。それを聞いて
振り返えれば、お約束の世間話の後、たいていツーリストオフィスか
絨毯屋に連れて行かれます。行った先ではチャイを出してくれて、
ツーリストオフィスではツアーの説明、絨毯屋では絨毯についての
ウンチクを語ってくれます。冬で暇だったのもあるかもしれませんが、
私が連れて行かれた先では、本当にじっくり世間話や絨毯の説明を
してくれました。最終的な局面で買う、買わないの所になると、
彼らはかなり一生懸命押してきます。そして、買わないと伝えると
中には怒り出す人やあからさまに嫌な顔をして態度が変わる人が
多いです。こちらからすれば声をかけられたから、話をしてたの
ですが。
他にも、ベンチに座っていた際にトルコ人に話しかけられて会話を
した時の事ですが、旅の話になり、貧乏旅行をしていると伝えると、
突然「なぜお金を持たないで旅行をするんだ!」と怒り始めた事が
ありました。彼の親戚がキリムを売っているらしく、その勧誘を
したかったはずが、私という外れくじを引いたため怒り出したのだと
思います。
これは珍しいパターンですが、ある日宿を探してきょろきょろと
していると、トルコ人に話しかけられました。握手を求めてきた
ので握手をすると、手を握ったまま10mぐらい離れた彼のファースト
フードレストランまで連れて行かれました。そして、食事をする
気も無いし、お金も持ってないと言っても、構わず何かを作り
始めます。再三お金が無いと伝えると「I don't believe you」と
言ってきたので、最後にお金を取るつもりなんだとわかり、彼が
厨房にいる間に店を出ました。そして、隣に全く同じようなお店が
あったので、そちらに入って隣の人はどういう人なのかと聞いて
みると「彼はクレイジーだから気にするな」と教えてくれました。
イスタンブール旧市街地の客引きは厚かましい奴が多いので皆さん
気をつけましょう。
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2008年10月29日水曜日
2008年10月28日火曜日
ツリーオフライフ - トルコの日本人宿
イスタンブールに古くからある日本人宿へ泊まってみた。この旅では
ブダペストに続く2回目の日本人宿だ。ウェブサイトがあったので、
そこで辿り着き方を調べていたのだが、少々不親切な内容だと感じた。
まず、普通ならバスや列車を降りてからの説明があるはずだが、最寄の
トラムの駅からの行き方しか載っておらず、そこまでは自力で探すしか
ない。私はバスターミナルからだったので、まずは地下鉄に乗って
トラムへ連結している駅まで行き、そこからトラムでウェブサイトに
載っている駅まで行った。ここからは地図と説明があるので、それに
沿って移動するのだが、目印となるはずの銀行が違う銀行に変わって
いた。前の銀行は潰れたのか移転したのか。。。まぁ、地図通りに
進めば看板が見えるので、苦労なく辿り着けるが、それにしても、
少し手を入れるだけで正しい内容に変えられるので、直すべきだろう。
サイトを立ち上げたまま放置というのは、経営をしている以上、本来
ならありえない話なのだと思うが、ここはトルコの安宿なんだと反論
されそうだ。
入り口でブザーを鳴らすと4階の窓がガラガラと開き、人が半身を出して
こちらを見ている。そして、私の姿を確認すると、玄関のドアロックが
解除された。なかなか原始的な感じだが、セキュリティー上の効果は
高そうだ。
レセプションは4階なので、長く薄暗い中で階段を上へ進んでいく。
重い荷物を背負っているとこれがなかなかきつい。やっと4階へ到着
して、部屋の中へ入っていくとそこでは数人の人が寛いでいた。
管理人の机と思われる場所には誰も座っていなかったので、「管理人は
いませんか?」と近くにいた人に尋ねると、どうも管理人は風邪を
引いていてまだ寝ているそうだった。9時は既に回っていたが、
チェックインはそれほど急ぐ事もなかったし、ベッドをもらう事
以外の説明事項は長期滞在している人がしてくれたので、荷物の
置き場所の他は特に困ることは無かった。
4階はレセプションと共有部屋とキッチンが存在していて、人が
集まる場所になっている。ここで座って宿について聞いていると
いくつか驚いた事があった。まずありえないと思ったのは管理人が
1人体制ということ。24時間体制を宣言しているのに管理人が1人なんて
これまで聞いたことが無い。どれだけ貧乏な地域に行っても管理人は
交代制になっており2人以上存在していた。ここでは管理人が外出する
用事がある時は、宿泊客が管理人に代わって対応する事になるらしい。
長期滞在者が多く、あまり外出しない宿泊客がいるこの宿ならではの
対応だ。次にありえないと思ったのは共有部屋が喫煙OKだって事。
タバコを吸わない人間にとっては、共同部屋には来るなと言っているに
等しい。換気は良くないし、この時期は寒いから窓を閉めている事も多い。
ここはタバコが安いので、吸う量を減らすなど考えられず、吸う人は
本当によくタバコを吸う。吸うこと自体なんら問題は無いが、換気の
悪い共有スペースで吸われると逃げ出したくなる。他にはトイレも
水回りに問題があり、用が済んだ後は自分で水を汲んで流さないと
いけない。まぁ、トイレが壊れているのはよくあることなのだが、
ツリーオブライフでは修理をする予定がまったく無いようだ。
お昼近くになって管理人が起きてきた。マスクをしていて、とても
体がダルそうだ。かなり酷い風邪らしい。普通ならそんな状態で
客対応などしないだろうが、管理人は1人しかいないので仕方がない。
よろよろの管理人からベッドを割り当ててもらい、とりあえず
ひと段落ついた。
ブダペストに続く2回目の日本人宿だ。ウェブサイトがあったので、
そこで辿り着き方を調べていたのだが、少々不親切な内容だと感じた。
まず、普通ならバスや列車を降りてからの説明があるはずだが、最寄の
トラムの駅からの行き方しか載っておらず、そこまでは自力で探すしか
ない。私はバスターミナルからだったので、まずは地下鉄に乗って
トラムへ連結している駅まで行き、そこからトラムでウェブサイトに
載っている駅まで行った。ここからは地図と説明があるので、それに
沿って移動するのだが、目印となるはずの銀行が違う銀行に変わって
いた。前の銀行は潰れたのか移転したのか。。。まぁ、地図通りに
進めば看板が見えるので、苦労なく辿り着けるが、それにしても、
少し手を入れるだけで正しい内容に変えられるので、直すべきだろう。
サイトを立ち上げたまま放置というのは、経営をしている以上、本来
ならありえない話なのだと思うが、ここはトルコの安宿なんだと反論
されそうだ。
入り口でブザーを鳴らすと4階の窓がガラガラと開き、人が半身を出して
こちらを見ている。そして、私の姿を確認すると、玄関のドアロックが
解除された。なかなか原始的な感じだが、セキュリティー上の効果は
高そうだ。
レセプションは4階なので、長く薄暗い中で階段を上へ進んでいく。
重い荷物を背負っているとこれがなかなかきつい。やっと4階へ到着
して、部屋の中へ入っていくとそこでは数人の人が寛いでいた。
管理人の机と思われる場所には誰も座っていなかったので、「管理人は
いませんか?」と近くにいた人に尋ねると、どうも管理人は風邪を
引いていてまだ寝ているそうだった。9時は既に回っていたが、
チェックインはそれほど急ぐ事もなかったし、ベッドをもらう事
以外の説明事項は長期滞在している人がしてくれたので、荷物の
置き場所の他は特に困ることは無かった。
4階はレセプションと共有部屋とキッチンが存在していて、人が
集まる場所になっている。ここで座って宿について聞いていると
いくつか驚いた事があった。まずありえないと思ったのは管理人が
1人体制ということ。24時間体制を宣言しているのに管理人が1人なんて
これまで聞いたことが無い。どれだけ貧乏な地域に行っても管理人は
交代制になっており2人以上存在していた。ここでは管理人が外出する
用事がある時は、宿泊客が管理人に代わって対応する事になるらしい。
長期滞在者が多く、あまり外出しない宿泊客がいるこの宿ならではの
対応だ。次にありえないと思ったのは共有部屋が喫煙OKだって事。
タバコを吸わない人間にとっては、共同部屋には来るなと言っているに
等しい。換気は良くないし、この時期は寒いから窓を閉めている事も多い。
ここはタバコが安いので、吸う量を減らすなど考えられず、吸う人は
本当によくタバコを吸う。吸うこと自体なんら問題は無いが、換気の
悪い共有スペースで吸われると逃げ出したくなる。他にはトイレも
水回りに問題があり、用が済んだ後は自分で水を汲んで流さないと
いけない。まぁ、トイレが壊れているのはよくあることなのだが、
ツリーオブライフでは修理をする予定がまったく無いようだ。
お昼近くになって管理人が起きてきた。マスクをしていて、とても
体がダルそうだ。かなり酷い風邪らしい。普通ならそんな状態で
客対応などしないだろうが、管理人は1人しかいないので仕方がない。
よろよろの管理人からベッドを割り当ててもらい、とりあえず
ひと段落ついた。
2008年10月27日月曜日
ブルガリアの給与水準
ブルガスでの事。あるバス会社でイスタンブール行きのチケットを
買った。夜行だったため待ち時間がかなりあり、オフィスで暫くの間
待つことになった。従業員の一人がとてもフレンドリーで色々と
話し込んだ。話した中で一番印象に残ったのは給与についての事だった。
日本での給与はいくらぐらいかと問われたので、月給は最低で1200
ユーロぐらい普通で2000ユーロぐらいだろうと答えた。そして、彼が
もらっている月給を聞いて驚いた。400ユーロだそうだ。そして、
それは普通の水準らしい。物価は私の感覚から言うと日本の半分か
それ以上だから、400ユーロだけでは食っていけないと思われる。
彼が言うにはブルガリアでは共働きが普通であり、また彼の場合は
持ち家があるので、それほど大変ではないらしい。ちなみに若い頃は
ブルガリアに出稼ぎに行ってたらしいのだが、その時は1200ユーロ
ほどの給料があったらしい。
ん~、色々だなぁ。
ブルガスでの事。あるバス会社でイスタンブール行きのチケットを
買った。夜行だったため待ち時間がかなりあり、オフィスで暫くの間
待つことになった。従業員の一人がとてもフレンドリーで色々と
話し込んだ。話した中で一番印象に残ったのは給与についての事だった。
日本での給与はいくらぐらいかと問われたので、月給は最低で1200
ユーロぐらい普通で2000ユーロぐらいだろうと答えた。そして、彼が
もらっている月給を聞いて驚いた。400ユーロだそうだ。そして、
それは普通の水準らしい。物価は私の感覚から言うと日本の半分か
それ以上だから、400ユーロだけでは食っていけないと思われる。
彼が言うにはブルガリアでは共働きが普通であり、また彼の場合は
持ち家があるので、それほど大変ではないらしい。ちなみに若い頃は
ブルガリアに出稼ぎに行ってたらしいのだが、その時は1200ユーロ
ほどの給料があったらしい。
ん~、色々だなぁ。
2008年10月26日日曜日
バルナでマリュオと再開(2日目)
マリュオとの約束の10時になったが彼はやってこない。昨日は時間通り
ぴったりとやってきたので逆にビックリしたのだが、やっぱりヨーロッパ
の人なので時間にはアバウトなのかもしれない。
10時半になってもまだやってこない。そして、彼が来ない事意外にも
回りの雰囲気に若干の違和感を感じていた。何だろう?何かがおかしい。
その不思議な感じの謎は人から教えてもらう事により直に解けた。
今日はサマータイムが終わる日だったのだ。10時半と思っていた時間は
実は9時半で約束の時間まではまだ30分もある。私は11月の最初の週の
日曜日が時間を戻す日だと勘違いをしていたため、まったく気がつか
なかった。
10時ジャストにマリュオがやってきた。この男はかなり時間に正確だ。
この日はまず町の中心から南へ10kmほど離れた場所へ移動。この辺は
マリュオを通して売買可能な土地がたくさんあるので、どのような
場所かを見に行った。
10km離れると田舎だ。ブドウ畑が見え始め、森林が広がり、一部が
住宅地として点々と存在している。この住宅地がどのぐらい広がる
のかが、この辺りの地価の変化に影響するらしく、高級住宅地として
家が立ち並び始めている区域は1平方メートルで100ユーロ以上する
と教えてくれた。そして違う地域の、まだまったく未開発で手付かずの
平野は1平方メートルで8ユーロ程度で買えるそうだ。その代わり
200~平方メートルなど、ある程度大きなサイズになってしまうが。
土地を見た後、昨日見たビーチとはまた別の場所へ。今度は少し
隠しビーチのような感じで、のどかな雰囲気のする静かな場所に
あった。別荘がたくさんあり、多分夏の避暑地に使われているのだろう。
この時期は管理人以外は人を見かけなかった。
移動中にワインハウスを見つけたマリュオは車を止めて中へ入る。
そして、工場を見学させてもらえるようお願いし、30分ほど色々と
説明を受けながら中を見て回った。当然全てのワインの味見をさせて
もらえるのだが、おじさんが注ぐ量が毎回かなり多い。マリュオは
運転があり飲むことができないので私一人で毎回グラスを空けなければ
ならない。さすがに途中で音を上げてしまい、注ぐ量を減らすように
お願いした。そして、店を出る頃、私はかなりでき上がっていた。
午後はヴァルナから北側に行き温泉やビーチを見て回った。本当に
ビーチが多いところだ。もうこの時期は泳ぐには寒いので誰も
海にはいない。この時期のヴァルナは若干寂しい。
日が暮れて宿に戻った我々はマリュオが帰路に着くまでの間、会話を
楽しんだ。
ぴったりとやってきたので逆にビックリしたのだが、やっぱりヨーロッパ
の人なので時間にはアバウトなのかもしれない。
10時半になってもまだやってこない。そして、彼が来ない事意外にも
回りの雰囲気に若干の違和感を感じていた。何だろう?何かがおかしい。
その不思議な感じの謎は人から教えてもらう事により直に解けた。
今日はサマータイムが終わる日だったのだ。10時半と思っていた時間は
実は9時半で約束の時間まではまだ30分もある。私は11月の最初の週の
日曜日が時間を戻す日だと勘違いをしていたため、まったく気がつか
なかった。
10時ジャストにマリュオがやってきた。この男はかなり時間に正確だ。
この日はまず町の中心から南へ10kmほど離れた場所へ移動。この辺は
マリュオを通して売買可能な土地がたくさんあるので、どのような
場所かを見に行った。
10km離れると田舎だ。ブドウ畑が見え始め、森林が広がり、一部が
住宅地として点々と存在している。この住宅地がどのぐらい広がる
のかが、この辺りの地価の変化に影響するらしく、高級住宅地として
家が立ち並び始めている区域は1平方メートルで100ユーロ以上する
と教えてくれた。そして違う地域の、まだまったく未開発で手付かずの
平野は1平方メートルで8ユーロ程度で買えるそうだ。その代わり
200~平方メートルなど、ある程度大きなサイズになってしまうが。
土地を見た後、昨日見たビーチとはまた別の場所へ。今度は少し
隠しビーチのような感じで、のどかな雰囲気のする静かな場所に
あった。別荘がたくさんあり、多分夏の避暑地に使われているのだろう。
この時期は管理人以外は人を見かけなかった。
移動中にワインハウスを見つけたマリュオは車を止めて中へ入る。
そして、工場を見学させてもらえるようお願いし、30分ほど色々と
説明を受けながら中を見て回った。当然全てのワインの味見をさせて
もらえるのだが、おじさんが注ぐ量が毎回かなり多い。マリュオは
運転があり飲むことができないので私一人で毎回グラスを空けなければ
ならない。さすがに途中で音を上げてしまい、注ぐ量を減らすように
お願いした。そして、店を出る頃、私はかなりでき上がっていた。
午後はヴァルナから北側に行き温泉やビーチを見て回った。本当に
ビーチが多いところだ。もうこの時期は泳ぐには寒いので誰も
海にはいない。この時期のヴァルナは若干寂しい。
日が暮れて宿に戻った我々はマリュオが帰路に着くまでの間、会話を
楽しんだ。
2008年10月25日土曜日
バルナでマリュオと再開(1日目)
クロアチアで生まれて初めてヒッチハイクしたのだけれど、シブニクから
スプリットまで乗せてくれたのがマリュオという人だった。彼はリトアニア
出身だけれども、今はブルガリアのヴァルナに住んでいて、もしヴァルナに
行けば町を案内してくれると約束してくれていた。これを聞いた私は最終的に
イスタンブールへはヴァルナから行くことに決め、その後の道のりはそれを
中心にプランを立てていた。
ヴァルナに着き、ホステルを見つけて腰を下ろし、さっそくマリュオに
スカイプをかけると3コールぐらいで彼がでた。まずは、自分が誰だか説明
しようとしたが、第一声を発っしただけでマリュオがこちらが誰なのか気が
ついてくれて、逆にマリュオから「久しぶり~」と声をかけられた。たった
半日一緒にいただけなのだが彼にとっても思い出深いものだったのだろうか。
少し世間話をした後、翌日に会う約束をしてスカイプを切った。
次の日の朝10時、約束通りマリュオがホステルにやって来た。まずは握手を
交わし再会を喜んだ。この日は土曜日で彼は一日空いているから、こちらが
リクエストすればどこでも連れて行ってくれるらしい。そして、明日も
空いているとの事だ。マリュオは子持ちなので、家族サービスしないと
後が怖いんじゃないのかと尋ねると、今は家族をリトアニアに置いて
単身でヴァルナに住んでいるから基本的に週末は空いているとの事だった。
我々がまず向かったのは町の中心から海岸沿いに続く公園だ。かなり立派な
公園で広い。町のあちこちでポップコーンを売っている。公園でポップコーン
というのは日本人にはあまりなじみがないのでかなり変な感じだ。後は
綿菓子を売っているのを見かけたのだが、この綿がでかいでかい(笑
丁度これを買っている子供がいたので写真を撮らせてもらうと、カメラに
向かってポーズをとってくれた。アルバニアの子供達はカメラを向けると
恥ずかしがる子が多かったが、やっぱり国によって意識が違うのかな?
それとも単純に人によるのかな。
お昼になるとマリュオがトルコレストランに連れて行ってくれ、そこで
ケバブとスープをご馳走になった。これまであまりスープをオーダー
した事がなかったが、こちらの人はよくオーダーするらしく、種類も
豊富だそうだ。スープをオーダーするとパンも付いてくるので、軽く
昼食を済ませたい時になど最適だろう。
午後はまず車で近くの山にドライブにでかけた。山と言ってもそれほど
高くはなく運河を挟んだ対岸が眺められるぐらい。しかもこの日は空気が
あまり澄んでおらず遠くは全て白く見えるだけだった。ただ、景色は
ともかく、町の様子というか構造というか特徴のようなものはよく
感じる事ができた。山の後は車で15分ほど離れた運河の向こう側へ移動し、
運河のほとりや、運河から南側の崖の上移動。崖の上では町全体が一望
でき、やっぱりブルガリアで3番目に大きい都市なんだと認識できた。
日が暮れ始めたので我々はホステルへ戻ることにし、途中でワインや
食料を買い込んで帰路に着いた。宿に戻ると結構色々なタイプの人間が
いて、なぜか資産家の息子や投資に興味がある人が2人もいて、マリュオ
はその人達と、私は他の旅行者とずっと話していた。そして、24時を
回る前にマリュオはまた明日来る約束をして帰路についた。
スプリットまで乗せてくれたのがマリュオという人だった。彼はリトアニア
出身だけれども、今はブルガリアのヴァルナに住んでいて、もしヴァルナに
行けば町を案内してくれると約束してくれていた。これを聞いた私は最終的に
イスタンブールへはヴァルナから行くことに決め、その後の道のりはそれを
中心にプランを立てていた。
ヴァルナに着き、ホステルを見つけて腰を下ろし、さっそくマリュオに
スカイプをかけると3コールぐらいで彼がでた。まずは、自分が誰だか説明
しようとしたが、第一声を発っしただけでマリュオがこちらが誰なのか気が
ついてくれて、逆にマリュオから「久しぶり~」と声をかけられた。たった
半日一緒にいただけなのだが彼にとっても思い出深いものだったのだろうか。
少し世間話をした後、翌日に会う約束をしてスカイプを切った。
次の日の朝10時、約束通りマリュオがホステルにやって来た。まずは握手を
交わし再会を喜んだ。この日は土曜日で彼は一日空いているから、こちらが
リクエストすればどこでも連れて行ってくれるらしい。そして、明日も
空いているとの事だ。マリュオは子持ちなので、家族サービスしないと
後が怖いんじゃないのかと尋ねると、今は家族をリトアニアに置いて
単身でヴァルナに住んでいるから基本的に週末は空いているとの事だった。
我々がまず向かったのは町の中心から海岸沿いに続く公園だ。かなり立派な
公園で広い。町のあちこちでポップコーンを売っている。公園でポップコーン
というのは日本人にはあまりなじみがないのでかなり変な感じだ。後は
綿菓子を売っているのを見かけたのだが、この綿がでかいでかい(笑
丁度これを買っている子供がいたので写真を撮らせてもらうと、カメラに
向かってポーズをとってくれた。アルバニアの子供達はカメラを向けると
恥ずかしがる子が多かったが、やっぱり国によって意識が違うのかな?
