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2008年7月30日水曜日

竹島問題

久々にYahoo!のニュースを見てみると、韓国大統領が竹島を訪れたとか、
軍事演習を行うとかの記事がありました。日本を相手に政策を行う事で
政府が人気取りをしようとしている様子が滑稽に思えてしまいます。

こちらに来てみて景気の良さを感じます。通貨単位がユーロになって
物価が高くなったとみんな言っていますが、国交間の無駄な手間が
無くなりとても流通が良くなっている印象を受けます。夏のため
旅行者もさまざまな場所から訪れており、まるでユーロという
一つの大きな国が存在しているようです。

そのうち東アジアも同じような対策を迫られる日が来るかも
しれません。中国、韓国、日本の共通通貨。

韓国大統領殿、竹島を訪れている場合じゃないと思うんですがね。

旅の次は旅?

ヨーロッパを旅行していると、宿などで他の旅行者と話す機会が
たくさんあります。そういった人達と話していると、旅行好きな
人が多く、いろんな旅話が聞けます。中でも東南アジアを
バックパッカー旅行した人は多く、みなさん良かったよ~
と言ってました。

もし次があるなら行ってみたいですね~ 東南アジア

アムステルダムの匂い

少し狭い路地へ入るとたくさんのカフェが存在しています。町を歩いて
いるとこれ等のカフェからマリファナの匂いがプンプンします。
たくさんのホテルやホステルもバーやレストランを併設しており、
これらの場所でもマリファナが吸えるようです。

ちなみに今回、アムステルダムで最後に泊まったフライングピッグも
マリファナOKなので、匂いがプンプンします。しかもここは本当に
若者が多い。夜中まで騒ぐし、部屋は散らかすし、男がいても
平気で着替えるし。

実はこの匂い、初めてではありません。カナダでも何度か嗅いだ
事があります。10年前に。

旅を通しての世界観の変化

32歳で1人旅に出てみての感想ですが、この歳になってしまったら、
世界観を変えるのは難しいようです。だいたいの自分の考え方が
決まってしまっているのだと思いますが、すごく感銘する出来事
に出会っても、心にステイする時間は短く、世界観や人生観を
変えるほどのインパクトにはなりません。

私的感覚ですが、16~22歳がこういった旅の適齢期ではないかと
思います。

旅のスタイル変更

これまでゆるりと地域を楽しみながら旅をしてきて、だいぶ旅に慣れてきました。
このままのんびり行くのも良いのですが、旅の途中で会った日本人の方に
刺激され、次の一ヶ月は超ぶっとび無計画旅行をしてみたいと思います。

ヨーロッパ45都市へ自由に行き来できるバスのパスがあります。
期間は15日間と30日間の2種類で、値段がハイシーズン、ミドルシーズン、
ローシーズンの3つに別れています。今日この30日パスを買いました。
今はハイなので439ユーロです。日本円にして約75,000円なので結構します。
しかも、予約する際に予約料金が3~5ユーロ必要だったり、荷物輸送量に
数ユーロ取られたりするらしいので、実際500ユーロぐらいと考えた方が
良いかもしれないです。ちなみにこのパス、国際線しか利用できない
ルールになっています。なので、フランスやドイツなどの大きな国では
非常に利用が困難です。

チケット販売所の人によると、ハイシーズンのパスを買う人はあまりいない
そうです。その理由は高いというだけではなく、席がなかなか予約できない
からです。確かにアムステルダムの次に行こうと思っていたハンブルグは
予約でいっぱいで数日先の予約しかできない状況でした。

そこで、男の新ルール。席が空いている都市へ行く。7月30日、
アムステルダム発でいける場所はフランスのストラスブルグ方面、
チューリッヒやミラノを通ってナポリ終点のみ。そして決めました。
チューリッヒへ行きます。チケットも予約済み。

8月29日に期限切れになるのですが、最終目的地はベルリンか
フランクフルトです。ドイツに親切なお友達ができまして、
旅の途中に寄ったら何日か泊めてくれると約束してくれました。
場所はErfurtというところで、丁度この2都市の真ん中あたり
にあります。