それとも単純に人によるのかな。
送信者 around_varna |
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お昼になるとマリュオがトルコレストランに連れて行ってくれ、そこで
ケバブとスープをご馳走になった。これまであまりスープをオーダー
した事がなかったが、こちらの人はよくオーダーするらしく、種類も
豊富だそうだ。スープをオーダーするとパンも付いてくるので、軽く
昼食を済ませたい時になど最適だろう。
送信者 around_varna |
午後はまず車で近くの山にドライブにでかけた。山と言ってもそれほど
高くはなく運河を挟んだ対岸が眺められるぐらい。しかもこの日は空気が
あまり澄んでおらず遠くは全て白く見えるだけだった。ただ、景色は
ともかく、町の様子というか構造というか特徴のようなものはよく
感じる事ができた。山の後は車で15分ほど離れた運河の向こう側へ移動し、
運河のほとりや、運河から南側の崖の上移動。崖の上では町全体が一望
でき、やっぱりブルガリアで3番目に大きい都市なんだと認識できた。
送信者 around_varna |
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日が暮れ始めたので我々はホステルへ戻ることにし、途中でワインや
食料を買い込んで帰路に着いた。宿に戻ると結構色々なタイプの人間が
いて、なぜか資産家の息子や投資に興味がある人が2人もいて、マリュオ
はその人達と、私は他の旅行者とずっと話していた。そして、24時を
回る前にマリュオはまた明日来る約束をして帰路についた。
2008年10月24日金曜日
ブルガリアでホッと一息
マンガリアからヴァルナまでは2時間半ほどで到着した。バスを降りても
タクシーの運転手は話しかけてこない。やはりブルガリアは少し落ち着いて
いる。この後行く予定であるイスタンブールへのバスについて情報を集める
べく、バスターミナルを歩いていると、久々にゲストハウスの客引に出会う。
25レバ(12.50ユーロ)だと言うので、一応部屋を見に行くと、自分が住んでいる
マンションの一室を貸している部屋だった。トイレとシャワーは宿主と共同で
キッチンも使えるが、そこにはベッドが置いてあり、年老いた母が住んでいた。
もう少し安ければ泊まることも考えたが、20レバでホステルがあり、しかも
そこは朝食付きと知っていたので、ゲストハウスには断りを入れた。宿主は
少し残念そうだったが、嫌な顔はみせず私を見送った。やはりブルガリアは
人がいい。
センターに向かって歩くこと30分、チェックしていたホステルを見つけて
入り口でベルを鳴らす。返答が帰ってきて、ドアが開き、私を迎え入れて
くれる。ベッドをもらい、共同ルームで一息つく。あぁ、2日ぶりにベッドで
寝ることができる。テントで寝られるならば、まだマシだったが油断ならぬ
ブカレストの駅の待合室とスリに遭ったマンガリアのベンチだったので、
本当に疲れた過去2日間だった。
昼の12時に宿に着いたので普通なら町を散歩するのだが、この日は外に出る
気になれず、ずっと共同部屋でくつろいでいた。
タクシーの運転手は話しかけてこない。やはりブルガリアは少し落ち着いて
いる。この後行く予定であるイスタンブールへのバスについて情報を集める
べく、バスターミナルを歩いていると、久々にゲストハウスの客引に出会う。
25レバ(12.50ユーロ)だと言うので、一応部屋を見に行くと、自分が住んでいる
マンションの一室を貸している部屋だった。トイレとシャワーは宿主と共同で
キッチンも使えるが、そこにはベッドが置いてあり、年老いた母が住んでいた。
もう少し安ければ泊まることも考えたが、20レバでホステルがあり、しかも
そこは朝食付きと知っていたので、ゲストハウスには断りを入れた。宿主は
少し残念そうだったが、嫌な顔はみせず私を見送った。やはりブルガリアは
人がいい。
センターに向かって歩くこと30分、チェックしていたホステルを見つけて
入り口でベルを鳴らす。返答が帰ってきて、ドアが開き、私を迎え入れて
くれる。ベッドをもらい、共同ルームで一息つく。あぁ、2日ぶりにベッドで
寝ることができる。テントで寝られるならば、まだマシだったが油断ならぬ
ブカレストの駅の待合室とスリに遭ったマンガリアのベンチだったので、
本当に疲れた過去2日間だった。
昼の12時に宿に着いたので普通なら町を散歩するのだが、この日は外に出る
気になれず、ずっと共同部屋でくつろいでいた。
プラン無しのルーマニア東部は散々
コンスタンツァへ着いたのは13時。またもやタクシーの運転手に
囲まれるが、宿へバスで行く方法を事前に調べていたので、ほとんど
相手にせずバス停へ。苦労なくホステルへ到着し、ベルを鳴らすが
反応が無い。そっと覗き込むと人気がない。おかしいなと思いながら
15分ほどベルを鳴らし続ける。。。こんな事は始めてだ。普通、誰か
一人ぐらいいるだろう。
ホステルの前で待つ事1時間、人の気配なく、誰も帰ってこない。
これでは時間の無駄だ、、、仕方ないので20kgの荷物と一緒だが近場を
観光する事にした。
海だと思う方向へ30分ほど歩くと、ほどなく黒海に出た。近いです。
コンスタンツァの海岸線はほぼ岩場で、あまりリゾートには向かなさ
そうだ。だが、眺めは良く、ルーマニアで数少ない黒海に面する場所
なので、これでもかというほどたくさんの新築マンションが建築中だった。
東欧への投資ブームが起きていて、投資が盛んだと何かで読んだのだが、
その一端を見たような気分だ。その他これといった特徴もなく、1時間ほど
日光浴をした後、ファーストフード店で暫く時間を潰すことに。
日記を書くために持ち歩いているノートを開き、こんな時こそ集中して
書いてやろうと思ったら、パスワード設定無しの無線LANが飛び込んで
きた。ネットに繋がってしまうと、集中力は削がれ、ニュースを見たり、
メールチェックしたりと、まったりしてしまう。
ふと、ホステルの事を思い出し、もう一度ネットから記述内容を
チェックしてみると、新たな事実が。「当ホステルは5月から9月まで
営業しています。」と書かれている。お得意のうっかりがまた出て
しまった。どうするか。。。コンスタンツァには他にホステルは無く、
ホテルは高いので当然無理。どうするか悩む。いっそドナウデルタを
見に行くために、トゥルチャへ行くか?しかし、情報がまったく無いので、
この時期に船が出ているかどうかもわからない。ルーマニア語がわからない
ため、インターネットで調べられる範囲が限られてしまう。
状況が悪すぎる。。。
渋々、ルーマニアで何かをする事は諦めて、ブルガリアに向かう事にした。
まずはバスが無いか調べてみるが、最終便は出てしまっている。それでは
電車で行ける、ブルガリアに一番近い場所を聞いてみるとマンガリア
(Mangalia)という場所がヒットした。そこに宿があればよし、無ければ
駅が24時間開いているかもしれない。とりあえず行ってみよう。
コンスタンツァから電車で揺られること1時間、マンガリアの町に着いた。
まずは駅で寝られそうかチェックしてみるが、24時-5時は閉まっている
みたいだ。更に、セキュリティの人に夜の駅は危ないから近づかない
ようにと注意を受ける。では、とりあえずブルガリアへのバスの時間を
調べるためにバスのオフィスを探してみるが公共のものが見当たらない。
バス会社が一軒あったので、そこで聞いてみると、ブルガリア行きの
バスは無いという。何度か聞いてみるものの、「マンガリアからは
ブルガリアへのバスは出ていない、コンスタンツァからなら出ている」
と返答が返ってくるばかりだった。
コンスタンツァへ戻る電車はもう無い。バスはあるかもしれない。でも、
こうなったら意地でもマンガリアからブルガリアのヴァルナへ行ってやる。
そう決意したものの、夜にヒッチは怖いのでできない。一晩明かす必要が
あるが、マンガリアには安宿が無さそうである。町をうろちょろした後、
町の通りにある夜のベンチで腰を下ろしていったん休憩をする。すると、
地元の人であろうと思われる2人組のおっさんが目の前を通り過ぎた後、
そのうちの一人、泥棒顔の太った怪しげなおっさんが引き返してきて
ものすごく片言の英語で私に話しかけてきた。
単純な世間話をした後、
お「俺は古着を扱っているんだ。」
私「へー、そうなんですか。」
お「向こうの通りで明日バザーをやるんだ。」
私「明日ですか。」
お「君が着ている服がオリジナルなら買い取るから持ってきてよ。」
私「いや~、これしか持ってないから売れないのよ。」
お「とりあえず、オリジナルかどうか見させて」
と言って、突然服をチェックし始める。まずは上着から。
お「おっ、オリジナルだね。」
私「はぁ、そうですか。」
次に、ズボンをチェックする。ジーパンの腹回りを裏返しにして
見るのだが、やたら力強く強引に裏返す。そして、ベルトも
チェックすると言って更に力を入れてベルトを上下に引っ張っている。
お「オリジナルか?オリジナルか?オリジナルか?オリジナルか?」
明らかに違和感があったので、ジーパンの右後ろのポケットに入れて
いた財布を確認すると、そこから消えている。
私「お前、俺の財布取っただろう!」
と言うと同時に、おっさんの上着の前ポケットを確認してみるが、
財布らしき手応えは無かった。おっさんにうろたえる素振りは見えない。
逃げる様子も無い。むしろ、チェックしたかったらどうぞという感じだ。
もう一人のおっさんは20メートルぐらい離れた所で待っているし、
そこから動いている様子がなかったので、たぶん関係ないだろう。
お前の体を調べさせろと言えば、こちらが不利になりそうな雰囲気が
あり、ひょっとしたら、盗みに失敗してどこかに落としている可能性が
あると思い、これ以上おっさんを非難する事を止めた。おっさんは
「You are crazy.」と繰り返しながら、もう一人の男と去っていった。
私は、ベンチの周りを何度も調べてみたが、財布は見当たらなかった。
さて、被害額だが、日本円で1200円程度。クレジットカードやバンク
カードなど盗られては困るものは別に管理しているので、旅行には
さほど差し支えは無い。残念なのは、盗られた財布はアルバニアで
泊めてもらった恩人の息子さんにもらった物で、私にとって価値のある
記念品だったこと。
あまりに悔しかったので、何か反撃したい。カメラを隠し持って彼らを
追いかけ、記念に写真を撮ってみた。1枚目は財布を盗んだ男。そして、
2枚目に一緒にいた男を撮ろうとしたら、ポケットからナイフを出して
「Stop」と脅されたため、写真撮影は中止。私は「OK」と言って、
早足に荷物を置いたベンチへ戻っていった。
違和感を持ったままの私は改めて、ベンチの周りを範囲を拡大して
探してみた。すると、ベンチから約7メートルぐらい後ろに財布が
落ちていた。なるほど、投げていたか。お金はそのまま残っていた
ので、ポケットからスった後、すぐに投げたのだろう。まぁ、また
私の元に戻ってきてよかった。
さすがに同じ場所に留まるのは怖かったので、移動中に見つけた24時間
ガソリンスタンドのそばのベンチで座り、そこで夜明けまで待つことに
決めた。寝る事もできず、回りに注意を払いながらじっと我慢。こんな
時の時間はやたら長い。2時頃から一段と寒くなり服だけでは寒さに対応
できなくなってきたので、スクワットなどの軽い運動を繰り返しながら
夜明けを待った。
その後、特に何事もなく夜は明けた。
再びブルガリア行きへのバスを探すと、結局あった。バス停で待って
いる人の中にブルガリア行きのバスを待っている人がいたのだ。
しかし、そのバスの事は全く浸透していないらしく、そこらのバスの
運転手でさえも存在を知らなかったのだ。おかげでどれだけ苦労した
ことか。
バスに乗って15分ほどで国境に着いた。国境まではやはり近かったんだ。
パスポートにスタンプをもらい再びブルガリアの大地を踏む。あぁ、
長くて険しいルーマニアの旅が終わった。
これまでは、行けば何とかなるものだったが、ルーマニア東部では
通用しない。一番の頼りである公共のインフォがまず無いし、安宿も
期間限定でしか開いていない。話しかけてくる人といえば、タクシーの
運転手だけで、そこらを歩いている人には英語があまり通じない。
行ってもなんともならない事もあるのだと身に沁みた場所だった。
囲まれるが、宿へバスで行く方法を事前に調べていたので、ほとんど
相手にせずバス停へ。苦労なくホステルへ到着し、ベルを鳴らすが
反応が無い。そっと覗き込むと人気がない。おかしいなと思いながら
15分ほどベルを鳴らし続ける。。。こんな事は始めてだ。普通、誰か
一人ぐらいいるだろう。
ホステルの前で待つ事1時間、人の気配なく、誰も帰ってこない。
これでは時間の無駄だ、、、仕方ないので20kgの荷物と一緒だが近場を
観光する事にした。
海だと思う方向へ30分ほど歩くと、ほどなく黒海に出た。近いです。
コンスタンツァの海岸線はほぼ岩場で、あまりリゾートには向かなさ
そうだ。だが、眺めは良く、ルーマニアで数少ない黒海に面する場所
なので、これでもかというほどたくさんの新築マンションが建築中だった。
東欧への投資ブームが起きていて、投資が盛んだと何かで読んだのだが、
その一端を見たような気分だ。その他これといった特徴もなく、1時間ほど
日光浴をした後、ファーストフード店で暫く時間を潰すことに。
日記を書くために持ち歩いているノートを開き、こんな時こそ集中して
書いてやろうと思ったら、パスワード設定無しの無線LANが飛び込んで
きた。ネットに繋がってしまうと、集中力は削がれ、ニュースを見たり、
メールチェックしたりと、まったりしてしまう。
ふと、ホステルの事を思い出し、もう一度ネットから記述内容を
チェックしてみると、新たな事実が。「当ホステルは5月から9月まで
営業しています。」と書かれている。お得意のうっかりがまた出て
しまった。どうするか。。。コンスタンツァには他にホステルは無く、
ホテルは高いので当然無理。どうするか悩む。いっそドナウデルタを
見に行くために、トゥルチャへ行くか?しかし、情報がまったく無いので、
この時期に船が出ているかどうかもわからない。ルーマニア語がわからない
ため、インターネットで調べられる範囲が限られてしまう。
状況が悪すぎる。。。
渋々、ルーマニアで何かをする事は諦めて、ブルガリアに向かう事にした。
まずはバスが無いか調べてみるが、最終便は出てしまっている。それでは
電車で行ける、ブルガリアに一番近い場所を聞いてみるとマンガリア
(Mangalia)という場所がヒットした。そこに宿があればよし、無ければ
駅が24時間開いているかもしれない。とりあえず行ってみよう。
コンスタンツァから電車で揺られること1時間、マンガリアの町に着いた。
まずは駅で寝られそうかチェックしてみるが、24時-5時は閉まっている
みたいだ。更に、セキュリティの人に夜の駅は危ないから近づかない
ようにと注意を受ける。では、とりあえずブルガリアへのバスの時間を
調べるためにバスのオフィスを探してみるが公共のものが見当たらない。
バス会社が一軒あったので、そこで聞いてみると、ブルガリア行きの
バスは無いという。何度か聞いてみるものの、「マンガリアからは
ブルガリアへのバスは出ていない、コンスタンツァからなら出ている」
と返答が返ってくるばかりだった。
コンスタンツァへ戻る電車はもう無い。バスはあるかもしれない。でも、
こうなったら意地でもマンガリアからブルガリアのヴァルナへ行ってやる。
そう決意したものの、夜にヒッチは怖いのでできない。一晩明かす必要が
あるが、マンガリアには安宿が無さそうである。町をうろちょろした後、
町の通りにある夜のベンチで腰を下ろしていったん休憩をする。すると、
地元の人であろうと思われる2人組のおっさんが目の前を通り過ぎた後、
そのうちの一人、泥棒顔の太った怪しげなおっさんが引き返してきて
ものすごく片言の英語で私に話しかけてきた。
単純な世間話をした後、
お「俺は古着を扱っているんだ。」
私「へー、そうなんですか。」
お「向こうの通りで明日バザーをやるんだ。」
私「明日ですか。」
お「君が着ている服がオリジナルなら買い取るから持ってきてよ。」
私「いや~、これしか持ってないから売れないのよ。」
お「とりあえず、オリジナルかどうか見させて」
と言って、突然服をチェックし始める。まずは上着から。
お「おっ、オリジナルだね。」
私「はぁ、そうですか。」
次に、ズボンをチェックする。ジーパンの腹回りを裏返しにして
見るのだが、やたら力強く強引に裏返す。そして、ベルトも
チェックすると言って更に力を入れてベルトを上下に引っ張っている。
お「オリジナルか?オリジナルか?オリジナルか?オリジナルか?」
明らかに違和感があったので、ジーパンの右後ろのポケットに入れて
いた財布を確認すると、そこから消えている。
私「お前、俺の財布取っただろう!」
と言うと同時に、おっさんの上着の前ポケットを確認してみるが、
財布らしき手応えは無かった。おっさんにうろたえる素振りは見えない。
逃げる様子も無い。むしろ、チェックしたかったらどうぞという感じだ。
もう一人のおっさんは20メートルぐらい離れた所で待っているし、
そこから動いている様子がなかったので、たぶん関係ないだろう。
お前の体を調べさせろと言えば、こちらが不利になりそうな雰囲気が
あり、ひょっとしたら、盗みに失敗してどこかに落としている可能性が
あると思い、これ以上おっさんを非難する事を止めた。おっさんは
「You are crazy.」と繰り返しながら、もう一人の男と去っていった。
私は、ベンチの周りを何度も調べてみたが、財布は見当たらなかった。
さて、被害額だが、日本円で1200円程度。クレジットカードやバンク
カードなど盗られては困るものは別に管理しているので、旅行には
さほど差し支えは無い。残念なのは、盗られた財布はアルバニアで
泊めてもらった恩人の息子さんにもらった物で、私にとって価値のある
記念品だったこと。
あまりに悔しかったので、何か反撃したい。カメラを隠し持って彼らを
追いかけ、記念に写真を撮ってみた。1枚目は財布を盗んだ男。そして、
2枚目に一緒にいた男を撮ろうとしたら、ポケットからナイフを出して
「Stop」と脅されたため、写真撮影は中止。私は「OK」と言って、
早足に荷物を置いたベンチへ戻っていった。
違和感を持ったままの私は改めて、ベンチの周りを範囲を拡大して
探してみた。すると、ベンチから約7メートルぐらい後ろに財布が
落ちていた。なるほど、投げていたか。お金はそのまま残っていた
ので、ポケットからスった後、すぐに投げたのだろう。まぁ、また
私の元に戻ってきてよかった。
さすがに同じ場所に留まるのは怖かったので、移動中に見つけた24時間
ガソリンスタンドのそばのベンチで座り、そこで夜明けまで待つことに
決めた。寝る事もできず、回りに注意を払いながらじっと我慢。こんな
時の時間はやたら長い。2時頃から一段と寒くなり服だけでは寒さに対応
できなくなってきたので、スクワットなどの軽い運動を繰り返しながら
夜明けを待った。
その後、特に何事もなく夜は明けた。
再びブルガリア行きへのバスを探すと、結局あった。バス停で待って
いる人の中にブルガリア行きのバスを待っている人がいたのだ。
しかし、そのバスの事は全く浸透していないらしく、そこらのバスの
運転手でさえも存在を知らなかったのだ。おかげでどれだけ苦労した
ことか。
バスに乗って15分ほどで国境に着いた。国境まではやはり近かったんだ。
パスポートにスタンプをもらい再びブルガリアの大地を踏む。あぁ、
長くて険しいルーマニアの旅が終わった。