この投稿の15時間後から、またネットに接続できない日が続くと
思います。

2008年7月29日火曜日

アムステルダム

美しい町です。アムステルダムセントラル駅から半円を描きながら南へ広がる
町は水の都と言いたいぐらい川と橋でいっぱいです。しかし水の都と言えば
ベネチアでしょうから、たぶんベネチアの町は想像以上に水面すれすれに
町があるのでしょう。想像するだけで期待が膨らみます。
すごく大きな町なので、自転車を駆使して2日かけても、すべてを見て回る
事は困難だと思います。私はダウンタウン周辺とアンネフランクの家、
青空市場を見て終わりにしました。ハイネケンエクスペリエンスにも
行ったのですが、改装中で9月まで閉まっているらしいです。

1日は自転車で回ってみましたが、とても良かったので、他の人にも
自転車での散策を進めたいと思います。

2008年7月28日月曜日

ロッテルダムの破壊

アムステルダムYHの部屋で休憩していると、ご年配のおじいさんが
そこは私のベッドだが、気にしないでいいよと声をかけてきた。
ベッドの番号を見ると1番で、私がもらったレシートにも1番と
書かれていたので、ここは私のベッドだけど?とレシートを見せた。
おじいさんがもっているレシートにも1番とかかれており、ここは
おじいさんにベッドを譲り、3番へ移動した。ベッドメイキングした
ばっかりだったのだけどね。

アムステルダムのユースには若者が多い。おじいさんはその中で
飛びぬけてお年寄りだった。どこから来たのか聞いてみると
私が昨日までいたロッテルダムから来たそうで、なんでも
息子さんがいい経験になるから1度ユースに泊まってみるといい
と勧めたんだそうだ。通常は普通のホテルに泊まると言っていた。
69歳で1人暮らし、仕事はしてないが週に一回、バーで
ボランティアワークをしていると言っていた。毎朝IKEAで
コーヒー付きの朝食を食べるのが日課で、価格は2ユーロだとか。
色々教えてくれたが、缶ビールが20セントってのには驚いた。
近くのスーパーではハイネケンが60セントで売っていたが、
行く所に行けばそんなに安いのかと。常々物価が高いと言って
いましたが、安いものは安いです。

もう一つ印象に残ったのが戦争についての事。昨日までいたあの
ロッテルダムは第二次大戦中に相当破壊された町だったそうで、
当時から残っているものはほとんど無く、1から再建されたのだそうだ。
日本もそうだが、再建された後は戦争の面影は残らない。
なんだか複雑。

オランダの自然

各国で自然の残し方はさまざまで、オランダでも独特の自然を感じることができます。
ロッテルダム付近を歩き回ったのですが、基本的に湿地帯でたくさんの野鳥が
辺りを飛んでいます。野鳥といっても人間には慣れている感じで、ベンチに座って
いると、たまに餌をもらおうと寄ってきます。近づきすぎず、遠すぎず微妙な
距離感をうろちょろしている姿は可愛いですよ。

乳製品の豊富さ

フランスに入ってからちょくちょくスーパーマーケットに寄っています。
これらの店で一番感じる日本との違いは、乳製品の豊富さです。牛乳はさほど
特別なことはありませんが、牛乳から加工されるバター、チーズ、ヨーグルト、
アイスクリームなどの製品は多様で、量や種類が非常に多いです。値段も
さまざまで安いものから高いものまで揃っています。
これをベースに食生活があると思うと、確かに体が大きくなるよな~なんて
思っちゃいます。

日本語、英語

当然ですが、ヨーロッパのどこに行っても日本語は通じません。これっぽっちも。
日本語って役に立たない。そう強く感じます。もし、このままヨーロッパに移り
住んでしまったら、あっという間に日本語を忘れてしまいそうです。
英語ですが、ツーリストインフォではまず間違いなく通じます。ほとんどが
すごく熟練された人ばかりで、ネイティブかと思ってしまう人もいました。
フランスの田舎やベルギーの田舎では通じない人が多く、都会では通じる人が
まあまあいました。ルクセンブルグでは驚くほど皆英語が上手く、だいたい
どの店にいっても通じました。ただ、通じない人もいるのですが、それらの人は
だいたい国外から働きに来ている人らしいです。肉体労働系やマクドナルドの
バイトなどは出稼ぎが多いといってました。オランダ語は英語と似ている部分が
あるせいか、オランダ人の英語精通率は高そうです。みなさん喋るのもうまいです。

日本語が喋れて良いこと、それは同じ日本人で旅をしている人達とお話が
できることですね。日本語で話していると落ち着いた感じになります。

アムステルダムにて無料インターネット

FONという会社がありまして、15分のFree Wifiを提供してます。
なんでも無線ランルータを買ってそれをFon経由でアクセスフリーにすると、
Fonに加入しているルータ全てのルータでFree Wifiを受けることができます。
ルータを買っていない人は15分を越すと、アクセス権購入を求められ、
1日3ユーロの料金でサービスを受ける事ができます。