これまでは、行けば何とかなるものだったが、ルーマニア東部では
通用しない。一番の頼りである公共のインフォがまず無いし、安宿も
期間限定でしか開いていない。話しかけてくる人といえば、タクシーの
運転手だけで、そこらを歩いている人には英語があまり通じない。
行ってもなんともならない事もあるのだと身に沁みた場所だった。
2008年10月23日木曜日
ブカレストは乗り継ぎ地、そしてまたまた駅で夜を明かす
シナイアからミニバスでブカレストへ向かい、20時頃に到着した。
どこかの駅に降ろされるものだと思い込んでいたら、ミニバスの
会社まで来てしまい、でっかいブカレストの中で、またもや自分の
ロケーションがわからない状態となってしまった。バス会社の人は
英語がまったくできなかったが、この人しか頼る人がいないので、
とりあえず一番近くの地下鉄の駅がどこにあるのか聞いてみる
事にした。駅の場所がややこしい場所にあるのか、全然何が言いたい
のか伝わってこない。直接私に伝えるのは諦めたらしく、通り
かかりの人達に英語が話せるか聞き始め、3人目でビンゴした。
ラッキーな事にこの人が駅まで連れて行ってくれる事になり、
バス会社の人に礼を言って歩き始めた。
15分ほど歩くと遠くに地下鉄のサインが見えてきた。そこで
送ってくれた人とは分かれて、私は駅の方へ、彼は反対方向へ
向かった。駅に向かって歩いていると、突然車が横に止まった。
助手席を見ると、先ほどの彼である。そして、車で送っていって
あげるよとの優しい言葉をかけてもらい、好意に甘える事になった。
彼は奥さんに車で迎えに来てもらっていたらしく、私のことを
話して、一緒に追っかけてきてくれたらしい。そして更に、最寄の
地下鉄の駅ではなく、私が目指していた電車の駅まで乗せてくれた。
車の中では質問攻めで、乗っていたのは15分ぐらいの間だったが、
あっという間に駅に着いた。
夫婦に礼を言って車を降りると、すぐにタクシーの運転手が
話しかけてくる。大抵、どこへ行きたいのかと聞いてきて、
○○レウでそこまで連れて行ってやるという話になる。嘘をつく
事も多々あるので、地元の事情を良く知っていないと、彼らと
交渉するのは難しい。彼らとの話はそこそこに、電車の値段を
調べることにした。すると、行きたかったトゥルチャ行きの
電車は無いと言われ悩む事に。線路図を見ると、トゥルチャへは
繋がっているように見えるのだが、窓口では電車は無いと
言われる。乗り換えれば行けるのじゃないかとあれこれ聞いて
みたが、最終的には「私に聞くな。行ってから自分で調べろ」
と言われる始末。情報量が少なすぎて、どうしようもなく、
とりあえずコンスタンツァへ行くことにした。この電車は
朝の7時にブカレストを出発するとの事で、またもや駅で寝る
事になってしまった。窓口は24時で一旦閉まるらしいが、
チケットを持っていれば待合室で朝まで滞在できる。
ルーマニアの駅でありがたいのは、24時間開いている場所が
多いこと。待合室ではホームレスのような人から、旅行者
まで、見た目いろいろな人が滞在していた。
朝を向かえ、コンスタンツァへ出発。結局ブカレストでは
一度も観光せずに終わった。
どこかの駅に降ろされるものだと思い込んでいたら、ミニバスの
会社まで来てしまい、でっかいブカレストの中で、またもや自分の
ロケーションがわからない状態となってしまった。バス会社の人は
英語がまったくできなかったが、この人しか頼る人がいないので、
とりあえず一番近くの地下鉄の駅がどこにあるのか聞いてみる
事にした。駅の場所がややこしい場所にあるのか、全然何が言いたい
のか伝わってこない。直接私に伝えるのは諦めたらしく、通り
かかりの人達に英語が話せるか聞き始め、3人目でビンゴした。
ラッキーな事にこの人が駅まで連れて行ってくれる事になり、
バス会社の人に礼を言って歩き始めた。
15分ほど歩くと遠くに地下鉄のサインが見えてきた。そこで
送ってくれた人とは分かれて、私は駅の方へ、彼は反対方向へ
向かった。駅に向かって歩いていると、突然車が横に止まった。
助手席を見ると、先ほどの彼である。そして、車で送っていって
あげるよとの優しい言葉をかけてもらい、好意に甘える事になった。
彼は奥さんに車で迎えに来てもらっていたらしく、私のことを
話して、一緒に追っかけてきてくれたらしい。そして更に、最寄の
地下鉄の駅ではなく、私が目指していた電車の駅まで乗せてくれた。
車の中では質問攻めで、乗っていたのは15分ぐらいの間だったが、
あっという間に駅に着いた。
夫婦に礼を言って車を降りると、すぐにタクシーの運転手が
話しかけてくる。大抵、どこへ行きたいのかと聞いてきて、
○○レウでそこまで連れて行ってやるという話になる。嘘をつく
事も多々あるので、地元の事情を良く知っていないと、彼らと
交渉するのは難しい。彼らとの話はそこそこに、電車の値段を
調べることにした。すると、行きたかったトゥルチャ行きの
電車は無いと言われ悩む事に。線路図を見ると、トゥルチャへは
繋がっているように見えるのだが、窓口では電車は無いと
言われる。乗り換えれば行けるのじゃないかとあれこれ聞いて
みたが、最終的には「私に聞くな。行ってから自分で調べろ」
と言われる始末。情報量が少なすぎて、どうしようもなく、
とりあえずコンスタンツァへ行くことにした。この電車は
朝の7時にブカレストを出発するとの事で、またもや駅で寝る
事になってしまった。窓口は24時で一旦閉まるらしいが、
チケットを持っていれば待合室で朝まで滞在できる。
ルーマニアの駅でありがたいのは、24時間開いている場所が
多いこと。待合室ではホームレスのような人から、旅行者
まで、見た目いろいろな人が滞在していた。
朝を向かえ、コンスタンツァへ出発。結局ブカレストでは
一度も観光せずに終わった。
Adsenseのお話
一昨日、ブログに掲載しているGoogle広告サービスのAdsenseから一通の
メールが届きました。内容は以下の通り。
Junichi Sako 様
Google で定期的に行われている調査によりますと、お客様の AdSense アカウン
トは AdWords 広告主に重大なリスクをもたらしていることが確認されました。
このアカウントを引き続きサイト運営者ネットワークで使用できるようにする
と、今後広告主に費用上の損害が及ぶ可能性があるため、アカウントを無効にし
ました。
これは、Google の広告主と他の AdSense サイト運営者を保護するために必要な
措置ですのでご了承ください。 ご理解のほどよろしくお願いいたします。
アカウントや Google の措置について不明な点がある場合、このメールには返信
しないでください。 詳細については、次の URL をご覧ください:
https://www.google.com/adsense/support/bin/answer.py?answer=57153&hl=ja
Google AdSense チーム
この4ヶ月で13ドルぐらいの収益があったのですが、そのうち5ドルが
ある1日に集中していました。それが原因ではないかと思いますが、
アカウントの無効を受ける事になってしまいました。まぁ、アクセス数
からして、それほど広告主に貢献できていなかったと思いますし、
4ヶ月で13ドルの収益(集中的なアクセスがあった時を省くと8ドル)と
考えると、このまま続けていてもさほどの向上は見られないでしょう。
不思議なのは、広告主への集中アクセスがあってから1~2ヶ月は
そのまま放置されて、一昨日になって突然アカウントが無効化された
事です。Google独自の調査方法があるらしいので、その方法に
左右されてるのでしょうが、忘れた頃にやって来たので、少し
驚いてしまいました。
この事例を見る限りでは、小さなサイトのGoogle広告の収益を無効化
しようと思えば、簡単に出来てしまいますね。一応、アカウント復活の
お願いをメールしてみましたが、どうなりますか。。
メールが届きました。内容は以下の通り。
Junichi Sako 様
Google で定期的に行われている調査によりますと、お客様の AdSense アカウン
トは AdWords 広告主に重大なリスクをもたらしていることが確認されました。
このアカウントを引き続きサイト運営者ネットワークで使用できるようにする
と、今後広告主に費用上の損害が及ぶ可能性があるため、アカウントを無効にし
ました。
これは、Google の広告主と他の AdSense サイト運営者を保護するために必要な
措置ですのでご了承ください。 ご理解のほどよろしくお願いいたします。
アカウントや Google の措置について不明な点がある場合、このメールには返信
しないでください。 詳細については、次の URL をご覧ください:
https://www.google.com/adsense/support/bin/answer.py?answer=57153&hl=ja
Google AdSense チーム
この4ヶ月で13ドルぐらいの収益があったのですが、そのうち5ドルが
ある1日に集中していました。それが原因ではないかと思いますが、
アカウントの無効を受ける事になってしまいました。まぁ、アクセス数
からして、それほど広告主に貢献できていなかったと思いますし、
4ヶ月で13ドルの収益(集中的なアクセスがあった時を省くと8ドル)と
考えると、このまま続けていてもさほどの向上は見られないでしょう。
不思議なのは、広告主への集中アクセスがあってから1~2ヶ月は
そのまま放置されて、一昨日になって突然アカウントが無効化された
事です。Google独自の調査方法があるらしいので、その方法に
左右されてるのでしょうが、忘れた頃にやって来たので、少し
驚いてしまいました。
この事例を見る限りでは、小さなサイトのGoogle広告の収益を無効化
しようと思えば、簡単に出来てしまいますね。一応、アカウント復活の
お願いをメールしてみましたが、どうなりますか。。
スタンプが無いのはなぜ?
パリからヨーロッパに入り、かれこれ約4ヶ月経ちました。最初に
シャルルドゴール空港で入国スタンプをもらい、国境を越える度に
スタンプが増えるんじゃないかとわくわくしてましたが、チェコや
ポーランドがシュンゲン協定入りをしており、結局次にスタンプを
もらえたのは、ヨーロッパ入りしてから二ヵ月後のハンガリー、
クロアチアでの国境でした。
その後、旧ユーゴスラビアではパスポートの掲示すら不要な国境が
いくつかあり、少し驚かされましたが、何度かスタンプを押して
もらえました。ただ、不思議なことに何度見直しても、入国と出国の
数が合いません。
足りないスタンプは。。。
クロアチア入国、出国
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ入国
モンテネグロ入国、出国
マケドニア出国
(あと、コソボ出国とセルビア入国)
この内、クロアチア出国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ入国の国境と
モンテネグロの入国、マケドニア出国に関しては、旧ユーゴスラビアの
時代のこともあり納得できるのですが、ハンガリーからのクロアチア
入国した時のクロアチア入国スタンプ、モンテネグロからアルバニア
へ入国した時のモンテネグロ出国スタンプが無いのはとても不思議です。
スタンプはとても重要な物だと思っているので、スタンプが無いと
いう事に少し不安を感じてしまいます。
シャルルドゴール空港で入国スタンプをもらい、国境を越える度に
スタンプが増えるんじゃないかとわくわくしてましたが、チェコや
ポーランドがシュンゲン協定入りをしており、結局次にスタンプを
もらえたのは、ヨーロッパ入りしてから二ヵ月後のハンガリー、
クロアチアでの国境でした。
その後、旧ユーゴスラビアではパスポートの掲示すら不要な国境が
いくつかあり、少し驚かされましたが、何度かスタンプを押して
もらえました。ただ、不思議なことに何度見直しても、入国と出国の
数が合いません。
足りないスタンプは。。。
クロアチア入国、出国
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ入国
モンテネグロ入国、出国
マケドニア出国
(あと、コソボ出国とセルビア入国)
この内、クロアチア出国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ入国の国境と
モンテネグロの入国、マケドニア出国に関しては、旧ユーゴスラビアの
時代のこともあり納得できるのですが、ハンガリーからのクロアチア
入国した時のクロアチア入国スタンプ、モンテネグロからアルバニア
へ入国した時のモンテネグロ出国スタンプが無いのはとても不思議です。
スタンプはとても重要な物だと思っているので、スタンプが無いと
いう事に少し不安を感じてしまいます。
マイブーム
Yesはバルカン半島の国々でDaと言います。ブルガリアやルーマニアでも
それは同じでした。発音は日本語で「ダ」です。この「ダ」ですが、
なんとなく東北弁?の「んだ」の「ん」をほとんど発音しない言い方に
によく似ています。なので私は東北弁の「んだ」を想像しながら「ダ」と
言うようになりました。それ以来、彼らと話している時に「ダ」を聞くと
「んだ」を思い出し、きっと東北弁を話す人とブルガリア人が唯一共通で
分かり合える言葉だろうなと、変な想像をして若干笑ってしまいます。
ちなみに、「はいはいはいはい」と相槌を打つような表現は「ダァダァ
ダァダァ」と4回続けていたような気がします。
この「ダ」今私の中で大ブームです。
それは同じでした。発音は日本語で「ダ」です。この「ダ」ですが、
なんとなく東北弁?の「んだ」の「ん」をほとんど発音しない言い方に
によく似ています。なので私は東北弁の「んだ」を想像しながら「ダ」と
言うようになりました。それ以来、彼らと話している時に「ダ」を聞くと
「んだ」を思い出し、きっと東北弁を話す人とブルガリア人が唯一共通で
分かり合える言葉だろうなと、変な想像をして若干笑ってしまいます。
ちなみに、「はいはいはいはい」と相槌を打つような表現は「ダァダァ
ダァダァ」と4回続けていたような気がします。
この「ダ」今私の中で大ブームです。
Where I am
Recently, I have difficulty finding "Internet Cafe" that is just right for what I need. Like I can`t type Japanese letters, too expensive and not located near hostel. Some people are starting to think something wrong with me because I`m not updating any of my web sites. To make it better, I`m gonna stamp where I am with this thread, and sometimes write short message too.
(France)
Paris -> Rennes -> Genes -> Bayeux -> Boulogne ->
(Belgium)
Halle -> Brussel ->
(Luxembourg)
Luxembourg -> Echtemach -> Luxembourg ->
(Belgium)
Liege -> Antwerpen ->
(Netherlands)
Dordrecht -> Rotterdam -> Amsterdam ->
(France)
Strassbourg ->
(Italy)
Milan ->
(France)
Lyon ->
(Swiss)
Geneve ->
(Slovakia)
Bratislava ->
(Austria)
Wien ->
(Poland)
Krakow ->
(Germany)
Hamburg ->
(Denmark)
Copenhagen ->
(Germany)
Berlin ->
(Czech Republic)
Praha ->
(Poland)
Warszawa ->
(Latvia)
Riga ->
(Estonia)
Tallinn ->
(Germany)
Koln ->
(Czech Repubic)
Praha ->
(Germany)
Dresden -> Erfurt
(Czech Republic)
Decin -> Praha ->
(Hungary)
Buapest -> Balatonszemes -> Nagykanizsa
(Croatia)
Zagreb -> Pritvice -> Zadar -> Split -> Dubrovnik ->
(Bosna i Hercegovina)
Mostar -> Sarajevo ->
(Montenegro)
Podgorica -> Budva ->
(Albania)
Shkoder -> Tirana -> Berat ->
(Macedonia)
Ohrid -> Skopia ->
(Kosovo)
Prestina ->
(Serbia)
Navi Pazar -> Belgrade ->
(Bulgaria)
Sofia -> Veliko Tarnovo ->
(Romania)
Brasov -> Sighisoara -> Prejmer -> Constanta ->
(Bulgaria)
Verna -> Nesevar ->
(Turkey)
Istanbul -> Cappadocia
I`m now in Cappadocia in Turkey.
(France)
Paris -> Rennes -> Genes -> Bayeux -> Boulogne ->
(Belgium)
Halle -> Brussel ->
(Luxembourg)
Luxembourg -> Echtemach -> Luxembourg ->
(Belgium)
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Buapest -> Balatonszemes -> Nagykanizsa
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Zagreb -> Pritvice -> Zadar -> Split -> Dubrovnik ->
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Podgorica -> Budva ->
(Albania)
Shkoder -> Tirana -> Berat ->
(Macedonia)
Ohrid -> Skopia ->
(Kosovo)
Prestina ->
(Serbia)
Navi Pazar -> Belgrade ->
(Bulgaria)
Sofia -> Veliko Tarnovo ->
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Brasov -> Sighisoara -> Prejmer -> Constanta ->
(Bulgaria)
Verna -> Nesevar ->
(Turkey)
Istanbul -> Cappadocia
I`m now in Cappadocia in Turkey.