その他、GoogleとSkypeがインベスターという事で、それらのサイトには
常時アクセスができるようで、ブログやe-mailなどが無料で利用でき、
今私が置かれている状況下ではとてもありがたいサービスです。

ちなみにFon Japanではライブドアファウンダーの1人であるFujimoto氏が
絡んでいます。

これまで旅行してきてこのアクセスができたのはアムステルダムのとある
YHだけでしたが、それでも相当びっくりなサービスでした。

暑い?

パリに入って以来ずっと涼しかったのに、ここ最近、急に気温が上昇しました。
7月23日から晴天が続き気温も26~27度ぐらいになっているそうです。
でも、今朝は朝から雷が鳴っており、久々の悪天候かもしれません。

2008年7月25日金曜日

男は地図を買わない

地図は現地で配っている無料の観光用地図を使います。
今のところ観光都市で無料地図が無かった所はありません。

モンサンミッシェルは町ではないので地図がありませんでした。
モンサンミッシェルを訪れた後、私はジェネという場所を目指して移動してましたが、
地図が無かったため場所がよくわからず困りました。田舎のため英語もあまり通じず
‘遠い’という情報だけゲットできました。旅に支障がでるので、
田舎をうろつく時は地図が必要です。

男は観光バスを使わない。町は歩いて制覇します。
他に出会った人達もそうしてた人は多かったので、普通かもしれません。

男は宿の予約をしない。YHの予約はインターネットで行う事が普通で、
10~15%の料金を事前にVISAで支払います。たぶん日本の
VISAカードで予約をすると手数料がけっこういるのではないかと思います。

飛び込みでいく場合、それなりのスリルが味わえます
パリで宿が見つからずインターネットカフェで2晩過ごしましたw

行列

日本人は有名店に行列を作ることで有名ですが、ヨーロッパの人も買い物のレジで
ずいぶんと長い列を作ります。夕方の6時頃になると、仕事を終えた人がたくさん
スーパーマーケットへやってきます。そのため、その時間帯は特に混みます。
レジの人はどれだけ行列ができようが気にしない様子で、時々同僚や客と
会話しながらぼちぼち捌いていきます。客はそんなレジの対応も特に気に留めず
並び続けます。
まぁ、好んで並ぶのと、必要だから並ぶのと違いがありますが、並んでいるときの
様子はフランスのほうがゆったりしている感じがします。

お金を使うのにも慣れてきました

シンガポールからパリへ入った後は物価の違いに戸惑い、お金を使うのが苦痛でしたが、
最近はこちらの物価に慣れてしまい、財布からお金が出やすくなりました。
ユースホステルをメインで使っているので、宿代が約20ユーロ毎日飛びます。
最初は10ユーロぐらいでステイできる場所はないかと探してたんですが、
見つかりませんでした。公園でテント生活できないかなと思って、
地元の人に聞いて見ましたが、勝手にキャンプするのは違法で、
警官によってはすぐに罰金を払わせるとのアドバイスをくれました。
さすがにお金をセーブするために罰金を払うことになるのは本末転倒なので、
今のところキャンプはキャンプできるところでお金を払ってやってます。

無料で泊めてくれる人を探すカウチサーフィンのサイトは常にインターネットが
使える環境にいないと連絡の取り合いができないため、今はまだ使う気がないです。

交通費も仕方ない出費で、“今は”抵抗なく出しますw
一応一番安い移動方法を見つける努力はしますが。

食費が最初のうちは大きな問題でしたが、最近は安くおなかを膨らます
手段をいくつか覚えたので、飢えずにやってます。

こちらの感覚に慣れてきたかどうかを計るのに一番わかりやすいのは、
トイレに行くのに50セント払うか、ひたすら我慢するか、だと思います。
まだ使ったことは無いですが、「使ってなるものか」という信念は無くなりました。

2008年7月14日月曜日

同じ歳のバックパッカー

ブリュッセルで出会ったコウ。同じブラリ旅なのだが、やり方が
私とはまったく違うw。期間は3ヶ月を予定していて、始めた時期も
ほとんど私と一緒。比較してみると面白い。

移動

私:行き当たりばったりで、その都度支払い。交通費が高いので移動に消極的になる。
コウ:ユーレイルパスを3ヶ月分買っているが、それ以外の出費も覚悟している。基本的に移動はタダ。
(3ヶ月のユーレイルパスは22万ほどなので非常にお得)

食事

私:基本パンをかじる。キッチンがあればパスタ料理を作る。
コウ:地元のレストランやホステルで食べる。節約とのメリハリもつける。

お酒

私:飲まない。飲みたいときはキッチンのあるところで缶ビール。
コウ:バーに飲みに行って、地元の人との会話を楽しむ。

荷物

私:テントをもっている。あと、ノートパソコンとカメラ。
コウ:iPodタッチ、携帯、ノートパソコン、カメラなどを持っている。

お金の引き出し

私:引き落とし手数料がもったいないので、常々Citibankを探す。
コウ:提携している銀行だったら、気にせず引き落とし。

と、まぁ、なんとも貧相な私の旅行がクローズアップされてしまうw

別れの後で

ノブと話していると部屋にまた一人日本人が入ってきた。
ブリュッセルYHドミトリー6人部屋で日本人率50%とは、
なかなか珍しいシチュエーションかもしれない。彼の名は
コウ、32歳。同じ歳の人に出会うとは思っていなかった。
旅行する前はIT系の仕事をしていたそうで、設計を主に
やっていたと言ったので、間違いなく大手だろうと思い、
聞いてみると、前の会社でよくお世話になっていた○○○
データ様出身の方だった。IT系の話で盛り上げるには
ちょっと場違いだったので、それ以上はあまり聞かなかった。
コンピュータとは待ったく別の仕事である自分の家の仕事を
継ぐ予定らしく、その前に旅行をしているのだそうだ。

今無職って日本人はこの旅行中に何度も出会うが、次の仕事が
決まっている人ばかりだ。私みたいに戻ってから何をするか
決まっていない人には1人も出会わない。

job、何をしようかな。

2008年7月13日日曜日

お別れ

3日間の短い旅が終わり、ベルギーのHellaという町に到着。
たった3日間でも、とても印象に残るものになった。パリから
この日まで、常に誰かに声をかけられたり、かけたりと
孤独になった日はほとんど無い。今回の3人組の中でも、
特にアンニャとはよく話した。彼女が一番語学に長けているし、
日本という国をよく知っているので、話がしやすかった。
お別れの時、両方のホッペに交互にチュっと3回する
ヨーロッパ式の挨拶をしてくれた。オーストラリアや
カナダでも経験がなかったので、少し驚いた。
私は旅の序盤でいきなり最高の出会いに遭遇したのかも
しれない。そんな事を思いながら、ブリュッセルまでの
電車に乗りこんだ。

ブリュッセルのユースにたどり着くと、満室だったので、
2つ目のユースに。重たい荷物を抱えて6kmほど歩いた。
その疲れからか、別れた後で気落ちしてか、その日は何も
する気になれず、しばらくベッドの上でごろごろしていた。
夜9時頃、気晴らしに外を歩いてみたが、あまり効果はなく、
結局やる気が戻るまで3~4日かかった。なので、
ブリュッセルYH2日目に出会ったノブという日本人と話す時、
変にぎこちなくなってしまい、自分で自分が可笑しかった。

2008年7月11日金曜日

D-DAY

一般的にたぶん知られていると思うが、私は無知なため初めて
この場所に来て知った。D-Day、それは第二次世界大戦で最大の
イギリス、アメリカ、カナダによるノルマンディー上陸作戦で、
この上陸を機に軍は一気にベルリンへと迫り、ドイツを撃破する。
これらのキーワードでピンと来ない人はプライベートライアンと
言えば聞いたことがあるのではないだろうか。私はまだ見たことが
無いが、最初の15分間ぐらいが、上陸作戦中の激しい戦闘を
描いているらしい。

私は3人に連れられて、アロマシュという所に行った。そこは
美しいビーチが何キロにも広がっていて、静かで落ち着いた
感じのする所だった。砂浜に大きな古いコンクリートの塊が
点在し、2kmほど沖にも同じように大きなコンクリートの塊が
連なって存在していた。後で知ったが、これらは上陸作戦の時に、
防波堤として沈められたコンクリートの塊で、今もそのまま
にされているらしい。