2008年10月22日水曜日
病気からの回復について
そういえば、コソボで病気になった後の、その後の事について、何にも
触れていなかったので書いておきます。熱はそれほど出なかったので
風邪では無いと思っており、他の可能性を考えると、たぶん食中りにでも
遭ったのではないかと思います。実は、ニンニク入りのマッシュポテトを
作ってパックに入れて持ち歩いており、次の日のランチとして食べた時に
悪くなっていたのだろうと思います。
2日間の体の痛みの後は、2日間の酷い下痢とその後2日間の軽い下痢があり、
下痢が治ったと思ったら、4日間ほど何を食べてもオナラが出るといった
状態でした。
今は、体調は完全に元の状態に戻っており、食欲も旺盛でよく食べてます。
これまで気がつかなかったのですが、私は病気になると相当弱気になる
ようで、治らなかった時の事をずっと考えていました。健康になって
しまうと、全然病気について考えないんですけどね。。。
とにかく、旅行に差し支えないまま回復して良かったです。
触れていなかったので書いておきます。熱はそれほど出なかったので
風邪では無いと思っており、他の可能性を考えると、たぶん食中りにでも
遭ったのではないかと思います。実は、ニンニク入りのマッシュポテトを
作ってパックに入れて持ち歩いており、次の日のランチとして食べた時に
悪くなっていたのだろうと思います。
2日間の体の痛みの後は、2日間の酷い下痢とその後2日間の軽い下痢があり、
下痢が治ったと思ったら、4日間ほど何を食べてもオナラが出るといった
状態でした。
今は、体調は完全に元の状態に戻っており、食欲も旺盛でよく食べてます。
これまで気がつかなかったのですが、私は病気になると相当弱気になる
ようで、治らなかった時の事をずっと考えていました。健康になって
しまうと、全然病気について考えないんですけどね。。。
とにかく、旅行に差し支えないまま回復して良かったです。
プレジュメル(Prejmer)の要塞教会へ
シギショアラの次の目的地はどこにしようか相当悩んだ。ブカレストに
戻るべきか、他のトランシルバニアの地方へ行くべきか、修道院群のある
スシャバ(Suceava)に行くべきか。この後、ブルガリアにまた3~4日、
トルコに1週間ほど滞在すると決めている事もあり、ルーマニアはもう
2~3日で出てしまおうと考えていた。ネットで電車のコネクションを
調べていると、スシャバへ行く電車が丁度良さそうだったので、
スシャバ行きを決めた。5:15の電車に乗るべく、ホステルを5時に出発した。
しかし、チケットを買う際新たな事実が。チケット売り場のおばちゃんに
シギショアラからスシャバへの電車は無いと告げられる。「ネットで
見たんだ、乗り換える駅があるはず!」と言ってみるも、ネットは
オフィシャルなサイトではないから対応できないと言われただけ。
更に、ブラショフから直接の電車が出ているあら、そこへ行って
新たにチケットを買いなさいと言われ、もしどうしてもここから直接
行きたいのであれば、2回の乗り換えを含め17時間後の22時頃に着く
便があるが、それに乗るか?と言われる始末。
当然チケットは買わず、仕方がないので他の地方へ行く事を考えた。
時間的に一番良さそうなのはプレジュメルで、その後、ブラショフの
ホステルでお勧めされたシナイア(Sinaia)のお城を見に行けば無駄なく
一日が過ごせそうだ。シナイアの後の宿泊をどうするかが問題だが、
ブカレストまで行けばなんとかなるだろう。
シギショアラからブラショフ、ブラショフからプレジュメルと移動し、
時間は11:30になっていた。戻りのブラショフへの便が13:30なので、
教会を一つ見る程度なら十分な時間だろうと考えていた。駅の
おじさんに要塞教会までの道のりを教えてもらうと、駅から約2km
の場所にあるとのことで、30分ほど歩く事になる。時間は2時間の
余裕があるので問題はなさそうだ。そして何より、駅で荷物を
預かってくれるか聞いてみたら、快く引き受けてくれた。やっぱり、
駅は小さな方が融通が利く。まぁ、ブラショフなどの大きめの駅は
荷物預かり所があり、6レイぐらいで24時間預かってくれるのだ
けれどもね。
駅の周りは田舎だ。教会までの道のりは秋の風景が広がっていて、
歩き応えがありいい感じだ。ルーマニアの田舎はなかなか楽しい。
15分ほど歩くと、家が増えてきて、学校帰りの子供達とすれ違う
ようになってきた。ときどき子供達は私の方を見ているが、
アルバニアの時とは違い、私に対する興味はそれほど長続きしない
ようで、じっと見続けられることは無かった。たぶん、この教会には
たくさんの観光客が立ち寄るのだろう。
予想通り30分で教会へ到着。要塞と言われるだけあって、外観は
物々しく感じる。外壁には敵を狙い打つための穴が空いているのが
確認できる。回りには隠れられそうな場所も無く、狙われたら
イチコロだろう。思っていたよりも大きな建物で、普通に外壁を
登って攻撃を仕掛けるのは難しそうな作りになっている。
正面入り口を見ると、入り口は外壁に付け足したような感じで
出っ張っており、その付け足されたような正面から中に入り、
奥へ進むと、また屋外に出て外壁が現れる。そして、外壁の部分に
通路があり、10mほどの中央に向かって延びている。その通路の
途中には鉄作が下ろせるような仕組みになっており、正に鉄壁。
通路を抜けて、外壁の中へ入ると驚きの光景が。来る前は壁に
囲まれた珍しい教会というイメージしか持っていなかったが、
一見すると、さすがユネスコに登録されただけの事はあると
関心した。壁の内側は250人を収容できる施設となっていて、
壁にたくさんの戸が付いている。その光景がなんとも美しい。
そして、ある通路からは壁の内部へ入ることができ、壁内部を
ぐるりと一周できる狙撃エリアとなってる。石の通路を歩いて
いると、要塞の雰囲気を肌で感じる事ができて面白い。
1時間しか観光に充てられないのは少し残念だったが、帰りに
パンを仕入れていそいそとプレジュメル駅へと戻った。電車が
来る15分ほど前に戻ると、ジプシー?の少年が牛を線路の上で
追っている。のどかな光景だ。。。
電車は時間通りに到着し、私を乗せてブラショフへ向かった。
ちなみに、教会は駅から見えるので、電車の中から見ていると、
1つ手前の駅であるイリエニ(Ilieni)駅からの方が近いようである。
多分この駅からだと500mぐらいだろうと思う。あと、教会の前で
ブラショフ-プレジュメルと書かれたミニバスを見たので、
ミニバスが一番楽な手段かもしれない。でも、プレジュメル駅から
教会までの道のりはなかなか楽しかったので、また来るとしても
プレジュメル駅を使うだろう。
プレジュメル要塞教会に行ってみようかなと思うきっかけになった
のは、ルックJTBのツアーパンフレットに載っていたためで、
なかなかナイスなチョイスだったとJTBさんに感謝してます。
戻るべきか、他のトランシルバニアの地方へ行くべきか、修道院群のある
スシャバ(Suceava)に行くべきか。この後、ブルガリアにまた3~4日、
トルコに1週間ほど滞在すると決めている事もあり、ルーマニアはもう
2~3日で出てしまおうと考えていた。ネットで電車のコネクションを
調べていると、スシャバへ行く電車が丁度良さそうだったので、
スシャバ行きを決めた。5:15の電車に乗るべく、ホステルを5時に出発した。
しかし、チケットを買う際新たな事実が。チケット売り場のおばちゃんに
シギショアラからスシャバへの電車は無いと告げられる。「ネットで
見たんだ、乗り換える駅があるはず!」と言ってみるも、ネットは
オフィシャルなサイトではないから対応できないと言われただけ。
更に、ブラショフから直接の電車が出ているあら、そこへ行って
新たにチケットを買いなさいと言われ、もしどうしてもここから直接
行きたいのであれば、2回の乗り換えを含め17時間後の22時頃に着く
便があるが、それに乗るか?と言われる始末。
当然チケットは買わず、仕方がないので他の地方へ行く事を考えた。
時間的に一番良さそうなのはプレジュメルで、その後、ブラショフの
ホステルでお勧めされたシナイア(Sinaia)のお城を見に行けば無駄なく
一日が過ごせそうだ。シナイアの後の宿泊をどうするかが問題だが、
ブカレストまで行けばなんとかなるだろう。
シギショアラからブラショフ、ブラショフからプレジュメルと移動し、
時間は11:30になっていた。戻りのブラショフへの便が13:30なので、
教会を一つ見る程度なら十分な時間だろうと考えていた。駅の
おじさんに要塞教会までの道のりを教えてもらうと、駅から約2km
の場所にあるとのことで、30分ほど歩く事になる。時間は2時間の
余裕があるので問題はなさそうだ。そして何より、駅で荷物を
預かってくれるか聞いてみたら、快く引き受けてくれた。やっぱり、
駅は小さな方が融通が利く。まぁ、ブラショフなどの大きめの駅は
荷物預かり所があり、6レイぐらいで24時間預かってくれるのだ
けれどもね。
駅の周りは田舎だ。教会までの道のりは秋の風景が広がっていて、
歩き応えがありいい感じだ。ルーマニアの田舎はなかなか楽しい。
15分ほど歩くと、家が増えてきて、学校帰りの子供達とすれ違う
ようになってきた。ときどき子供達は私の方を見ているが、
アルバニアの時とは違い、私に対する興味はそれほど長続きしない
ようで、じっと見続けられることは無かった。たぶん、この教会には
たくさんの観光客が立ち寄るのだろう。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
予想通り30分で教会へ到着。要塞と言われるだけあって、外観は
物々しく感じる。外壁には敵を狙い打つための穴が空いているのが
確認できる。回りには隠れられそうな場所も無く、狙われたら
イチコロだろう。思っていたよりも大きな建物で、普通に外壁を
登って攻撃を仕掛けるのは難しそうな作りになっている。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
正面入り口を見ると、入り口は外壁に付け足したような感じで
出っ張っており、その付け足されたような正面から中に入り、
奥へ進むと、また屋外に出て外壁が現れる。そして、外壁の部分に
通路があり、10mほどの中央に向かって延びている。その通路の
途中には鉄作が下ろせるような仕組みになっており、正に鉄壁。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
通路を抜けて、外壁の中へ入ると驚きの光景が。来る前は壁に
囲まれた珍しい教会というイメージしか持っていなかったが、
一見すると、さすがユネスコに登録されただけの事はあると
関心した。壁の内側は250人を収容できる施設となっていて、
壁にたくさんの戸が付いている。その光景がなんとも美しい。
そして、ある通路からは壁の内部へ入ることができ、壁内部を
ぐるりと一周できる狙撃エリアとなってる。石の通路を歩いて
いると、要塞の雰囲気を肌で感じる事ができて面白い。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
1時間しか観光に充てられないのは少し残念だったが、帰りに
パンを仕入れていそいそとプレジュメル駅へと戻った。電車が
来る15分ほど前に戻ると、ジプシー?の少年が牛を線路の上で
追っている。のどかな光景だ。。。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
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電車は時間通りに到着し、私を乗せてブラショフへ向かった。
ちなみに、教会は駅から見えるので、電車の中から見ていると、
1つ手前の駅であるイリエニ(Ilieni)駅からの方が近いようである。
多分この駅からだと500mぐらいだろうと思う。あと、教会の前で
ブラショフ-プレジュメルと書かれたミニバスを見たので、
ミニバスが一番楽な手段かもしれない。でも、プレジュメル駅から
教会までの道のりはなかなか楽しかったので、また来るとしても
プレジュメル駅を使うだろう。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
プレジュメル要塞教会に行ってみようかなと思うきっかけになった
のは、ルックJTBのツアーパンフレットに載っていたためで、
なかなかナイスなチョイスだったとJTBさんに感謝してます。
ウェブアルバム追加
利用しているグーグルのウェブアルバムサービスの無料分の容量が
いっぱいになってしまいました。そのため、新たにアカウントを
作成ましたので、続きをそちらにアップしていきます。
旅行記ウェブアルバム2
http://picasaweb.google.co.jp/eu.tabi2
いっぱいになってしまいました。そのため、新たにアカウントを
作成ましたので、続きをそちらにアップしていきます。
旅行記ウェブアルバム2
http://picasaweb.google.co.jp/eu.tabi2
2008年10月21日火曜日
Personal(各駅)とRapid(急行)電車
ブラショフからシギショアラへ行く際に各駅停車に乗ってみたのだが、
この電車がとにかくよく跳ねる電車だった。途中何度も、これまでに
経験したことの無いような、縦への飛び跳ね方をするので、脱線する
のではないかと心配するほどだった。しかし、電車は脱線などする
事もなく、シギショアラへ無事に着いた。
「全ての電車はあんな揺れ方をするのか?」と疑問に思ったが、今
シギショアラからブラショフへ向かう急行に乗っていて、横揺れは
すれど縦へ飛び跳ねる事は無い。単に電車の違いなのだろうか?
正直、あの縦へ飛び跳ねる感じは、今後できればもう経験したくない。
この電車がとにかくよく跳ねる電車だった。途中何度も、これまでに
経験したことの無いような、縦への飛び跳ね方をするので、脱線する
のではないかと心配するほどだった。しかし、電車は脱線などする
事もなく、シギショアラへ無事に着いた。
「全ての電車はあんな揺れ方をするのか?」と疑問に思ったが、今
シギショアラからブラショフへ向かう急行に乗っていて、横揺れは
すれど縦へ飛び跳ねる事は無い。単に電車の違いなのだろうか?
正直、あの縦へ飛び跳ねる感じは、今後できればもう経験したくない。
2008年10月20日月曜日
シギショアラ(Sighisoara)の駅カフェで夜を明かしてみた
ブラショフでは町並みを見たり、ブラン城へショートトリップしたりと、
忙しく過ごし、夜はホステルで1泊した。そしてその後シギショアラへ
向かって出発した。ブラン城を見てシギショアラへ行くのは日本人の
王道だけど、私もまぁ、ミーハーな部分が多々あるようだ。
シギショアラに着いたのは23時。夜が明けるまで約8時間。ここの駅も
24時間運営らしく、カフェには「Non Stop」と書いてある。ならばと、
ここでも駅で朝まで待ってみる事にした。
カフェで売っているのはピザ、ホットドック、簡単なサンドイッチなど。
ピザが4.50レイ(180円)、ホットドックが3レイ(120円)と結構安い。
コーヒーは2.50レイ(100円)でエスプレッソやカプチーノは3.50レイ
(140円)となっている。あと忘れてはならないのがビール。500ml瓶が
3レイだった。明け方までに15レイ分を飲み食いした。
カフェは平和だ。特に変な事も起きず夜が更ける。私にとって
タバコの煙が充満しているのが苦痛ではあったが。
午前3時、店の人が椅子をテーブルの上に上げ、片付けを始めた。ふと
入り口を見ると「Non Stop」と書いてある横に3:00-4:30は閉まると
書いた張り紙がしてあった。誤算だったが仕方なく、人気の無い駅の
チケット売り場付近で時間を潰すことになった。
ホームレスかどうかわからないが大人が2人窓脇で寝ている。ブラショフ
の駅のようにベンチは無いので座ることはできない。暇なので荷物の
整理をしていると若者が2人やって来た。最近は雰囲気でわかるが、
この2人は単にアジア人に興味があって来たわけではなさそうである。
荷物に十分注意しながら、会話を始める。彼らはほとんど英語が
できないので、ほとんど会話にならない。彼らは1時間後に来る
電車を待っているようで、暇らしいのはわかった。
彼らの内の1人は何かの病気のようで、体中の皮膚が乾燥してバリバリに
なっており、その表面には緑の物体が付着している。緑の物体はたぶん
カビだろうと思うが実際のところはよくわからない。とにかく、辛うじて
素肌が見えているのは鼻の頭だけで、顔、首、手、腕、腹など全て、
ひび割れた皮膚とその上に付着した緑で完全に覆われている。平然と
公共の場にいる所を見ると、伝染する病気ではないだろう。
結局、半分暇つぶし、半分冷やかしだったのだろう。旅行について
話してみたりもしたが、格闘技は何かやっているかと聞いてきて、
「かかってこいよ」という素振りを見せたり、殴るとみせかけて
寸止めしたりと、悪ふざけをし始めた。あとは、お金を見せろだの
3ユーロくれだの、実りの無い会話が多いが、無視しても効果が無いし
別の場所に移動したくても、明かりがついているのはここしかない。
まぁ、駅で夜を明かそうとした自分自身の責任で、自業自得である。
仕方がないので彼らの電車が去るまで適当に相手していた。
4:30にカフェが再開したのでそちらへ移動して、8:00までをそこで
過ごし、ホステルへと移動した。
駅には監視カメラが設置されており、私の前に来た若者2人はそれを
何度か気にする素振りが見えた。たぶんのそカメラが防犯効果となり
安全性が確保されたのだと思うのだが、もしあれが無ければあの2人の
悪ふざけはエスカレートしていたかもしれない。置き引きなどの
盗みの犯罪の可能性を感じたことはこれまで何度もあったが、暴行の
可能性を感じたのは今回が初めてである。改めて人気の無い所には
足を踏み入れないようにする必要があると感じた。
もし、こんな形で犯罪に遭えば私はただの馬鹿である。反省。
忙しく過ごし、夜はホステルで1泊した。そしてその後シギショアラへ
向かって出発した。ブラン城を見てシギショアラへ行くのは日本人の
王道だけど、私もまぁ、ミーハーな部分が多々あるようだ。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
シギショアラに着いたのは23時。夜が明けるまで約8時間。ここの駅も
24時間運営らしく、カフェには「Non Stop」と書いてある。ならばと、
ここでも駅で朝まで待ってみる事にした。
カフェで売っているのはピザ、ホットドック、簡単なサンドイッチなど。
ピザが4.50レイ(180円)、ホットドックが3レイ(120円)と結構安い。
コーヒーは2.50レイ(100円)でエスプレッソやカプチーノは3.50レイ
(140円)となっている。あと忘れてはならないのがビール。500ml瓶が
3レイだった。明け方までに15レイ分を飲み食いした。
カフェは平和だ。特に変な事も起きず夜が更ける。私にとって
タバコの煙が充満しているのが苦痛ではあったが。
午前3時、店の人が椅子をテーブルの上に上げ、片付けを始めた。ふと
入り口を見ると「Non Stop」と書いてある横に3:00-4:30は閉まると
書いた張り紙がしてあった。誤算だったが仕方なく、人気の無い駅の
チケット売り場付近で時間を潰すことになった。
ホームレスかどうかわからないが大人が2人窓脇で寝ている。ブラショフ
の駅のようにベンチは無いので座ることはできない。暇なので荷物の
整理をしていると若者が2人やって来た。最近は雰囲気でわかるが、
この2人は単にアジア人に興味があって来たわけではなさそうである。
荷物に十分注意しながら、会話を始める。彼らはほとんど英語が
できないので、ほとんど会話にならない。彼らは1時間後に来る
電車を待っているようで、暇らしいのはわかった。
彼らの内の1人は何かの病気のようで、体中の皮膚が乾燥してバリバリに
なっており、その表面には緑の物体が付着している。緑の物体はたぶん
カビだろうと思うが実際のところはよくわからない。とにかく、辛うじて
素肌が見えているのは鼻の頭だけで、顔、首、手、腕、腹など全て、
ひび割れた皮膚とその上に付着した緑で完全に覆われている。平然と
公共の場にいる所を見ると、伝染する病気ではないだろう。
結局、半分暇つぶし、半分冷やかしだったのだろう。旅行について
話してみたりもしたが、格闘技は何かやっているかと聞いてきて、
「かかってこいよ」という素振りを見せたり、殴るとみせかけて
寸止めしたりと、悪ふざけをし始めた。あとは、お金を見せろだの
3ユーロくれだの、実りの無い会話が多いが、無視しても効果が無いし
別の場所に移動したくても、明かりがついているのはここしかない。
まぁ、駅で夜を明かそうとした自分自身の責任で、自業自得である。
仕方がないので彼らの電車が去るまで適当に相手していた。
4:30にカフェが再開したのでそちらへ移動して、8:00までをそこで
過ごし、ホステルへと移動した。
駅には監視カメラが設置されており、私の前に来た若者2人はそれを
何度か気にする素振りが見えた。たぶんのそカメラが防犯効果となり
安全性が確保されたのだと思うのだが、もしあれが無ければあの2人の
悪ふざけはエスカレートしていたかもしれない。置き引きなどの
盗みの犯罪の可能性を感じたことはこれまで何度もあったが、暴行の
可能性を感じたのは今回が初めてである。改めて人気の無い所には
足を踏み入れないようにする必要があると感じた。
もし、こんな形で犯罪に遭えば私はただの馬鹿である。反省。
2008年10月18日土曜日
ブラショフ(Brasov)の駅で夜を過ごしてみた
20時のブラショフの駅にはたくさんのホームレスの人達が見いる。
駅は24時間オープンで、寒くなってきたこの時期はホームレスにとって
家となるようだ。ここで私が心の中に飼っている偏屈虫が出てきて、
駅で夜を明かしてみてはどうかと言う。当然逆らわず、駅で夜を明かす
事に決定した。駅の中を歩いていると、ベンチはほとんどホームレスに
占拠されていて、座れる場所は限られる。
1席かろうじて空いているベンチがあり、そこに座ってみた。隣には
ホームレスが寝ている。外は息が真っ白になるほど寒い。こんなに
寒いのはヨーロッパに来てから初めてだ。それほど寒いので、
この駅には多分ブラショフ中のホームレスが集まっているのでは
ないかと思う。しかし、危険さはというと、それほど怖い感じではない。
警官が歩き回っているし、電車が夜中も行き来しているため、一般客も
常に何人かうろうろとしている。
座りながら、辺りを観察していると、突然警官が隣に寝ていたホームレスを
叩き始めた。起こすという類ではなく、明らかに強く叩いている。
「ホームレスに対する暴行か!?」とビックリしていると、警官は
ホームレスをベンチから引きずり降ろし、少し離れた場所に立たせた。
ホームレスが寝ていた場所を見ると、大量の液体がベンチに溜まっている。
寝小便をしていたらしい。警官はホームレスに外に行くように指示している
様子で、ホームレスもそれに従い、外に出て行った。
3つ隣にあるベンチに溜まった小便は多少気になったが、他に座るベンチは
無さそうなので、引き続き同じ場所に座り続けた。当然、すぐにホームレスが
寝ていた場所に座る人はいなかったが、しばらくすると、2歳ぐらいの子供の
オムツを変えようとして、小便が溜まっている事に気がつかずに子供を
寝そべらせようとする女性がいたので、さすがに止めた。女性は小便の
溜まっていない私の隣のベンチでオムツを変えて、どこかへ行った。
またしばらくすると、今度はホームレスが座りにやって来た。小便に
気がつき、どうするのだろうと見ていたら、素手でバシャバシャと
小便を払いのけている。最近いろいろな事に耐性がついてきて、何事
にもあまりギョッとする事も無くなっていたが、今回は久々に驚いた。
小便を払いのけた後、何事も無かったかのようにそこへ座る。これを機に、
他のホームレスが2人3人と集まってくる。そして、それに伴い、私は
押しのけられ、他に座れそうな場所を探す必要がでてきた。
ベンチはホームレスばかりで座れそうな場所はなかったので、通路の
脇に腰を少しだけかけられそうな場所を見つけ、そこに荷物を置いて
時間を過ごす事にした。ここは駅の2階部分で、全体を眺められる。
夜が更けてきて目立つのは、意味も無く駅をぐるぐると回っている
若い人達。この若い人達は2種類に分けられる。1つは寝ている人を
チェックしている若者。これは多分、隙があれば荷物を盗むつもりで
いるのだろうと思う。完全な憶測であるが他に考えられない。
もう1つはシンナーを吸っている若者。匂いから昔ガンプラを作った
のを思い出す。彼らはビニール袋を持ち、その中には液体が入っている。
彼らは全く隠す様子もなくシンナーを吸っている。吸う瞬間は一応
隠す素振りはするが、一目瞭然で、あまり隠している意味が無い。
そして、警官は捕まえたりする様子も無く、若者の前を通り過ぎていく。
荷物を抱えながら眠っていると、警官に起こされた。寝るな、という
わけではなく、荷物に十分に気をつけるようにと注意され、寝ない方が
身のためだよとアドバイスをしてくれた。この後、眠気に耐え切れず
合計2時間ほど寝ていたと思うが、運良く荷物を盗られる事は無かった。
夜が明けると、一般人が増えてきて、怪しい雰囲気は無くなって
しまった。ホームレスは多分ここ最近の急激なインフレに対応しきれ
なかった人達がほとんどなのじゃないかと思われる。12年前に
ルーマニアのこの辺りを旅行した人の日記を見てみると、ピザが
60円、ホテルが2000円程度だったらしいので、物価は軽く3倍には
なっている。
日本も色々と経験したが、ルーマニアは今、正に変化の真っ只中に
いる。EUに仲間入りして、明るい未来が見えているかのようだが、
変化に対応しきれない人達には相当な辛い未来となるだろう。
一つ不思議だったのは、たくさんのホームレスが酒臭かった事。他の
国でよく耳にした事だが、国から出る生活保護のお金をお酒に変えて
いるのだろうか?