博物館に入ると、上陸作戦の全容を順序だてて説明してくれる
映画や(日本語あり)、ミニチュア模型、記念品などが展示
されていた。

この上陸作戦はアメリカを抜きにしては語れないほどアメリカが
大きくかかわっているのだが、この地に戦いに来たアメリカ人は
いったいどんな思いで関わっていたのだろうか。母国から遠い
この地へ来て、ヨーロッパ人のために戦う事が、彼らにとって
どれほどの意味があったのだろう。何のために生き、何のために
死んでいくのか、私に出せない答えを彼らは持っていたのだろうか。

私が色々と考えていると、アンニャがD-DayのDVDとプライベート
ライアンのDVDをプレゼントしてくれた。私が考え込んでる姿を
見てプレゼントしたくなったそうだ。この旅では遠慮はしないと
決めているので、ありがたく頂戴した。

次に向かったのはアメリカ兵士のお墓。D-Day後、この地で
亡くなった兵士の数は9300人に上るそうで、ノルマンディー
コーストの一部にアメリカが所有する土地があり、そこに
亡くなった全ての兵士の墓が存在する。墓は階級に関係なく
皆同じ扱いで、クリスチャンには白い十字架、ユダヤ人には
十字架ではなく星の形のお墓が立てられていた。これ等の
お墓は寸部の狂いも無く縦、横、斜めに綺麗に並べられて
おり、一種のアートのように美しい場所だった。

お墓を見た後は、併設されている記念館へ行ってみた。
セキュリティーが厳重で、入り口でまず荷物チェックを
行う。チェックは空港で見かけるアレで行われ、怪しい事が
あれば2~3人いる警備員が対応する。中に入るとほぼ全ての
スペースに警備員が1人いて、怪しい人物がいないかチェック
している様子だった。こういった場所だけに、テロが
行われるのを未然に防ぐためなのだろう。

中では兵士一人一人をクローズアップした映画の上映や、
戦争中の出来事、ドイツ軍の侵略についての解説などを
見ることができた。アメリカ領有地のためか、ほとんどが
英語で、フランス語がサブになっていて、久々にフランス語
の縛りから外れ少しうれしかった。

これ等の土地を訪れ、第二次世界大戦の事について少し興味が
出てきたので、アンネの家、ベルリン、アウシュビッツの
3ヶ所に行ってみる事に決めた。

2008年7月10日木曜日

荷物詰め込み

Genesでの3日が過ぎ、いよいよ詰め込みの日。前日までにリンから
とりあえず次の目的地であるBayuexまでは乗せてくれると約束して
くれたので安心。詰め込みの際はリンが全てを牛耳り、他の者は
荷物に触ってはならない。リンが荷物と私が乗るようだったらいいよ
と言っていた理由が良くわかった。すごい荷物の量だ。車は小さく
ないのだが、荷物がいっぱいいっぱいで、確かに私が乗れるかどうか
怪しい感じだ。クーラーボックス、旅の資料、3人分の着替えなどの
荷物を詰めたかばんやワインなんかもある。やっと全てを乗せると、
完全にバックミラーでは後ろが見えなくなっていた。

バックミラーで後ろが確認できなくて、リンが少し不機嫌だ。
まぁ、仕方が無い。

Bayuexまでの道のりは高速を使えばあっという間だが、リン達は
あえて田舎道を進む。道案内はケースと名づけられたナビが担当。
ケースは手のひらサイズの小さなナビで、ものすごくシンプルに
道のりを示す。たぶん、自転車でも使えるようにしているのだろう。
時々ケースは曲がるべき角を過ぎてから曲がれとか、分岐の案内が
判りづらかったりするのだが、彼女らにするとご愛嬌の内らしい。

3時間ほど田舎道を走り、Bayuexへ到着。この日はどこぞの
ミュージアムにいったり、カルバドスというお酒を知ったり、
タペストリーを見たりしたが、一番印象に残ったのはストンプと
いう名のベルギー料理をご馳走してくれた事だ。超簡単な料理
だそうで、普段はもっと色々なものを他に添えるらしい。
ストンプは茹でたジャガイモをすり潰し、後はいろんな物を混ぜる。
ベーコン、ニンジン、キュウリのでっかいやつとかが入っていた。
まぁ、何でも入れて良いらしい。

食後、明日からの行動について話した。とりあえずこのまま乗せて
くれる事に問題はないそうなので、ベルギーまで一緒に行動する
ことになった。こちらも幾らかガソリン代を出さねばと思い、
10kmで1ユーロ支払うよと申し出た。ベルギーまでが単純に400km
ぐらいだろうと思い、40ユーロぐらいを計算して、10kmで1ユーロ
とした。ちなみに、フランスでガソリン給油中に値段をチェック
したところ、1リットルがだいたい1.50(約250円)だった。