駅は24時間オープンで、寒くなってきたこの時期はホームレスにとって
家となるようだ。ここで私が心の中に飼っている偏屈虫が出てきて、
駅で夜を明かしてみてはどうかと言う。当然逆らわず、駅で夜を明かす
事に決定した。駅の中を歩いていると、ベンチはほとんどホームレスに
占拠されていて、座れる場所は限られる。
1席かろうじて空いているベンチがあり、そこに座ってみた。隣には
ホームレスが寝ている。外は息が真っ白になるほど寒い。こんなに
寒いのはヨーロッパに来てから初めてだ。それほど寒いので、
この駅には多分ブラショフ中のホームレスが集まっているのでは
ないかと思う。しかし、危険さはというと、それほど怖い感じではない。
警官が歩き回っているし、電車が夜中も行き来しているため、一般客も
常に何人かうろうろとしている。
送信者 around_brasov_and_sighisoara |
座りながら、辺りを観察していると、突然警官が隣に寝ていたホームレスを
叩き始めた。起こすという類ではなく、明らかに強く叩いている。
「ホームレスに対する暴行か!?」とビックリしていると、警官は
ホームレスをベンチから引きずり降ろし、少し離れた場所に立たせた。
ホームレスが寝ていた場所を見ると、大量の液体がベンチに溜まっている。
寝小便をしていたらしい。警官はホームレスに外に行くように指示している
様子で、ホームレスもそれに従い、外に出て行った。
3つ隣にあるベンチに溜まった小便は多少気になったが、他に座るベンチは
無さそうなので、引き続き同じ場所に座り続けた。当然、すぐにホームレスが
寝ていた場所に座る人はいなかったが、しばらくすると、2歳ぐらいの子供の
オムツを変えようとして、小便が溜まっている事に気がつかずに子供を
寝そべらせようとする女性がいたので、さすがに止めた。女性は小便の
溜まっていない私の隣のベンチでオムツを変えて、どこかへ行った。
またしばらくすると、今度はホームレスが座りにやって来た。小便に
気がつき、どうするのだろうと見ていたら、素手でバシャバシャと
小便を払いのけている。最近いろいろな事に耐性がついてきて、何事
にもあまりギョッとする事も無くなっていたが、今回は久々に驚いた。
小便を払いのけた後、何事も無かったかのようにそこへ座る。これを機に、
他のホームレスが2人3人と集まってくる。そして、それに伴い、私は
押しのけられ、他に座れそうな場所を探す必要がでてきた。
ベンチはホームレスばかりで座れそうな場所はなかったので、通路の
脇に腰を少しだけかけられそうな場所を見つけ、そこに荷物を置いて
時間を過ごす事にした。ここは駅の2階部分で、全体を眺められる。
夜が更けてきて目立つのは、意味も無く駅をぐるぐると回っている
若い人達。この若い人達は2種類に分けられる。1つは寝ている人を
チェックしている若者。これは多分、隙があれば荷物を盗むつもりで
いるのだろうと思う。完全な憶測であるが他に考えられない。
もう1つはシンナーを吸っている若者。匂いから昔ガンプラを作った
のを思い出す。彼らはビニール袋を持ち、その中には液体が入っている。
彼らは全く隠す様子もなくシンナーを吸っている。吸う瞬間は一応
隠す素振りはするが、一目瞭然で、あまり隠している意味が無い。
そして、警官は捕まえたりする様子も無く、若者の前を通り過ぎていく。
荷物を抱えながら眠っていると、警官に起こされた。寝るな、という
わけではなく、荷物に十分に気をつけるようにと注意され、寝ない方が
身のためだよとアドバイスをしてくれた。この後、眠気に耐え切れず
合計2時間ほど寝ていたと思うが、運良く荷物を盗られる事は無かった。
夜が明けると、一般人が増えてきて、怪しい雰囲気は無くなって
しまった。ホームレスは多分ここ最近の急激なインフレに対応しきれ
なかった人達がほとんどなのじゃないかと思われる。12年前に
ルーマニアのこの辺りを旅行した人の日記を見てみると、ピザが
60円、ホテルが2000円程度だったらしいので、物価は軽く3倍には
なっている。
日本も色々と経験したが、ルーマニアは今、正に変化の真っ只中に
いる。EUに仲間入りして、明るい未来が見えているかのようだが、
変化に対応しきれない人達には相当な辛い未来となるだろう。
一つ不思議だったのは、たくさんのホームレスが酒臭かった事。他の
国でよく耳にした事だが、国から出る生活保護のお金をお酒に変えて
いるのだろうか?
ドナウ川の上を歩いて渡るはずが
ヴェリコタルノボで最初に泊まったホステルの主にドナウ川にかかる
橋を歩いて渡り国境を越えられるか聞いてみると、歩いて渡れるとの
答えが返ってきた。主はなぜそんな事をしたがるのか不思議がって
いたが、ここはぜひ歩いて渡ってみたいところ。
普通ならヴェリコタルノボからブカレストまで3時間半程度の道のりを
まずは国境の町であるルセ(Ruse)へ2時間半かけてバスで移動し、
そこから歩いて橋まで歩く事に。とりあえずドナウ川を見たいので、
真っ直ぐ北に歩いていく。途中で地図を見る機会があり、それを見て
今度は橋に近づきながらドナウ川へ向かう道(北東)を進んでいく。
ドナウ川に近づくにつれて、だんだんと寂しい場所になっていき、
今は使われていなさそうな線路に辿り着いた。線路の向こうには
ドナウ川が見える。道は無いがとりあえず線路を渡ってドナウ川へ
出てみた。
ドナウ川は思った以上に幅が狭く、ルーマニアがすぐそこに見える。
ルーマニアサイドもブルガリアサイドも川沿いに工場がたくさんあり、
たぶんその影響で川はあまりきれいではない。こんなもんかなと思い
ながら、川に沿って橋の方へ歩いていくが、途中で川の埋め立て工事
をしている場所にぶち当たる。回り道がなさそうなので、仕方なく
工事現場に入って中を通っていくが、誰も何も言わない。まぁ、何か
事故があれば100%私が悪いので、私に落度があった事で終わるのだろう。
工事現場を過ぎると、今度は何かの施設の内部に入ってしまっている
ようで、柵の向こう側に一般道路が見える。バックパッカーが決して
入るような場所では無いことは確かである。施設の中を一般道沿いに
進んで行くと、出入り口ポイントへ着いた。出入り口を管理している
セキュリティーのおじさんがこちらを見て、何をやっているんだ?
というジェスチャーをするので、迷ってしまってここから出たいんだ
とジェスチャーを返す。おじさんは怒ったりする事なくすんなり
出してくれた。
施設を出た後は何の問題もなく橋へ辿り着いた。バスを降りてから
2時間が経過しており、ずっと歩き通しでさすがにクタクタだったが、
橋を渡るんだと思うと、エネルギーが再びチャージされた。やる気
満々でカスタムに行くと、おじさんが出てきて、「歩いてこれ以上
進むことはできない。」と私に告げる。。。
騙された。。。というか、情報が古かったのか?とにかく歩いては
この橋を渡れない事は確かだ。仕方がないのでバスを使う事に決めて
バス停に向かおうとすると、えらく明るい地元のおじいさんが話し
かけてくる。お金が目当てなのはこれまでの経験からわかるが、
私を乗せてくれるように橋を渡るトラックと交渉してくれるらしい。
余っていた小銭1.5ユーロを渡し、トラックで私は橋を渡る事になった。
橋を渡るとすぐにカスタムチェックだ。トラックで渡ってくる
日本人は珍しいのか、元々そうなのか、他の国境ではあまり聞かれ
なかった質問をいくつかされた。「これからどこへいくのか?」
「どのぐらい滞在するのか?」「入国の目的は?」ベーシックな
質問だが、これまでほとんど聞かれる事はなかった。ただ、
荷物チェックなどは無く、ジロジロと見られただけで、すんなりと
通してくれた。
国境を越えると直にギウギルという町だと思っていたのだが、
近くには何も見えない。町は少し離れた場所らしい。疲れたので
しばらく休憩をして、ヒッチでブカレストへ向かう事にした。
1時間ほどで車が止まる。そして、1時間ほどでブカレストに着き
一番近い地下鉄の駅で降ろしてもらった。お金を要求してきたので、
ここは5ユーロを渡しておいた。けげんな顔をされたのは、金額が
少なかったからなのか、ユーロで渡したからなのか、それとも
お金を要求されたわけではなかったからなのか良くわからない。
地下鉄の駅の名前は「Eroii Revolutiei」で町の中心からは少し
南に位置する駅だ。町の中心へ行くために地下鉄に乗りたいのだが、
ATMが見当たらない。バスのキセル乗車は比較的簡単だが、地下鉄の
キセルはあまりやりたくないので、ひたすらATMを探すが近くには
無いようだ。まだ日は高いので、中心まで歩いて行ってみる事にした。
20分ほど進んだ所で、バスが止まっているターミナルがあったので、
ブカレストの後に行く予定であるブラショフへのバスがあるか
聞いて見る事にした。すると、ここからはアテネとイスタンブール
行きのバスしか出ていないと告げられる。よくターミナルを見ると、
ここは公共のバスターミナルではなく、ルーマニアの旅行会社が
所有するターミナルだった。突然の変な来客にもかかわらず、
旅行会社の人はブラショフ行きのバスが「Gara de Nord」という駅
から出ていると教えてくれた。その後、突然思い出したように、
ここからも17時にブラショフ行きが出るよ教えてくれた。
ブカレストに着いたばかりだったので、本当は2~3日滞在してみたい
ところではあったが、元々興味があるのはチャウシスクの宮殿だけで
あとはホステルで情報を集めて面白そうな所にいってみようと
考えていただけだったので、この際スキップしても良いかなと思い、
ブラショフ行きに乗る事にした。ここで問題なのはお金。ATMが
全然無い。「お金が無いからATMへ行く必要があるのですが、
どこに行けばATMがありますか?」と聞いてみると、お金は必要ない
からそこで待ってればいいよと告げられる。細かい事が確認できるほど
英語は通じていないように思ったので、何度か「お金が無い」と
言ってみたが、お金は要らないとその度に告げられる。その言葉を
信じてルーマニアのお金を持たずにバスに乗り込んだ。
正直、お金を持たないままバスに乗るのは何か問題があった場合に
困るので嫌だったが、最初に言われた通りお金を求められる事無く、
ブラショフに着いた。たぶん、このバスはアテネかイスタンブールへ
ツアーで行ってきたお客さんを、それぞれのホームシティーへ送る
ための物で、そのついでに乗せてくれたのだろうと思う。ともかく、
都合よくブラショフに着いてしまった。
7時半にヴェリコタルノボ出発して、20時にブラショフに到着。
距離以上に遠く感じた移動になった。
橋を歩いて渡り国境を越えられるか聞いてみると、歩いて渡れるとの
答えが返ってきた。主はなぜそんな事をしたがるのか不思議がって
いたが、ここはぜひ歩いて渡ってみたいところ。
普通ならヴェリコタルノボからブカレストまで3時間半程度の道のりを
まずは国境の町であるルセ(Ruse)へ2時間半かけてバスで移動し、
そこから歩いて橋まで歩く事に。とりあえずドナウ川を見たいので、
真っ直ぐ北に歩いていく。途中で地図を見る機会があり、それを見て
今度は橋に近づきながらドナウ川へ向かう道(北東)を進んでいく。
ドナウ川に近づくにつれて、だんだんと寂しい場所になっていき、
今は使われていなさそうな線路に辿り着いた。線路の向こうには
ドナウ川が見える。道は無いがとりあえず線路を渡ってドナウ川へ
出てみた。
ドナウ川は思った以上に幅が狭く、ルーマニアがすぐそこに見える。
ルーマニアサイドもブルガリアサイドも川沿いに工場がたくさんあり、
たぶんその影響で川はあまりきれいではない。こんなもんかなと思い
ながら、川に沿って橋の方へ歩いていくが、途中で川の埋め立て工事
をしている場所にぶち当たる。回り道がなさそうなので、仕方なく
工事現場に入って中を通っていくが、誰も何も言わない。まぁ、何か
事故があれば100%私が悪いので、私に落度があった事で終わるのだろう。
工事現場を過ぎると、今度は何かの施設の内部に入ってしまっている
ようで、柵の向こう側に一般道路が見える。バックパッカーが決して
入るような場所では無いことは確かである。施設の中を一般道沿いに
進んで行くと、出入り口ポイントへ着いた。出入り口を管理している
セキュリティーのおじさんがこちらを見て、何をやっているんだ?
というジェスチャーをするので、迷ってしまってここから出たいんだ
とジェスチャーを返す。おじさんは怒ったりする事なくすんなり
出してくれた。
施設を出た後は何の問題もなく橋へ辿り着いた。バスを降りてから
2時間が経過しており、ずっと歩き通しでさすがにクタクタだったが、
橋を渡るんだと思うと、エネルギーが再びチャージされた。やる気
満々でカスタムに行くと、おじさんが出てきて、「歩いてこれ以上
進むことはできない。」と私に告げる。。。
騙された。。。というか、情報が古かったのか?とにかく歩いては
この橋を渡れない事は確かだ。仕方がないのでバスを使う事に決めて
バス停に向かおうとすると、えらく明るい地元のおじいさんが話し
かけてくる。お金が目当てなのはこれまでの経験からわかるが、
私を乗せてくれるように橋を渡るトラックと交渉してくれるらしい。
余っていた小銭1.5ユーロを渡し、トラックで私は橋を渡る事になった。
橋を渡るとすぐにカスタムチェックだ。トラックで渡ってくる
日本人は珍しいのか、元々そうなのか、他の国境ではあまり聞かれ
なかった質問をいくつかされた。「これからどこへいくのか?」
「どのぐらい滞在するのか?」「入国の目的は?」ベーシックな
質問だが、これまでほとんど聞かれる事はなかった。ただ、
荷物チェックなどは無く、ジロジロと見られただけで、すんなりと
通してくれた。
国境を越えると直にギウギルという町だと思っていたのだが、
近くには何も見えない。町は少し離れた場所らしい。疲れたので
しばらく休憩をして、ヒッチでブカレストへ向かう事にした。
1時間ほどで車が止まる。そして、1時間ほどでブカレストに着き
一番近い地下鉄の駅で降ろしてもらった。お金を要求してきたので、
ここは5ユーロを渡しておいた。けげんな顔をされたのは、金額が
少なかったからなのか、ユーロで渡したからなのか、それとも
お金を要求されたわけではなかったからなのか良くわからない。
地下鉄の駅の名前は「Eroii Revolutiei」で町の中心からは少し
南に位置する駅だ。町の中心へ行くために地下鉄に乗りたいのだが、
ATMが見当たらない。バスのキセル乗車は比較的簡単だが、地下鉄の
キセルはあまりやりたくないので、ひたすらATMを探すが近くには
無いようだ。まだ日は高いので、中心まで歩いて行ってみる事にした。
20分ほど進んだ所で、バスが止まっているターミナルがあったので、
ブカレストの後に行く予定であるブラショフへのバスがあるか
聞いて見る事にした。すると、ここからはアテネとイスタンブール
行きのバスしか出ていないと告げられる。よくターミナルを見ると、
ここは公共のバスターミナルではなく、ルーマニアの旅行会社が
所有するターミナルだった。突然の変な来客にもかかわらず、
旅行会社の人はブラショフ行きのバスが「Gara de Nord」という駅
から出ていると教えてくれた。その後、突然思い出したように、
ここからも17時にブラショフ行きが出るよ教えてくれた。
ブカレストに着いたばかりだったので、本当は2~3日滞在してみたい
ところではあったが、元々興味があるのはチャウシスクの宮殿だけで
あとはホステルで情報を集めて面白そうな所にいってみようと
考えていただけだったので、この際スキップしても良いかなと思い、
ブラショフ行きに乗る事にした。ここで問題なのはお金。ATMが
全然無い。「お金が無いからATMへ行く必要があるのですが、
どこに行けばATMがありますか?」と聞いてみると、お金は必要ない
からそこで待ってればいいよと告げられる。細かい事が確認できるほど
英語は通じていないように思ったので、何度か「お金が無い」と
言ってみたが、お金は要らないとその度に告げられる。その言葉を
信じてルーマニアのお金を持たずにバスに乗り込んだ。
正直、お金を持たないままバスに乗るのは何か問題があった場合に
困るので嫌だったが、最初に言われた通りお金を求められる事無く、
ブラショフに着いた。たぶん、このバスはアテネかイスタンブールへ
ツアーで行ってきたお客さんを、それぞれのホームシティーへ送る
ための物で、そのついでに乗せてくれたのだろうと思う。ともかく、
都合よくブラショフに着いてしまった。
7時半にヴェリコタルノボ出発して、20時にブラショフに到着。
距離以上に遠く感じた移動になった。
フロントガラスが割れているベラートの車
アルバニアのベラートを歩いていて気がつくのはフロントガラスに
ヒビが入った車が多いこと。一般の車からバスまでとにかくヒビが
入っています。別に治安が悪いわけではないです。想像になりますが、
落石が多いのでしょう。ベラートは山間に位置するし、これらの山は
岩山です。道路に面する岩山はというと、セイフティーネットなどで
カバーされている事は無く、落石を防ぐ対処は何もされていません。
落石が常にある地域でフロントガラスを修復するのも馬鹿らしい
ので、フロントガラスにヒビが入ったままで走行するのだと思います。
日本で常にきれいなフロントガラスを見ている私には外国を感じる
出来事でした。
ヒビが入った車が多いこと。一般の車からバスまでとにかくヒビが
入っています。別に治安が悪いわけではないです。想像になりますが、
落石が多いのでしょう。ベラートは山間に位置するし、これらの山は
岩山です。道路に面する岩山はというと、セイフティーネットなどで
カバーされている事は無く、落石を防ぐ対処は何もされていません。
落石が常にある地域でフロントガラスを修復するのも馬鹿らしい
ので、フロントガラスにヒビが入ったままで走行するのだと思います。
日本で常にきれいなフロントガラスを見ている私には外国を感じる
出来事でした。
帰国はいつ?
最初にフランスへ入った際は滞在費の高さから2~3ヶ月が限度だろうと
考えていましたが、貧乏旅行への切り替えに加え、中欧に入ってからの
物価の安さと、ここ最近の円高により、資金に若干の余裕ができました。
そのため、バルセロナ-シンガポール(11月11日)とシンガポール-日本
(11月17日)の飛行機の予約を3週間ほど延ばそうかと考えています。
6ヶ月のオープンチケットを購入しており、日本を出発したのが
6月23日なので、最大12月23日までの延長が可能ですが、忙しい年末に
さしかかるのは避けたいので、今の所、シンガポール-日本の便を
12月15日を候補に変更しようと考えています。そして、バルセロナ-
シンガポールを11月25日に変更して、東南アジアを3週間回ってみようか
と考えています。
東南アジアはシンガポールを出発し、マレーシア、タイ、ベトナム
カンボジア、ラオスぐらいが丁度良いかと思っています。
長旅をしていると、どんどんと欲張りになってしまうようです。
東南アジアはこれだけに限らずまた別途予定を組んで行ってみたい
ですし、ロシアを中心とした旧ソビエト連邦周遊も魅力的です。
南米、アフリカ、中央アジアなどまだまだ足を踏み入れた事の無い
地域がたくさんあり、一生のうち一度はそれぞれじっくりと回って
みたいものです。
考えていましたが、貧乏旅行への切り替えに加え、中欧に入ってからの
物価の安さと、ここ最近の円高により、資金に若干の余裕ができました。
そのため、バルセロナ-シンガポール(11月11日)とシンガポール-日本
(11月17日)の飛行機の予約を3週間ほど延ばそうかと考えています。
6ヶ月のオープンチケットを購入しており、日本を出発したのが
6月23日なので、最大12月23日までの延長が可能ですが、忙しい年末に
さしかかるのは避けたいので、今の所、シンガポール-日本の便を
12月15日を候補に変更しようと考えています。そして、バルセロナ-
シンガポールを11月25日に変更して、東南アジアを3週間回ってみようか
と考えています。
東南アジアはシンガポールを出発し、マレーシア、タイ、ベトナム
カンボジア、ラオスぐらいが丁度良いかと思っています。
長旅をしていると、どんどんと欲張りになってしまうようです。
東南アジアはこれだけに限らずまた別途予定を組んで行ってみたい
ですし、ロシアを中心とした旧ソビエト連邦周遊も魅力的です。
南米、アフリカ、中央アジアなどまだまだ足を踏み入れた事の無い
地域がたくさんあり、一生のうち一度はそれぞれじっくりと回って
みたいものです。
2008年10月17日金曜日
ヴェリコタルノボ大学
ヴェリコタルノボは色々な場所にビュースポットがある。眺めのよさそうな
場所を探して歩いていると、ヴェリコタルノボ大学の校舎に辿り着いた。
校舎は全部で3つあり、全体で1万人以上ある結構大きい大学なのだが、
その中の1つである、丘の上に位置する万歳をしている銅像がある校舎だ。
ここからは、すばらしい旧市街地とお城の景色を眺める事ができる。
休憩していると、大学生が日本語で話しかけてきた。彼の名前はイッツォ君。
陽気な人柄で、日本語を使える機会はここしかないとばかりに、色々と質問を
してくる。なかなか上手な日本語だが、いわゆる外人が話す日本語である。
この校舎には日本語学科があり、そこに案内してくれるという。面白そう
なので行ってみた。
日本語学科の前には、提出物用ポストがあり、それには日本語が書かれている
ので、一発で日本語学科とわかる。イッツォ君がノックをして戸を開けると
そこでは10人ほどの人間が机を囲んで会話をしていた。雰囲気的に、雑談でも
しているのかと思っていたら、正に3年生の授業の真っ最中だったらしい。
「えっ、授業中?突然入ってもいいの?」と言うと、問題ないらしい。
授業を行っていたのはミリッツァ先生という人で、先生は私を輪の中に
座らせて、それまでの授業を中断し、私と生徒との会話タイムを設けた。
せっかく日本人がやって来て生日本語を聞く機会なので授業よりもそちらを
優先させるらしい。日本ではまずありえない光景だろう。ブルガリアの
生徒達がシャイなのか、それとも先生の行動に呆れているのか、8~9人いる
生徒のうち3人しか会話に参加しようとしない。全員がやる気を見せない中で
授業を中断して日本や私について雑談しているのは心苦しいので、雑談は
ほどほどにして、次の授業は見学だけさせてもらうことにした。
この学校には3人の先生がいるのだが、その内の一人は日本人である。
日本人と聞いて、ひょっとしたら青年海外協力隊のメンバーとして来て
いるのではと思い聞いてみたら、その通りだった。私は今後、応募を
してみるか検討中で、いい機会なので色々と話を聞いてみた。ちなみに、
EU加盟国への派遣は規定上行われないらしく、ブルガリアはEUに最近
加盟したので、もうこの国への派遣はないらしい。ただ、他のボランティア
プロジェクトで次期も2人の日本人がやってくるとのこと。ややこしい。
ヴェリコタルノボ大学日本語学科ではいつでも日本人の訪問を歓迎
してくれるそうなので、暇がある人は行ってみましょう。生徒の中の
数人は本当に日本語を話したがっています。大学の日本語学科の戸を
ノックして開けてください。授業中でも問題ありません。もし、
セキュリティーガードに止められたら、日本語学科のミリッツァ先生を
探していると言えば問題ないでしょう。
場所を探して歩いていると、ヴェリコタルノボ大学の校舎に辿り着いた。
校舎は全部で3つあり、全体で1万人以上ある結構大きい大学なのだが、
その中の1つである、丘の上に位置する万歳をしている銅像がある校舎だ。
ここからは、すばらしい旧市街地とお城の景色を眺める事ができる。
休憩していると、大学生が日本語で話しかけてきた。彼の名前はイッツォ君。
陽気な人柄で、日本語を使える機会はここしかないとばかりに、色々と質問を
してくる。なかなか上手な日本語だが、いわゆる外人が話す日本語である。
この校舎には日本語学科があり、そこに案内してくれるという。面白そう
なので行ってみた。
日本語学科の前には、提出物用ポストがあり、それには日本語が書かれている
ので、一発で日本語学科とわかる。イッツォ君がノックをして戸を開けると
そこでは10人ほどの人間が机を囲んで会話をしていた。雰囲気的に、雑談でも
しているのかと思っていたら、正に3年生の授業の真っ最中だったらしい。
「えっ、授業中?突然入ってもいいの?」と言うと、問題ないらしい。
授業を行っていたのはミリッツァ先生という人で、先生は私を輪の中に
座らせて、それまでの授業を中断し、私と生徒との会話タイムを設けた。
せっかく日本人がやって来て生日本語を聞く機会なので授業よりもそちらを
優先させるらしい。日本ではまずありえない光景だろう。ブルガリアの
生徒達がシャイなのか、それとも先生の行動に呆れているのか、8~9人いる
生徒のうち3人しか会話に参加しようとしない。全員がやる気を見せない中で
授業を中断して日本や私について雑談しているのは心苦しいので、雑談は
ほどほどにして、次の授業は見学だけさせてもらうことにした。
この学校には3人の先生がいるのだが、その内の一人は日本人である。
日本人と聞いて、ひょっとしたら青年海外協力隊のメンバーとして来て
いるのではと思い聞いてみたら、その通りだった。私は今後、応募を
してみるか検討中で、いい機会なので色々と話を聞いてみた。ちなみに、
EU加盟国への派遣は規定上行われないらしく、ブルガリアはEUに最近
加盟したので、もうこの国への派遣はないらしい。ただ、他のボランティア
プロジェクトで次期も2人の日本人がやってくるとのこと。ややこしい。
ヴェリコタルノボ大学日本語学科ではいつでも日本人の訪問を歓迎
してくれるそうなので、暇がある人は行ってみましょう。生徒の中の
数人は本当に日本語を話したがっています。大学の日本語学科の戸を
ノックして開けてください。授業中でも問題ありません。もし、
セキュリティーガードに止められたら、日本語学科のミリッツァ先生を
探していると言えば問題ないでしょう。
ホステルモステルに行くハズが
ぎこちなくなってしまったヴェリコタルノボ最初のホステルから
もう一つの高評価のホステルであるホステルモステルへ移動する
事にした。なんとなく地図を覚えて移動開始。
迷った。散々歩いているがわからない。1時間ほど探し回って、
自力で探すのを諦めた。2人目、3人目と聞いて、だんだんと
目的地に近づいていく。かなり近くだと思われる場所で4人目の
おばちゃんに最後の1回かなと思いながら聞いてみた。
おばちゃん、英語は喋らないのだが、よく知っている様子だ。
想像を交えているが、会話はこんな感じだったと思う。
お「ホステルモステルかい。知っている、知ってる。」
私「どこら辺?」
お「このすぐ近くさ。」
私「やっぱり、この辺だったんだね。で、どっち?」
お「ホステルモステルよく知ってるよ。とりあえずうちもゲストハウスしてるから見ていきなよ。」
私「え、いやホステルモステル。。」(。。後学のため見ておくのも悪くないか)
お「いいからいいから、見ていきな」
私「じゃ、部屋だけでも」
民家に入っていくと、ゲスト用の部屋が3つ用意してあり2つは使われて
いる様子だ。空いていた部屋を見ると、悪くない。1~2星のホテルと
同級といったところか。おばちゃんは洗面所へ行き、お湯を出し始める。
お「ほら、じゃんじゃんお湯がでてくるよ。じゃんじゃん出てくるよ。」
なぜかやたらお湯の出をアピールしている。
お「15レバ(7.50ユーロ)だよ。」
私「15レバ?・・・買った!」
値段設定が決め手となり、この日の宿泊はこのゲストハウスでする
事にした。何事も臨機応変に。。。
もう一つの高評価のホステルであるホステルモステルへ移動する
事にした。なんとなく地図を覚えて移動開始。
迷った。散々歩いているがわからない。1時間ほど探し回って、
自力で探すのを諦めた。2人目、3人目と聞いて、だんだんと
目的地に近づいていく。かなり近くだと思われる場所で4人目の
おばちゃんに最後の1回かなと思いながら聞いてみた。
おばちゃん、英語は喋らないのだが、よく知っている様子だ。
想像を交えているが、会話はこんな感じだったと思う。
お「ホステルモステルかい。知っている、知ってる。」
私「どこら辺?」
お「このすぐ近くさ。」
私「やっぱり、この辺だったんだね。で、どっち?」
お「ホステルモステルよく知ってるよ。とりあえずうちもゲストハウスしてるから見ていきなよ。」
私「え、いやホステルモステル。。」(。。後学のため見ておくのも悪くないか)
お「いいからいいから、見ていきな」
私「じゃ、部屋だけでも」
民家に入っていくと、ゲスト用の部屋が3つ用意してあり2つは使われて
いる様子だ。空いていた部屋を見ると、悪くない。1~2星のホテルと
同級といったところか。おばちゃんは洗面所へ行き、お湯を出し始める。
お「ほら、じゃんじゃんお湯がでてくるよ。じゃんじゃん出てくるよ。」
なぜかやたらお湯の出をアピールしている。
お「15レバ(7.50ユーロ)だよ。」
私「15レバ?・・・買った!」
値段設定が決め手となり、この日の宿泊はこのゲストハウスでする
事にした。何事も臨機応変に。。。
2008年10月16日木曜日
朝6時半は1泊になる?
ソフィアからの夜行で朝5時半にヴェリコタルノボに到着。さすがに、
この時間から宿に入るのは迷惑だろうと思い、夜の町を写真に収め
ながら、ゆっくりと宿を探す。
朝6時半、あっさりと宿が見つかる。ドアには24時間レセプションと
書いてあるので、大丈夫だろうと思いベルを鳴らす。1分ぐらいして、
宿の主が眠たそうな顔をして戸を開けてくれた。彼はベッドシーツは
いるかとか、部屋に入りたいかとか聞いてくるので、Yesと答え、
シーツを貰い、部屋も見せてもらった。普通、こういったチェックイン
は午後に行い、その前に来た客に対しては、荷物を預かって、
共有ルームの利用を許してくれたりするのだが、客が少ないので
すぐに見せてくれたのだと思っていた。彼は再び眠りに着き、私は
太陽が昇るのを共有ルームで待っていた。
9時頃、皆起きてきて、やっと1日が始まった感じだ。この町の
スタートは遅いらしい。宿主と再び顔を会わせ、支払いをする事に
なった。
主「何泊する予定だい?」
私「1泊の予定です。」
主「えっ、昨晩の1泊だけ?」
私「昨晩??今朝の事ですか?今朝の分も1泊に数えるんですか?」
焦った顔になった私を見て、
主「ん、あ、いや、今朝の分はおまけにしてあげるから、お金はチャージしないよ。」
私「そうですか、では一泊です。」
双方とも腑に落ちない感じだ。私は当然朝から寝る気も無く、
朝食も用意しておいた。そして、チェックインも後からになる
だろうと思っていたので、部屋に案内された時は予想外だった。
主にしてみれば、早朝まだ暗い時間に来た客は一種の宿泊客と
考えているようなので、逆に私の反応が意外だったらしい。
ホステルは曖昧な部分が多く、国や地域によってもルールが
異なる場合が多いので、どちらが正しいといえないだろう。
なんともぎこちないステイとなってしまった。
この時間から宿に入るのは迷惑だろうと思い、夜の町を写真に収め
ながら、ゆっくりと宿を探す。
朝6時半、あっさりと宿が見つかる。ドアには24時間レセプションと
書いてあるので、大丈夫だろうと思いベルを鳴らす。1分ぐらいして、
宿の主が眠たそうな顔をして戸を開けてくれた。彼はベッドシーツは
いるかとか、部屋に入りたいかとか聞いてくるので、Yesと答え、
シーツを貰い、部屋も見せてもらった。普通、こういったチェックイン
は午後に行い、その前に来た客に対しては、荷物を預かって、
共有ルームの利用を許してくれたりするのだが、客が少ないので
すぐに見せてくれたのだと思っていた。彼は再び眠りに着き、私は
太陽が昇るのを共有ルームで待っていた。
9時頃、皆起きてきて、やっと1日が始まった感じだ。この町の
スタートは遅いらしい。宿主と再び顔を会わせ、支払いをする事に
なった。
主「何泊する予定だい?」
私「1泊の予定です。」
主「えっ、昨晩の1泊だけ?」
私「昨晩??今朝の事ですか?今朝の分も1泊に数えるんですか?」
焦った顔になった私を見て、
主「ん、あ、いや、今朝の分はおまけにしてあげるから、お金はチャージしないよ。」
私「そうですか、では一泊です。」
双方とも腑に落ちない感じだ。私は当然朝から寝る気も無く、
朝食も用意しておいた。そして、チェックインも後からになる
だろうと思っていたので、部屋に案内された時は予想外だった。
主にしてみれば、早朝まだ暗い時間に来た客は一種の宿泊客と
考えているようなので、逆に私の反応が意外だったらしい。
ホステルは曖昧な部分が多く、国や地域によってもルールが
異なる場合が多いので、どちらが正しいといえないだろう。
なんともぎこちないステイとなってしまった。
2008年10月15日水曜日
客引き合戦 in ヴェリコタルノボ
ヴェリコタルノボは観光地としてとても発展している町で、様々なニーズに
応える宿が存在します。シーズン中はよりよい宿を巡り、旅行者達による
宿取り合戦が激しく、予約なしでは滞在する事も難しいかもしれません。
観光シーズンを過ぎ、観光客が少なくなってくると、今度は宿による客引き
合戦が激化します。個人でゲストハウスを運営している人たちは、宿を
探している旅行者を見かけると、すかさず自分の宿を紹介しますし、時には
その人が探している宿に連れて行く振りをして自分の宿へ連れて行きます。
こういった目に見える客引きの他にWEBサイトでも同じようにバトルが
あります。ヴェリコタルノボのマダスホステルをWEBでチェックした際、
6ユーロの部屋があったので、これは安いと思い、宿へ行ったのですが、
実際には6ユーロの部屋は無く、10ユーロでした。6ユーロというのは
この10ユーロ部屋のスペシャルプライスで、WEBで宿泊予約をする人の
中で最初に予約する1人だけが利用できるものでした。他の宿もチェック
してみると、同じような仕組みを持っている事が多く、10月下旬に
入ると導入するところが増えるようです。
オフシーズンのホステル運営はなかなか難しいようですね。
応える宿が存在します。シーズン中はよりよい宿を巡り、旅行者達による
宿取り合戦が激しく、予約なしでは滞在する事も難しいかもしれません。
観光シーズンを過ぎ、観光客が少なくなってくると、今度は宿による客引き
合戦が激化します。個人でゲストハウスを運営している人たちは、宿を
探している旅行者を見かけると、すかさず自分の宿を紹介しますし、時には
その人が探している宿に連れて行く振りをして自分の宿へ連れて行きます。
こういった目に見える客引きの他にWEBサイトでも同じようにバトルが
あります。ヴェリコタルノボのマダスホステルをWEBでチェックした際、
6ユーロの部屋があったので、これは安いと思い、宿へ行ったのですが、
実際には6ユーロの部屋は無く、10ユーロでした。6ユーロというのは
この10ユーロ部屋のスペシャルプライスで、WEBで宿泊予約をする人の
中で最初に予約する1人だけが利用できるものでした。他の宿もチェック
してみると、同じような仕組みを持っている事が多く、10月下旬に
入ると導入するところが増えるようです。
オフシーズンのホステル運営はなかなか難しいようですね。
2008年10月12日日曜日
タバコは吸うのが普通
バルティックの国々ではタバコを吸わない人が少ないようです。
値段も100円~300円と安く、当然規制もありません。男達は
当然のように皆タバコを吸っています。女性の多くもタバコを
吸います。
日本でもそんな時がありましたよね。
値段も100円~300円と安く、当然規制もありません。男達は
当然のように皆タバコを吸っています。女性の多くもタバコを
吸います。
日本でもそんな時がありましたよね。
鶏、猫、犬が共存 - ベラート
ベラートではよく放し飼いの鶏、猫、犬を見かけます。
猫が鶏を襲ったりしないのかとか、犬が猫を追いかけたり
しないのかと思うのですが、ずっとそういった飼い方を
されていると、そんな事は起こらないのかもしれません。
まぁ、犬は種類にもよるのかもしれませんけれども。
いつか自分の家を持った時は柵の無い庭でベラートのような
感じで飼ってみたいものです。
猫が鶏を襲ったりしないのかとか、犬が猫を追いかけたり
しないのかと思うのですが、ずっとそういった飼い方を
されていると、そんな事は起こらないのかもしれません。
まぁ、犬は種類にもよるのかもしれませんけれども。
いつか自分の家を持った時は柵の無い庭でベラートのような
感じで飼ってみたいものです。
バスシステム in アルバニア
バルティックの国々で感じ始めた事ですが、特にアルバニアで
よく感じる事がシステムの曖昧さです。そして、中長距離バスの
システムがその曖昧さを一番良く表しています。
バスターミナルを出発したバスは、目的地のバスターミナルを
目指して出発します。途中にバス停は無く、客が手を振って
ドライバーに乗りたい事を知らせます。それを見たドライバーは
バスを止めて客を乗せていきます。また、降りる際もバスルートの
好きな場所で降ろしてくれるようで、目印も何も無い場所でみんな
降りていきます。
そういえば、モンテネグロでヒッチハイクしていた時に、
停留所でもないのに通り過ぎる全てのバスドライバーが
「乗りたいのか?」と合図を送ってきたのを思い出します。
その内1台は合図も送らず停車しようとしたので、慌てて
「乗る気は無い」と意思表示を送った事があります。
バスのこういった局面は、単純にシステムの違いにしか
映らないかと思いますが、私にはそれ以上に、先進国で
はシステムを確立する事が大事で、アルバニアでは運転手や
乗客の感覚に頼っているように映ります。
なんだか変な体験でした。
よく感じる事がシステムの曖昧さです。そして、中長距離バスの
システムがその曖昧さを一番良く表しています。
バスターミナルを出発したバスは、目的地のバスターミナルを
目指して出発します。途中にバス停は無く、客が手を振って
ドライバーに乗りたい事を知らせます。それを見たドライバーは
バスを止めて客を乗せていきます。また、降りる際もバスルートの
好きな場所で降ろしてくれるようで、目印も何も無い場所でみんな
降りていきます。
そういえば、モンテネグロでヒッチハイクしていた時に、
停留所でもないのに通り過ぎる全てのバスドライバーが
「乗りたいのか?」と合図を送ってきたのを思い出します。
その内1台は合図も送らず停車しようとしたので、慌てて
「乗る気は無い」と意思表示を送った事があります。
バスのこういった局面は、単純にシステムの違いにしか
映らないかと思いますが、私にはそれ以上に、先進国で
はシステムを確立する事が大事で、アルバニアでは運転手や
乗客の感覚に頼っているように映ります。
なんだか変な体験でした。
近いけど遠いアルバニアでの移動
アルバニア国内を移動する際に感じる事、それはとても時間が
かかる事です。道路自体はきれいに舗装されていて、走りやす
そうなのですが、山が多いため直通道路があまり無く、遠回り
する事が多いです。また、高速道路もほとんどありません。
例えばティラナからベラートは直線距離にして70~80kmですが、
道路表記は120kmとなり、時間も3時間半かかります。ティラナ
からギロカスタルだと直線距離で200km少々だと思いますが、
時間は7~8時間になります。そして、ほとんどが山道に
なるため体力も使い、疲労も溜まります。
アルバニアでの移動は距離だけで計算していると、痛い目に
遭うので気をつけましょう。
かかる事です。道路自体はきれいに舗装されていて、走りやす
そうなのですが、山が多いため直通道路があまり無く、遠回り
する事が多いです。また、高速道路もほとんどありません。
例えばティラナからベラートは直線距離にして70~80kmですが、
道路表記は120kmとなり、時間も3時間半かかります。ティラナ
からギロカスタルだと直線距離で200km少々だと思いますが、
時間は7~8時間になります。そして、ほとんどが山道に
なるため体力も使い、疲労も溜まります。
アルバニアでの移動は距離だけで計算していると、痛い目に
遭うので気をつけましょう。
若い男子は見た目が同じなアルバニア
驚きです。若い男子は皆、同じスタイルをしています。
まず、鎖国状態が長かったため、フェイシャルストラクチャーが
皆似ています。そして、同じようなショートヘア(2002年の
ベッカムヘア)と、同じようなスラっとした体格をしています。
ファッションもジーンズに革ジャンを着ている場合がほとんど
なので、もし、知り合いが何人かできたとしても、誰が誰なのか
見分けがつかないでしょう。それぐらい、見た感じが似ています。
体格に関しては、アルバニアに入国してから出国するまで1度も
太った若い子を見かけませんでした。貧しいから?かというと
そうではなく、例えばおじいさんなどは恰幅の良い人が多いです。
歩いてるだけでも面白い国です。
まず、鎖国状態が長かったため、フェイシャルストラクチャーが
皆似ています。そして、同じようなショートヘア(2002年の
ベッカムヘア)と、同じようなスラっとした体格をしています。
ファッションもジーンズに革ジャンを着ている場合がほとんど
なので、もし、知り合いが何人かできたとしても、誰が誰なのか
見分けがつかないでしょう。それぐらい、見た感じが似ています。
体格に関しては、アルバニアに入国してから出国するまで1度も
太った若い子を見かけませんでした。貧しいから?かというと
そうではなく、例えばおじいさんなどは恰幅の良い人が多いです。
歩いてるだけでも面白い国です。
2008年10月11日土曜日
7ユーロ足りない
朝5時、夜行バスはベオグラードに着き、旅の途中にある人に
教えてもらったビール飲み放題のホステル、グリーンスタジオ
ホステルへ向かったのだが、、、予約で一杯だった。
セルビアVSリトアニアの国際フットボールマッチがこの日開催
されるらしく、ヨーロッパ中からリトアニア人がベオグラードへ
押し寄せており、どの宿も満室状態なのだそうだ。
ふみゅ。こういう場合は~、連続夜行だ!
そんなわけで、21:10発の夜行列車でソフィアに行くことになった。
グリーンスタジオホステルのオーナーが荷物を預かってくれたので、
朝昼思いっきり観光して、夕方からホステルでゆっくりして、
それから電車へ乗り込んだ。ちなみに、観光中は下痢のせいで
相当大変でした(笑
20:30に駅に着くと電車は既に乗車可能だったので、乗り込んで
窓から頭を出して外を見ていた。以前、ブダペストで滞在中に
ベオグラード発、ウィーン行の列車で寝てる間にカバンを引き
裂かれて盗難に遭ったという人に出会っていたので、人を一人一人
注意深く観察していた。いかにも怪しい、泥棒顔のおじさんや
大きなカバンを持った何しているか良くわからないおばちゃんや
バックパッカーの2人組など、疑えば色々いるのだが、泥棒を
生業としている人たちはどのような格好をしているのだろうか?