4日後までの行動が約束され、とりあえず一安心。

2008年7月8日火曜日

モンサンミッシェルへ再び

アンニャとモンサンミッシェルツアーオフィスに行ってみると、ツアーは
16時から開始されるらしい。16時って、、潮の関係なんだろうな。片道
7kmで往復で5~6時間だそうだ。

時間まで近所をうろついたり、昼飯を作ったりしながら適当に暇を潰す。

16時がきていよいよモンサンミッシェルへのウォーキングツアーが開始。
Genesのビーチから7kmあるにもかかわらず、遠くにモンサンミッシェルが
見える。すごいねぇ。でかいねぇ。モンサンミッシェル手前にトンブレン
(Tombelaine)という岩場がある。そこで一回休憩するらしい。グーグル
地図で見てみると、地図には載ってないが、航空写真では確認できる。
モンサンミッシェルも最初はトンブレンみたいな、ただの岩場の島だった
のだろう。

てくてくと歩いていく。1人だと退屈だったかもしれないが、アンニャと
話しながら歩いているとまったく時間が気にならない。初めてヨーロッパ
の人とじっくり話すことができる機会だったので、話は尽きなかった。
アンニャは小学校の先生をしている事もあり、話題は学校の事についてや
国の問題についての事が多かったかもしれない。

モンサンミッシェルに行ってみれば?と提案してくれたNさんありがとう。
おかげで思いがけない出会いがありました。

ウォーキングツアーはとにかく歩いて歩いて歩いて歩く。そんなツアーで、
ガイドは時にまっすぐ、時に斜めに安全な道を進んでいく。途中で簡単に
足が埋まる砂地に立ち寄ったりしたのが特別だったぐらい。

一番印象的だったのは、地形の事ではなく、ツアー参加者の自己責任の
問われ方。年の頃が70~80ぐらいのおばあさんが参加していたのだが、
歩いている途中にある、潮が引く時にできる川のようなところを渡る際に、
結構流れが強くておばあさんは立ち往生をしてしまった。ガイドは渡るのを
待っているが助けに行く様子はなく、身内以外だれも手を貸そうとしない。
そう、誰も同情していない様子なのである。そして、ガイドはやっと川を
渡ったおばあさんに、これ以上進む自信がなかったら、ここで待つように
指示したらしい。もちろん砂の上なので、イスもなく、待つとしたら
立ったまま4時間ぐらいは待つことになる。なんとも過酷に思えたが、
ツアーに参加する際に承認しているので仕方が無い。自己責任。

ひたすら歩いているうちに、遠くに小さく見えていたモンサンミッシェルの
目の前まで来た。30分の自由時間があり、中を見て回れるが、前日に訪れて
いたので、とりあえず一周して休憩した。前日との大きな違いは裸足で
歩いていたことだろうか。足裏マッサージをしているような痛さはあるが
歩けないことはない。モンサンミッシェルを初めて裸足で歩いた日本人
だったかもしれない。わけないか。

帰りはさらにあっさりで、潮もほとんど引いていたため、川もなくなっていた。
ガイドもスタスタと先のほうへ行ってしまい、私たちは夕方の陸地の景色を
楽しみながらそれぞれのペースで歩いて戻っていった。

2008年7月7日月曜日

GenesYHにて

GenesYHに来た理由はただ一つ。モンサンミッシェルへ徒歩でいけると聞いたから。
徒歩ですよ。あの砂地を徒歩で行く。いいねぇ。
レセプションで聞いたところ、1人で勝手に行くのは危険だそうで、
ウォーキングツアーがあるからそれに参加するといいとアドバイスされた。
モンサンミッシェル付近で日本人が1人死亡なんてニュースが流れては末代までの
恥なので、ツアーに参加することにした。