出発が近づいても乗客はあまり増えず、ヨーロッパでよく見かける
6人がけの部屋を1人で占有していた。そこへ、35歳ぐらいの白人
が私を見て入ってきて、私に「Do you speak English?」と尋ねて
きた。「Yes」と答える私。そして「ああ、よかった、やっと
英語を話せる人に出会えた。」と言って自己紹介してきた。
てっきり、英語の話せる相部屋の人を求めてたのかと思い、私も
自己紹介すると、何か事情がありそうだ。
彼「実はこれからソフィアのお父さんの所へ行くところなのだがお金が7ユーロ足りないんです。」
彼「ソフィアに着いたら返すので、足りない分を貸してくれませんか?」
正に、昨日の私状態、と思う私。貸してあげたいが、手持ちは
5ユーロしか持っていない。
私「いいけど、5ユーロしかないんだ。」
彼「よかった、では2ユーロ分他を当たってみます。」
出て行って、3分ぐらいで帰ってくる。
彼「ダメでした。」
私「いくら持ってるの?」
彼「1200ディナールです。」
私「それだったら、あと5ユーロで足りるじゃないか。」
彼「え?足りないですよ。チケットは2100ディナールですよね?」
私「いや、1600ディナールだよ。」
彼「ええ!」
ならばと、チケット売り場へ行くことに。私は当然のように
自分の荷物を抱えて部屋を出ようとすると、彼は驚いたように
彼「え!いえ、そんな。僕一人で行ってきますよ。」
私「いや、私も行くよ。」
彼は驚いているが、もう時間も無いので急いで部屋を出て狭い
通路を抜けていく。彼は列車の出入り口付近で立ち止まり
彼「ああ、あまり時間がない」
私「大丈夫、私は荷物が一緒でもあなたと同じぐらい速く走れるから。」
彼「いや、どうしてもこの列車に乗る必要があるので、リスクは背負いたくないんです。」
彼「車掌からチケットを買うことにします。」
私「本当にいいの?」
彼「はい。」
私「じゃ、何か必要だったら私を呼んでね。」
そう言って、私は列車を降りる事無く元の部屋へ戻っていった。
そして、まもなく列車は出発。ここでふと疑問が出てきた。
ひょっとして詐欺だったんじゃないだろうか?よく考えると
不自然な事が多い。だいたい、そんなに乗ることが大事なら
お金持っているだろう。私の時はATMが使えないという大きな
ハンデがあったわけで、今回はそんな状況ではないし。
まぁ、お金取られたわけでもないのでいいかな、と思いながら
眠りに入った。翌朝、泥棒顔のおじさんが親切にソフィアに
着いたよと、私の部屋を通り過ぎる際に教えてくれた。私は
降りてから一応、彼を探してみたが、どこにも姿は見当たら
なかった。
さて、彼はどうなったのでしょうか?
教えてもらったビール飲み放題のホステル、グリーンスタジオ
ホステルへ向かったのだが、、、予約で一杯だった。
セルビアVSリトアニアの国際フットボールマッチがこの日開催
されるらしく、ヨーロッパ中からリトアニア人がベオグラードへ
押し寄せており、どの宿も満室状態なのだそうだ。
ふみゅ。こういう場合は~、連続夜行だ!
そんなわけで、21:10発の夜行列車でソフィアに行くことになった。
グリーンスタジオホステルのオーナーが荷物を預かってくれたので、
朝昼思いっきり観光して、夕方からホステルでゆっくりして、
それから電車へ乗り込んだ。ちなみに、観光中は下痢のせいで
相当大変でした(笑
20:30に駅に着くと電車は既に乗車可能だったので、乗り込んで
窓から頭を出して外を見ていた。以前、ブダペストで滞在中に
ベオグラード発、ウィーン行の列車で寝てる間にカバンを引き
裂かれて盗難に遭ったという人に出会っていたので、人を一人一人
注意深く観察していた。いかにも怪しい、泥棒顔のおじさんや
大きなカバンを持った何しているか良くわからないおばちゃんや
バックパッカーの2人組など、疑えば色々いるのだが、泥棒を
生業としている人たちはどのような格好をしているのだろうか?
出発が近づいても乗客はあまり増えず、ヨーロッパでよく見かける
6人がけの部屋を1人で占有していた。そこへ、35歳ぐらいの白人
が私を見て入ってきて、私に「Do you speak English?」と尋ねて
きた。「Yes」と答える私。そして「ああ、よかった、やっと
英語を話せる人に出会えた。」と言って自己紹介してきた。
てっきり、英語の話せる相部屋の人を求めてたのかと思い、私も
自己紹介すると、何か事情がありそうだ。
彼「実はこれからソフィアのお父さんの所へ行くところなのだがお金が7ユーロ足りないんです。」
彼「ソフィアに着いたら返すので、足りない分を貸してくれませんか?」
正に、昨日の私状態、と思う私。貸してあげたいが、手持ちは
5ユーロしか持っていない。
私「いいけど、5ユーロしかないんだ。」
彼「よかった、では2ユーロ分他を当たってみます。」
出て行って、3分ぐらいで帰ってくる。
彼「ダメでした。」
私「いくら持ってるの?」
彼「1200ディナールです。」
私「それだったら、あと5ユーロで足りるじゃないか。」
彼「え?足りないですよ。チケットは2100ディナールですよね?」
私「いや、1600ディナールだよ。」
彼「ええ!」
ならばと、チケット売り場へ行くことに。私は当然のように
自分の荷物を抱えて部屋を出ようとすると、彼は驚いたように
彼「え!いえ、そんな。僕一人で行ってきますよ。」
私「いや、私も行くよ。」
彼は驚いているが、もう時間も無いので急いで部屋を出て狭い
通路を抜けていく。彼は列車の出入り口付近で立ち止まり
彼「ああ、あまり時間がない」
私「大丈夫、私は荷物が一緒でもあなたと同じぐらい速く走れるから。」
彼「いや、どうしてもこの列車に乗る必要があるので、リスクは背負いたくないんです。」
彼「車掌からチケットを買うことにします。」
私「本当にいいの?」
彼「はい。」
私「じゃ、何か必要だったら私を呼んでね。」
そう言って、私は列車を降りる事無く元の部屋へ戻っていった。
そして、まもなく列車は出発。ここでふと疑問が出てきた。
ひょっとして詐欺だったんじゃないだろうか?よく考えると
不自然な事が多い。だいたい、そんなに乗ることが大事なら
お金持っているだろう。私の時はATMが使えないという大きな
ハンデがあったわけで、今回はそんな状況ではないし。
まぁ、お金取られたわけでもないのでいいかな、と思いながら
眠りに入った。翌朝、泥棒顔のおじさんが親切にソフィアに
着いたよと、私の部屋を通り過ぎる際に教えてくれた。私は
降りてから一応、彼を探してみたが、どこにも姿は見当たら
なかった。
さて、彼はどうなったのでしょうか?
2008年10月10日金曜日
コソボからセルビアへ
「コソボからセルビアへ抜けるには、一度セルビアからコソボへ
入っている必要がある。パスポートにセルビアのスタンプが無く、
コソボのスタンプしか存在しないのであればコソボからセルビアに
入る事はできない。」これが私が旅の途中で何度か聞いてきた
事である。私はまだ一度もセルビア入りした事が無い。それは、
これからもしプリシュティナからセルビアへ入ろうとすれば、
入国拒否されるという事になる。
プリシュティナ発、ベオグラード行き19ユーロ。ちょっと
試しに行ってみるには少し高い。本当はソフィアに行きたいが、
プリシュティナからはソフィアへのバスは出ていないようだ。
以前にある日本人からセルビアの地図を見せてもらったのを、
写真に収めたのを思い出し、もう少し近場に行けそうな所が
無いのか確認してみる。すると、1ヵ所ヒットした。ノヴィ・
パザル(Novi Pazar)という町。どんな場所かはわからないが、
7.50ユーロで行けるので、入国拒否されてもさほど痛くはない。
コソボ国境。軍隊による警備が物々しい。目で確認できる
だけでも、イギリス、イタリアの軍から10人程度、UNの
マークの入ったバスの中にも5人程度の兵士が見られる。
皆マシンガンのような銃を装備して何かに備えているが、
見た感じとても暇そうだ。やはり、セルビアの一部勢力に
備えての一応の警備なのだろう。
コソボを出国して直にセルビア入国のチェックかと思えば、
400~500mぐらい離れていた。他のコソボ-セルビア間も
こんなに間を空けているのだろうか?これまでは100mぐらい
しか空いていなかったが。
さて、問題の入国審査。国境警備員がバスに入ってくる。
私以外は皆セルビア人かコソボ人かどちらかのようで、
パスポートを見せる人は1人もいない。いよいよ私の番。
国境警備員にパスポートを渡すと、パラパラと中身を
チェックし始める。何か聞いてくるが彼は英語が話せないので
理解し合えない。すると、パスポートを持って降りていった。
2分ほどしてバスが出発する。バスの助手がパスポートを
持ってきて私に渡す。国境。。。通れたらしい。
入国拒否は?荷物検査は?何も無いのか?
私の期待を裏切り、バスはセルビアに入る。そして、目的地の
ノビ・パザルへ到着し、降ろされる。さて、どうするのか?
ノビ・パザルという町は3時間前まで知らなかった町であり、
地球の歩き方のような旅行ガイドも無い。情報が何も無い。
ツーリストインフォを探してみたが無い。英語を話せる人を
探してみたがいない。仕方がないので、ここで何かをするのは
諦めて、ベオグラードへ行くことに決めた。
ベオグラードへは1100ディナール(約1900円)。一応ユーロも
使えるらしいが、手持ちのお金は10ユーロ程度でどの道
足りないので、ATMへお金を下ろしに行く。すると、ATMは
あったが、どういう訳か使えない。画面がブラックなままだ。
銀行は空いていたので中に入ってみるが、ジェスチャーで
今日はやってない、エクスチェンジも出来ないと言われる。
腑に落ちないので、銀行の回りをうろちょろしていたら、
スーツを着た体格の良い警備員がやってきたので、「お金を
下ろしたいんだ!」と訴えると、「町全体が停電になっていて、
18時に回復する予定だよ。」とジェスチャーで教えてくれた。
今が13時なので、5時間後か。。。ならば仕方がないので、
少し観光してみることに。
弊害が多々ある事に気づかされる。まず、荷物を預ける場所が
無いので、重い荷物を背負ったままの移動となり、行動範囲が
限られる。ほとんど誰も英語を話せないので、現地の人と
会話を楽しむ事もできない。人もそれほど、というかまったく
フレンドリーじゃない。これが、観光地ではない普通の町なの
かもしれない。それとも、停電のせいで人間自体も暗くなって
いるのだろうか。
ナビ・パザルという町のアクセスは凄く良い様で、ここからは
ベオグラードへ朝から晩まで1日10本ほど走っているし、
国際線もボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ、モンテネグロの
ポドゴリッツァ、マケドニアのスコーピアへ毎日バスが出て
いるようだ。あと、ソフィアやイスタンブールやザグレブへも
週に何度かバスがあるらしい。そういや、ユーロラインズの
ロゴを付けたバスも見かけたなぁ。
結局、観光は2時間で終了。何故か宝石を売っている店をたくさん
見かけた。何もする事が無く凄く凄く暇なので、ATMの前へ行って
ブログネタを書きながら停電からの回復を待つことにした。
18時。。。電気はやって来ない。。。事前に調べたバスの時間
だと、18:15の次は23:30と5時間以上も間が空く。さすがにもう
電気は待っていられないので、得意の交渉をしてみる事に。
バスのドライバーを相手にホワイトボードを持ち出し、「お金が
足りない。停電でATMが使えない。」と伝えた時点でオフィスに
行ってくれという事に。本当はお金の支払いをベオグラードで
行いたいと言いたいのだが、それ以上聞く耳を持ってくれなかった。
そして無情にも、18:15のバスは行ってしまった。
この時点でハッと気がついた。ヒッチすればよかったのに。
十分な時間があったよね。。。
18:30、停電から回復しない町は暗かった。バスのチケット売り場では
ロウソクを一本立てて運営していた。これは写真に収めなければと、
カメラを構えた瞬間、停電から回復した。町は途端に明かりを取り戻し、
全て元通り。
ATMは問題なく動作し、金を下ろす事ができた。これで何でも買える。
さて、23:30までの暇つぶしに何をするか。残念ながら、ノートの
バッテリーは終わってしまったので、何か他の楽しみを見つけな
ければ。バスターミナルの周辺を歩いていると、カフェを発見。
ここで、今日の不遇な一日を祝い、不貞寝ならぬ不貞スウィーツを
する事に。2つのケーキとコーヒーをオーダーしたところ、
これが甘い。いつもなら大歓迎だが、病み上がりであることを
忘れていた。1つ目を平らげた後、2つ目は3時間使い、本を読みながら
ゆっくりと頂いた。
23:30、夜行バスに乗り込みベオグラードに向けてナビパザルを出発。
国境で入国拒否されるのかを確かめてみようと思ったのが今日の
結果。ATMを過信しすぎ、まさか停電で町全てのATMが使えなくなる
とは想定の範囲外だった。
英語が話せる旅人が他にいれば、きっちり説明した上でお金を借りて
切符を買うこともできたかもしれない。そんな事を思いながら
バスの中で眠りについた。
入っている必要がある。パスポートにセルビアのスタンプが無く、
コソボのスタンプしか存在しないのであればコソボからセルビアに
入る事はできない。」これが私が旅の途中で何度か聞いてきた
事である。私はまだ一度もセルビア入りした事が無い。それは、
これからもしプリシュティナからセルビアへ入ろうとすれば、
入国拒否されるという事になる。
プリシュティナ発、ベオグラード行き19ユーロ。ちょっと
試しに行ってみるには少し高い。本当はソフィアに行きたいが、
プリシュティナからはソフィアへのバスは出ていないようだ。
以前にある日本人からセルビアの地図を見せてもらったのを、
写真に収めたのを思い出し、もう少し近場に行けそうな所が
無いのか確認してみる。すると、1ヵ所ヒットした。ノヴィ・
パザル(Novi Pazar)という町。どんな場所かはわからないが、
7.50ユーロで行けるので、入国拒否されてもさほど痛くはない。
コソボ国境。軍隊による警備が物々しい。目で確認できる
だけでも、イギリス、イタリアの軍から10人程度、UNの
マークの入ったバスの中にも5人程度の兵士が見られる。
皆マシンガンのような銃を装備して何かに備えているが、
見た感じとても暇そうだ。やはり、セルビアの一部勢力に
備えての一応の警備なのだろう。
コソボを出国して直にセルビア入国のチェックかと思えば、
400~500mぐらい離れていた。他のコソボ-セルビア間も
こんなに間を空けているのだろうか?これまでは100mぐらい
しか空いていなかったが。
さて、問題の入国審査。国境警備員がバスに入ってくる。
私以外は皆セルビア人かコソボ人かどちらかのようで、
パスポートを見せる人は1人もいない。いよいよ私の番。
国境警備員にパスポートを渡すと、パラパラと中身を
チェックし始める。何か聞いてくるが彼は英語が話せないので
理解し合えない。すると、パスポートを持って降りていった。
2分ほどしてバスが出発する。バスの助手がパスポートを
持ってきて私に渡す。国境。。。通れたらしい。
入国拒否は?荷物検査は?何も無いのか?
私の期待を裏切り、バスはセルビアに入る。そして、目的地の
ノビ・パザルへ到着し、降ろされる。さて、どうするのか?
ノビ・パザルという町は3時間前まで知らなかった町であり、
地球の歩き方のような旅行ガイドも無い。情報が何も無い。
ツーリストインフォを探してみたが無い。英語を話せる人を
探してみたがいない。仕方がないので、ここで何かをするのは
諦めて、ベオグラードへ行くことに決めた。
ベオグラードへは1100ディナール(約1900円)。一応ユーロも
使えるらしいが、手持ちのお金は10ユーロ程度でどの道
足りないので、ATMへお金を下ろしに行く。すると、ATMは
あったが、どういう訳か使えない。画面がブラックなままだ。
銀行は空いていたので中に入ってみるが、ジェスチャーで
今日はやってない、エクスチェンジも出来ないと言われる。
腑に落ちないので、銀行の回りをうろちょろしていたら、
スーツを着た体格の良い警備員がやってきたので、「お金を
下ろしたいんだ!」と訴えると、「町全体が停電になっていて、
18時に回復する予定だよ。」とジェスチャーで教えてくれた。
今が13時なので、5時間後か。。。ならば仕方がないので、
少し観光してみることに。
送信者 kosovo_to_belgrade |
送信者 kosovo_to_belgrade |
弊害が多々ある事に気づかされる。まず、荷物を預ける場所が
無いので、重い荷物を背負ったままの移動となり、行動範囲が
限られる。ほとんど誰も英語を話せないので、現地の人と
会話を楽しむ事もできない。人もそれほど、というかまったく
フレンドリーじゃない。これが、観光地ではない普通の町なの
かもしれない。それとも、停電のせいで人間自体も暗くなって
いるのだろうか。
ナビ・パザルという町のアクセスは凄く良い様で、ここからは
ベオグラードへ朝から晩まで1日10本ほど走っているし、
国際線もボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ、モンテネグロの
ポドゴリッツァ、マケドニアのスコーピアへ毎日バスが出て
いるようだ。あと、ソフィアやイスタンブールやザグレブへも
週に何度かバスがあるらしい。そういや、ユーロラインズの
ロゴを付けたバスも見かけたなぁ。
結局、観光は2時間で終了。何故か宝石を売っている店をたくさん
見かけた。何もする事が無く凄く凄く暇なので、ATMの前へ行って
ブログネタを書きながら停電からの回復を待つことにした。
18時。。。電気はやって来ない。。。事前に調べたバスの時間
だと、18:15の次は23:30と5時間以上も間が空く。さすがにもう
電気は待っていられないので、得意の交渉をしてみる事に。
バスのドライバーを相手にホワイトボードを持ち出し、「お金が
足りない。停電でATMが使えない。」と伝えた時点でオフィスに
行ってくれという事に。本当はお金の支払いをベオグラードで
行いたいと言いたいのだが、それ以上聞く耳を持ってくれなかった。
そして無情にも、18:15のバスは行ってしまった。
この時点でハッと気がついた。ヒッチすればよかったのに。
十分な時間があったよね。。。
18:30、停電から回復しない町は暗かった。バスのチケット売り場では
ロウソクを一本立てて運営していた。これは写真に収めなければと、
カメラを構えた瞬間、停電から回復した。町は途端に明かりを取り戻し、
全て元通り。
送信者 kosovo_to_belgrade |
送信者 kosovo_to_belgrade |
ATMは問題なく動作し、金を下ろす事ができた。これで何でも買える。
さて、23:30までの暇つぶしに何をするか。残念ながら、ノートの
バッテリーは終わってしまったので、何か他の楽しみを見つけな
ければ。バスターミナルの周辺を歩いていると、カフェを発見。
ここで、今日の不遇な一日を祝い、不貞寝ならぬ不貞スウィーツを
する事に。2つのケーキとコーヒーをオーダーしたところ、
これが甘い。いつもなら大歓迎だが、病み上がりであることを
忘れていた。1つ目を平らげた後、2つ目は3時間使い、本を読みながら
ゆっくりと頂いた。
送信者 kosovo_to_belgrade |
送信者 kosovo_to_belgrade |
23:30、夜行バスに乗り込みベオグラードに向けてナビパザルを出発。
国境で入国拒否されるのかを確かめてみようと思ったのが今日の
結果。ATMを過信しすぎ、まさか停電で町全てのATMが使えなくなる
とは想定の範囲外だった。
英語が話せる旅人が他にいれば、きっちり説明した上でお金を借りて
切符を買うこともできたかもしれない。そんな事を思いながら
バスの中で眠りについた。
コソボで2度目の病気
スコーピアのバスターミナルから出ているバスの行き先を
眺めていた。当初はソフィアへ行くことを考えていたが、
コソボの首都プリシュティナ(Pristina)があるのを知って、
この機会に行ってみるべきかを悩んでいた。
まぁ、せっかくだし行ってみるか。料金は320ディナ(650円?)。
国境を越える割には安い値段だ。
国境ではこれまでの旅で初めての荷物チェックがあった。
厳密にいうと荷物チェックをするセクションはこれまでも
何度か見かけたのだが、全て素通りだったため、荷物チェックを
受ける身になるのは初めてだった。
国境から続いていた山を越えると、だんだんと民家が見えてくる。
遠くまで望めるなだらかな丘と緑の牧場がとても美しい。
のどかな風景が続くこの場所がとても危険な場所には見えない。
バスの中である異変に気づく。これまでバス酔いは1度もした
事がなかったのに、何か体調かおかしい。プリシュティナへ
着いてバスを降りても状態は良くならない。なんだろう?