必要な情報も得て、特にする事も無くなり外に出てみると、ベンチでおしゃべりを
楽しんでいる女性3人組がいて、建物から出てきた私を見て、陽気に
「Hey, you can sit here.」と誘ってくれた。彼女らは夏期休暇の途中で2週間の
旅をしているらしく、Genesで3泊した後フランスの北岸を回ってベルギーに戻る
とのこと。ベルギーと聞いて即反応してしまい、一緒に乗せて行ってくれないか
頼んでみた。すると、乗って来ているのは小さな車なので荷物がたくさん乗ってる
から、もしあなたの荷物が乗るようだったら乗せてくれると言ってくれた。
3人の一番年上がリン。年は40ぐらいだろうか。3人のリーダーで車のパッキングは
彼女が仕切る。車もリンの物で彼女がすべての実権を握っている。リンの友達だと
言っていたのがキルストン。ルの発音が異常に難しく、名前を呼ぶのに苦労して
いると、職場ではキゥイーと呼ばれているからそれでいいよと声をかけてくれた。
キルストンは27歳でプレス関係の仕事をしているそうだ。ジョーク好きでいつも
笑いを誘っていた。リンの従姉妹になるのがアンニャ。このグループに馴染めたのは
アンニャのおかげ。彼女は日本で一人旅をしたことがあり、四国88ヶ所巡りを
体験するために、少し徳島にも入ったらしい。
色々みんなで話しているとアンニャは次の日モンサンミッシェルへのウォーキング
ツアーに参加する予定だったので、一緒に行くことにした。アンニャの母国語は
フラミッシュ(ベルギーのオランダ語)で、フランス語にも長けていて、英語も
私と同じぐらいのレベルなので、一緒に行動できるのはとても心強い。
24時ぐらいまでにぎやかに話して、その日の長い一日が終わった。

Genesへの道

レンヌYHでモンサンミッシェルからGenesYHまでの行き方は聞いておいた。
バス-バス-バスかバス-電車-バスの組み合わせで行くことができるが、
バスだと1枚のチケットで現地まで行けるので、そのつもりで予定を立てていた。
「Genes行きのバスは早く終わるので、17:00までに乗れ」と助言を受けていた。
まずは一つ目のバスでPontorsonという場所に到着。次のバスを待つことに、
と思ったが、ここで既にバスの時間を間違えている事に気がついた。
Pontorsonを17:00と思っていたのが、Avranchを17:00だったのである。
そうPontorsonからAvranchesまでのバスがもう無いのである。そして、
電車はというと、次の便が19:00だとか。現在の時刻は17:00。
2時間も時間があるので、歩いてみることにした。途中でどのぐらい遠いか
人に聞いてみるも全く英語が通じず、30分ほど歩いたところで歩道が無くなり、
少しいやな予感がする。歩道がないので、高速の脇の草道を歩くことに。
1時間歩いたところでやっとAvranchesの看板があり、残り19kmだと悟る。
完全にしくじった。
落ち込んでる暇は無く、ここで脳が活発に働く。選択の時間である。
初のヒッチハイクか、戻って電車かの選択に5分ほど悩み、既に予約を入れて
しまったことだし、確実性を取って、戻って電車に乗る事を選んだ。
1時間かけて駅に戻ると5分ほどで電車が来て、30分ほどでAvranchesに到着。
普段何気なく使っているが、改めて交通機関の便利さに感動した。
ここからはバスが終わっていることは確かで、駅から出てみるとタクシーすら
見当たらない。だいぶ田舎に来たらしい。とりあえず、方向もわからないので、
他に降りてきた乗客に聞こうと思い、3人で歩いている家族らしき人に声をかける。
その中の息子が英語を少し話せ、Genesは大体10km西に歩いたところにあるとのこと。
Genesと聞いて家族揃って驚いていた様子だが、10kmなら何とか歩けるかなと思い、
お礼を言って別れようとしたところ、お父さんが乗せて行ってくれると言ってくれた。
ここで遠慮はしていられないので、ありがたくご好意を受け、乗せてもらった。
ラッキー♪。
モンサンミッシェルを遠くに眺めることができるポイントを2箇所ほど立ち寄ってくれ、
YHまで送ってくれた。記念に9写真をパッチリ。田舎の人はやさしいなぁ。

何事もなかったようにYHのレセプションで手続きを済ませ、無事テントを張り
一息ついた。Genesへの道は自分のうっかりで大変な道のりになってしまったが、
最後は無事着くことができた。18時頃は途方に暮れてたのがうそのように、
20時にはYHでテントを張っていた。