バスターミナルから町へ歩き出した時、異常な疲労感に気づく。
いつもなら荷物を持ったままでも2kmは歩けるはずが、200mで
きつくなり休憩する始末。そして、いくら休憩しても出発しよう
という気にならない。これでは宿に着くまでに何時間かかるか。。。
というわけで、この旅で初めてタクシーを使ってみた。
距離は4kmほどだが、ほとんどが上り坂。使ってよかった。
宿に辿り着き、部屋に入ると、疲労感に耐えられず即寝た。
2時間ほどして目が覚めると、腰を中心に全身が関節痛に
なっており、熱も少し出ていた。関節痛で辛いのは、横に
なっていても痛むこと。何時も、病気が一番辛いですな。
結局宿に入ったのが17時で、一度も出る事無く、次の日の9時
までベッドでうんうん唸っていた。症状はさほど良くなって
いなかったが、1日中寝ているわけにもいかないので、町へ
散歩に出かけた。病気のためかいつもの”わくわく感”が無い。
5時間ほど歩き回って14時に宿に撤収。そして今度は激しい
下痢に見舞われる。普通この手の下痢には相当な腹痛が
伴うと思われるが、お腹の調子はいたって普通である。
疲労感と関節痛と熱は更に次の日に収まったが、下痢は
持ち越してしまい、移動と重なったので大変だった。
眺めていた。当初はソフィアへ行くことを考えていたが、
コソボの首都プリシュティナ(Pristina)があるのを知って、
この機会に行ってみるべきかを悩んでいた。
まぁ、せっかくだし行ってみるか。料金は320ディナ(650円?)。
国境を越える割には安い値段だ。
国境ではこれまでの旅で初めての荷物チェックがあった。
厳密にいうと荷物チェックをするセクションはこれまでも
何度か見かけたのだが、全て素通りだったため、荷物チェックを
受ける身になるのは初めてだった。
国境から続いていた山を越えると、だんだんと民家が見えてくる。
遠くまで望めるなだらかな丘と緑の牧場がとても美しい。
のどかな風景が続くこの場所がとても危険な場所には見えない。
バスの中である異変に気づく。これまでバス酔いは1度もした
事がなかったのに、何か体調かおかしい。プリシュティナへ
着いてバスを降りても状態は良くならない。なんだろう?
バスターミナルから町へ歩き出した時、異常な疲労感に気づく。
いつもなら荷物を持ったままでも2kmは歩けるはずが、200mで
きつくなり休憩する始末。そして、いくら休憩しても出発しよう
という気にならない。これでは宿に着くまでに何時間かかるか。。。
というわけで、この旅で初めてタクシーを使ってみた。
距離は4kmほどだが、ほとんどが上り坂。使ってよかった。
宿に辿り着き、部屋に入ると、疲労感に耐えられず即寝た。
2時間ほどして目が覚めると、腰を中心に全身が関節痛に
なっており、熱も少し出ていた。関節痛で辛いのは、横に
なっていても痛むこと。何時も、病気が一番辛いですな。
結局宿に入ったのが17時で、一度も出る事無く、次の日の9時
までベッドでうんうん唸っていた。症状はさほど良くなって
いなかったが、1日中寝ているわけにもいかないので、町へ
散歩に出かけた。病気のためかいつもの”わくわく感”が無い。
5時間ほど歩き回って14時に宿に撤収。そして今度は激しい
下痢に見舞われる。普通この手の下痢には相当な腹痛が
伴うと思われるが、お腹の調子はいたって普通である。
疲労感と関節痛と熱は更に次の日に収まったが、下痢は
持ち越してしまい、移動と重なったので大変だった。
2008年10月8日水曜日
9月決算
結果は約8万6千円です。
9月の最初の週は旅の途中で知り合った人の家に泊めてもらって
いたのでほとんどお金を使いませんでした。その代わり旅の
再開ポイントのハンガリーへ移動するのに75ユーロかかっています。
ハンガリーホステルで 14ユーロ x 2 (28)
ザグレブホステルで 100クナー
ザダルSOBEで 80クナー x 2 (160)
スプリットSOBEで 125クナー
ドブロブニクSOBEで 70クナー x 2 (140)
モスタルホステルで 10ユーロ
サラエボSOBEで 15ユーロ
サラエボホステルで 12ユーロ x 2 (24)
ブドバホステルで 15ユーロ x 3 (45)
ティラナホステルで 12ユーロ
134ユーロ(1ユーロ≒163円) + 525クナー(100クナー≒2200円) =
22000円 + 11500円 = 33500円
列車、エルフルトからブダペスト 75ユーロ
列車、ブダペストからザグレブ 7000フォリント
バス、ザグレブからプリトビッチェ 100クナー
バス、プリトビッチェからザダル 100クナー
フェリー、スプリットからドブロブニク 100クナー
列車、モスタルからサラエボ 10マルク
バス、サラエボからポドゴリッツァ 36マルク
バス、ポドゴリッツァからブドバ 6ユーロ
バス、ブドバからコトルツアー 11ユーロ
バス、ティラナからベラート 400レケ
92ユーロ(1ユーロ≒163円) + 7000フォリント(100フォリント≒65円) + 300クナー(100クナー≒2200円) + 36マルク(2マルク≒1ユーロ) =
15000円 + 4500円 + 6600円 + 3000円 = 29100円
プリトビッチェ国立公園入場料 110クナー (2400円)
ブダペストワインフェスティバル入場料 2200フォリント (1400円)
ブダペスト温泉入場料 2400フォリント (1600円)
その他、入場料 2000円
入場料合計 5400円
飲食代1日平均 500円 x 30 = 15000円
酒代1日平均 100円 x 30 = 3000円
10万円切りましたね。。。
9月の最初の週は旅の途中で知り合った人の家に泊めてもらって
いたのでほとんどお金を使いませんでした。その代わり旅の
再開ポイントのハンガリーへ移動するのに75ユーロかかっています。
ハンガリーホステルで 14ユーロ x 2 (28)
ザグレブホステルで 100クナー
ザダルSOBEで 80クナー x 2 (160)
スプリットSOBEで 125クナー
ドブロブニクSOBEで 70クナー x 2 (140)
モスタルホステルで 10ユーロ
サラエボSOBEで 15ユーロ
サラエボホステルで 12ユーロ x 2 (24)
ブドバホステルで 15ユーロ x 3 (45)
ティラナホステルで 12ユーロ
134ユーロ(1ユーロ≒163円) + 525クナー(100クナー≒2200円) =
22000円 + 11500円 = 33500円
列車、エルフルトからブダペスト 75ユーロ
列車、ブダペストからザグレブ 7000フォリント
バス、ザグレブからプリトビッチェ 100クナー
バス、プリトビッチェからザダル 100クナー
フェリー、スプリットからドブロブニク 100クナー
列車、モスタルからサラエボ 10マルク
バス、サラエボからポドゴリッツァ 36マルク
バス、ポドゴリッツァからブドバ 6ユーロ
バス、ブドバからコトルツアー 11ユーロ
バス、ティラナからベラート 400レケ
92ユーロ(1ユーロ≒163円) + 7000フォリント(100フォリント≒65円) + 300クナー(100クナー≒2200円) + 36マルク(2マルク≒1ユーロ) =
15000円 + 4500円 + 6600円 + 3000円 = 29100円
プリトビッチェ国立公園入場料 110クナー (2400円)
ブダペストワインフェスティバル入場料 2200フォリント (1400円)
ブダペスト温泉入場料 2400フォリント (1600円)
その他、入場料 2000円
入場料合計 5400円
飲食代1日平均 500円 x 30 = 15000円
酒代1日平均 100円 x 30 = 3000円
10万円切りましたね。。。
2008年10月5日日曜日
ベラートからオフリドへ
バスで、ベラートからエルバサン(Elbasan)、エルバサンから
国境近くまで、タクシーで国境近くから国境まで順調に乗り継ぎ
国境を越えた。とうとうアルバニアともお別れだ。
国境に辿り着くまでに結構お金を使っていたので、ここからは
できるだけお金をセーブして行きたい。両替所のおばちゃんに
途中のストゥルガ(STRUGA)まで行けばミニバスがオフリドまで
出ていて40ディナで行けると教えてくれた。問題は国境から
ストゥルガまでだ。バスは無いそうなので、徒歩かタクシー
なのだが、タクシーは15ユーロらしい。仕方が無いのでヒッチを
しながら歩く事にした。途中止まってくれる車は無く、1度
声をかけられた時には5ユーロでどうだとの事だった。当然
断り歩き続けた。
3kmほど歩いた時点で休憩していると、汚い格好をした兄弟が
こちらに歩いてくる。彼らは珍しそうに私を見て話しかけて
きた。共通に理解できる言葉が無いので身振り手振りで
コミュニケーションを取る。自己紹介したり、国籍を教えたり、
ストゥルガに行ってからオフリドに行くつもりだと伝えたり。
10分ほどすると、彼らはバイバイと言ってストゥルガ方面へ
歩き出した。続いて私も休憩を終えてストゥルガ方面へ歩き出す。
すると、また彼らを見かける。彼らはどうもゴミ山で何かを
集めている様子だった。彼らに手を振り、私は先を急ぐ。
しばらく歩いていると、突然雨が降ってきたが、雨宿り
出来そうな場所も無いので、そのまま歩く。多分すぐ
止むだろう。雨に打たれながら歩くのは、気分的に多少凹む。
雨が降り始めて10分、さっき一緒に話していた兄弟を乗せた
オンボロの車が通り過ぎていき、少し前のゴミ山で止まった。
中からシワの深いおじさんが出てきて、他に乗っていた
4人の子供(10歳~18歳)に指示を出している。近づいて
荷台を見ると鉄屑を積んでいるようで、彼らはゴミ山に
捨てられた鉄屑を集めているのだった。
おじさんに話しかけられたので、雨の中しばらく立ち話を
していると、ストゥルガまで乗せてくれるとオファーして
くれた。ありがたい。
鉄屑を集め終え、廃車寸前の小さな車に6人乗ってストゥルガ
の鉄屑収集業者まで移動。業者ではアジア人とは珍しいと
ばかりに全員が外に集まってくる。ここでは美味しいトルコ
コーヒーをいただいた。ありがたや~。
おじさんにバス停の場所を教えてもらい、後は何の問題も
なくオフリドへ辿り着いた。毎度の事ながら、人の助けが
旅の良し悪しを大きく左右する。今回も、好い旅になった。
国境近くまで、タクシーで国境近くから国境まで順調に乗り継ぎ
国境を越えた。とうとうアルバニアともお別れだ。
送信者 berat_to_ohrid |
国境に辿り着くまでに結構お金を使っていたので、ここからは
できるだけお金をセーブして行きたい。両替所のおばちゃんに
途中のストゥルガ(STRUGA)まで行けばミニバスがオフリドまで
出ていて40ディナで行けると教えてくれた。問題は国境から
ストゥルガまでだ。バスは無いそうなので、徒歩かタクシー
なのだが、タクシーは15ユーロらしい。仕方が無いのでヒッチを
しながら歩く事にした。途中止まってくれる車は無く、1度
声をかけられた時には5ユーロでどうだとの事だった。当然
断り歩き続けた。
送信者 berat_to_ohrid |
3kmほど歩いた時点で休憩していると、汚い格好をした兄弟が
こちらに歩いてくる。彼らは珍しそうに私を見て話しかけて
きた。共通に理解できる言葉が無いので身振り手振りで
コミュニケーションを取る。自己紹介したり、国籍を教えたり、
ストゥルガに行ってからオフリドに行くつもりだと伝えたり。
10分ほどすると、彼らはバイバイと言ってストゥルガ方面へ
歩き出した。続いて私も休憩を終えてストゥルガ方面へ歩き出す。
すると、また彼らを見かける。彼らはどうもゴミ山で何かを
集めている様子だった。彼らに手を振り、私は先を急ぐ。
しばらく歩いていると、突然雨が降ってきたが、雨宿り
出来そうな場所も無いので、そのまま歩く。多分すぐ
止むだろう。雨に打たれながら歩くのは、気分的に多少凹む。
雨が降り始めて10分、さっき一緒に話していた兄弟を乗せた
オンボロの車が通り過ぎていき、少し前のゴミ山で止まった。
中からシワの深いおじさんが出てきて、他に乗っていた
4人の子供(10歳~18歳)に指示を出している。近づいて
荷台を見ると鉄屑を積んでいるようで、彼らはゴミ山に
捨てられた鉄屑を集めているのだった。
送信者 berat_to_ohrid |
おじさんに話しかけられたので、雨の中しばらく立ち話を
していると、ストゥルガまで乗せてくれるとオファーして
くれた。ありがたい。
送信者 berat_to_ohrid |
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鉄屑を集め終え、廃車寸前の小さな車に6人乗ってストゥルガ
の鉄屑収集業者まで移動。業者ではアジア人とは珍しいと
ばかりに全員が外に集まってくる。ここでは美味しいトルコ
コーヒーをいただいた。ありがたや~。
おじさんにバス停の場所を教えてもらい、後は何の問題も
なくオフリドへ辿り着いた。毎度の事ながら、人の助けが
旅の良し悪しを大きく左右する。今回も、好い旅になった。
2008年10月1日水曜日
ティラナ
ミニバスの最後部席へ座っていた私にドライバーが「ここが
ティラナだよ」と告げる。私が慌てて荷物をまとめて降りようと
すると、「ここをまっすぐ行くとセンターに着く」と教えてくれた。
回りを見ると、シュコーデルよりかなり大きな町だ。建物は
結構新しく見えるし、3~4階建ての建物が多く、町の様子を
見るだけでは、長らく鎖国していた国という特別な雰囲気は
無かった。とりあえず、センターに向かって歩き出す。
500mほど歩いた所で商店のおじさんに声をかけられる、「どこ
からきたの?」。立ち止まって会話を始める。片言の英語だが、
こういうのはだいたい「どっから来たか」とか、「どこへ
行くのか?」とか「アルバニアはどうだい?」とか
「日本は・・・だね」など他愛も無い会話が多いので、気楽に
話ができる。アルバニアに関して何も情報を持っていなかった
ので、おじさんにどこを訪れてみるべきか聞いてみた。
アルバニアの人たちは国外に出る事が難しいからきっと国内の
観光地について詳しいはずだ。おじさんがお勧めしてくれた
のは「Kruja」「Berati」「Gjirokastra」「Saraude」の4箇所。
15分ほど会話しておじさんにサヨナラと手を振った。
道端で大学の広告を見かけた。なんてことはないのだが、名前が
面白い。「UFO University」。思わず写真を撮ってしまった。
そして、もう少し歩いた時に大学も見かけたので、またパチリ。
センターに辿り着いて、休憩がてら日陰の階段に腰を下ろした。
「アルバニアなんだなぁ~」と遠くを見ていると、6~7人の
子供の集団が興味津々にこちらを見ながら「Hello」と声を
かけてきたので、「Hello」と返し笑顔を見せると、ぐるりと
囲まれた。そして質問攻め。グループの中の1人がなかなか
英語ができるが、その子に通訳を頼むのではなく、3人ぐらいが
同時に私と会話をしようとする(笑)。みんな元気で良い子達だ。
そして、子供の中の1人が「ALBANIA」とホワイトボードに
書いてくれた。囲まれてから30分ほどしてバスが来たので
彼らは乗り込んだが、バスが見えなくなるまで手を振っていた。
子供達と別れてから5分ほどすると、今度は推定20台後半の男
2人組に声をかけられた。1人が英語を話し、もう1人は話せない。
「この辺りのツーリストをヘルプしてるんだが、何か困って
いる事は無いか」と聞いてくる。宿はどこにするか決めており、
特に困った事はなかったので「困った事は無い」と答える。
一応、ここに辿り着く前に出会ったおじさんに聞いた観光場所
の中でどれがお勧めかを聞いてみようと思い、メモった手帳を
出して、見せた瞬間に「これらの場所へ行くためのバスターミナル
の場所は知っているか?」と聞いてきた。「知らない」と答えると、
「バス停の場所を教えてあげるよ」と言う。そして、書こうと
した瞬間「教える代わりにお礼(お金)をくれ」と言う。
バス停の場所なんて、宿でいくらでも教えてもらえるので、
「お礼はやらんが食いかけのパンならやる」と答えると、
「小銭でいいんだ。一昨日に不法労働していたギリシャから
強制送還されたばかりでお金が無いんだ。」などと言ってくる。
対価の無いお金はやれないので、「2晩10ユーロであなたの家に
泊めてもらえるのならお金を渡すのを考えてもいい。」と
返してみた。すると男は「おばあちゃんの家に泊まらせて
もらっているので、難しい。それより、5ユーロで泊まれる所を
紹介するから、お礼をくれ。」と言ってきた。当然この男の
紹介で行く宿など期待できないに決まっているので断った。
結局、バス停の場所は教えてもらったがお礼を渡すことは無かった。
2人組の男達が去った後、これ以上変な奴に絡まれるのも
面倒なので、とっとと宿へ移動した。
ティラナだよ」と告げる。私が慌てて荷物をまとめて降りようと
すると、「ここをまっすぐ行くとセンターに着く」と教えてくれた。
回りを見ると、シュコーデルよりかなり大きな町だ。建物は
結構新しく見えるし、3~4階建ての建物が多く、町の様子を
見るだけでは、長らく鎖国していた国という特別な雰囲気は
無かった。とりあえず、センターに向かって歩き出す。
500mほど歩いた所で商店のおじさんに声をかけられる、「どこ
からきたの?」。立ち止まって会話を始める。片言の英語だが、
こういうのはだいたい「どっから来たか」とか、「どこへ
行くのか?」とか「アルバニアはどうだい?」とか
「日本は・・・だね」など他愛も無い会話が多いので、気楽に
話ができる。アルバニアに関して何も情報を持っていなかった
ので、おじさんにどこを訪れてみるべきか聞いてみた。
アルバニアの人たちは国外に出る事が難しいからきっと国内の
観光地について詳しいはずだ。おじさんがお勧めしてくれた
のは「Kruja」「Berati」「Gjirokastra」「Saraude」の4箇所。
15分ほど会話しておじさんにサヨナラと手を振った。
道端で大学の広告を見かけた。なんてことはないのだが、名前が
面白い。「UFO University」。思わず写真を撮ってしまった。
そして、もう少し歩いた時に大学も見かけたので、またパチリ。
送信者 around_tirana |
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センターに辿り着いて、休憩がてら日陰の階段に腰を下ろした。
「アルバニアなんだなぁ~」と遠くを見ていると、6~7人の
子供の集団が興味津々にこちらを見ながら「Hello」と声を
かけてきたので、「Hello」と返し笑顔を見せると、ぐるりと
囲まれた。そして質問攻め。グループの中の1人がなかなか
英語ができるが、その子に通訳を頼むのではなく、3人ぐらいが
同時に私と会話をしようとする(笑)。みんな元気で良い子達だ。
そして、子供の中の1人が「ALBANIA」とホワイトボードに
書いてくれた。囲まれてから30分ほどしてバスが来たので
彼らは乗り込んだが、バスが見えなくなるまで手を振っていた。
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子供達と別れてから5分ほどすると、今度は推定20台後半の男
2人組に声をかけられた。1人が英語を話し、もう1人は話せない。
「この辺りのツーリストをヘルプしてるんだが、何か困って
いる事は無いか」と聞いてくる。宿はどこにするか決めており、
特に困った事はなかったので「困った事は無い」と答える。
一応、ここに辿り着く前に出会ったおじさんに聞いた観光場所
の中でどれがお勧めかを聞いてみようと思い、メモった手帳を
出して、見せた瞬間に「これらの場所へ行くためのバスターミナル
の場所は知っているか?」と聞いてきた。「知らない」と答えると、
「バス停の場所を教えてあげるよ」と言う。そして、書こうと
した瞬間「教える代わりにお礼(お金)をくれ」と言う。
バス停の場所なんて、宿でいくらでも教えてもらえるので、
「お礼はやらんが食いかけのパンならやる」と答えると、
「小銭でいいんだ。一昨日に不法労働していたギリシャから
強制送還されたばかりでお金が無いんだ。」などと言ってくる。
対価の無いお金はやれないので、「2晩10ユーロであなたの家に
泊めてもらえるのならお金を渡すのを考えてもいい。」と
返してみた。すると男は「おばあちゃんの家に泊まらせて
もらっているので、難しい。それより、5ユーロで泊まれる所を
紹介するから、お礼をくれ。」と言ってきた。当然この男の
紹介で行く宿など期待できないに決まっているので断った。
結局、バス停の場所は教えてもらったがお礼を渡すことは無かった。
2人組の男達が去った後、これ以上変な奴に絡まれるのも
面倒なので、とっとと宿へ移動した。
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