そしてこの後、思い出に残る3人組と出会う事になる。

KATSUKOさんとモンサンミッシェルへ

前日出会ったKATSUKOさん、旅の途中で足を痛めてしまったそうだ。原因は
ほぼ間違いなくあの重いバックパックのせい。なんでも資料やら食料やらたくさん
持ってきているらしく、重量は20kgぐらいだとか。かなり痛いらしく、旅を続けるか
どうか悩んでいた。そこで、必要ない荷物を郵便で送ってしまってはどうかと
提案してみた。KATSUKOさんにはそんな発想は無かったらしく、乗ってきた。
モンサンミッシェル行きのバスは9:30と11:30で、郵便局が8:30に開く。
まぁ、間違いなくバスには間に合うだろう思っていたところ、郵便局の人に
英語が通じなかったり、記入が必要な書類に英語の翻訳が無かったりで、
10:30ぐらいになんとかすべて完了。すぐにバス停へ向かった。
ちなみに2箱で送ることになり、総重量9kgの料金は合計で65ユーロ。
だいぶ軽くなったはずで、KATSUKOさんも喜んでたなぁ。

バス停に着くと丁度乗り込み始めたばかり。レンヌではほとんどアジア系の人に
会わなかったけれども、バスのアジア人率50%越えてた。日本人が最多数。
モンサンミッシェル人気ですな。

バスに揺られて2時間、見えてきたモンサンミッシェルは蜃気楼のように前方に
聳え立ち、周りの雰囲気に対して明らかに異物。フランスの昔の建物は
なんでもとにかくでかいが、よくこんな田舎にこれだけの石材を運んできたなと
関心してしまった。

ほどなくバスはモンサンミッシェルの目の前に到着。やはりでっかい。
そして、駐車場もでかい。キャンピングカーで来ている人達もたくさん。
中は観光客で賑っており、狭い路地を窮屈に歩いて回った。
建物はでかいが、20分ほどで1週できる。ある程度の高さから辺りが見渡せ、
天気が良いときの眺めは凄くきれいだった。

食事をしたり、お土産を買ったりする気が無ければ、モンサンミッシェルで
できる事はさほど多くない。見るだけなら1時間ほどで十分だろう。ただ、
中にある公園でゆったり景色を楽しみながら、ピクニックするのもなかなか
いいもんだ。モンサンミッシェルでピクニック。

この日、宿をGenesという町のYHに取っていたので、KATSUKOさんとは
ここでお別れ。32歳で一人旅行している日本人は珍しいかなと思っていたが、
60歳の女性が1人旅をしているのに比べたら、それほどでもないだろうな。

2008年7月6日日曜日

We love 城島

レンヌYHでシアトル出身のUSガールと話した際、城島について聞いてみた。
城島はイチローと比べると何かと陰が薄い印象だし、最近では成績も
それほど良くない。正直、地元ではあまり人気がないんじゃないかと思っていた。
ところが、意外にも結構なじんでいるらしく、結構人気があるとか。入団した
当初は通訳を通してしかインタビューに答えなかったが、最近では英語で答えて
いるらしい。

物価

パリの街は物価が高いです。東京都比べてですが。
私が東京での安く過ごすための手段を知っている
ためかもしれませんが、パリでは安く過ごす手段が
ありません。約20%の消費税が高く感じさせる原因
になっているのかもしれません。

この間マクドナルドに行ってみました。一番安い
セットメニューで4.5ユーロ(約750円)でした。
100円あったらなんて言ってる日本がうらやましい
です。

そもそも1ユーロが168円って相場が本当に
成り立っているのかと。

ネットカフェ1時間の相場は3ユーロ。長時間の
利用や夜の利用で割引が利くので、今は1.5ユーロ
でネットカフェしてます。利用時間帯が22時~10時
8時間分まとめて購入といった条件で。

一番お金がかかるのはホステルなので、テントさえ
張れればなんぼか楽になるんだけどな。

そういえば、去年、奈良や京都を旅行している時に
ヨーロッパからの旅行者が多かったのはこういう事
だったわけですね。

美しきパリ、だが

美しい町です。街の雰囲気というのは、建物から受ける印象が
強いんだなと感じてしまうほど、パリの建物は美しい。
全体的に統一感があり、秩序が保たれた創りはより美しさを
際立たせている気がします。
私が初めて足を踏み入れた市街地は、パリの中心からは東に
2~3kmぐらいの地点で、バスティーユ広場の少し東側になります。
そこから、ルーブル美術館、凱旋門、エッフェル塔、オルセー美術館、
ノートルダム大聖堂と歩き、元の場所まで戻ってみました。
観光地やそうでない場所にかかわらず、ずっと美しい町並みが
続きます。

この美しい建物を見る目線を下に下ろすと今度はゴミのすごさに
気がつきます。観光地はさすがにさほどでもないですが、
ゴミ、タバコの吸殻、鳥の糞、犬の糞、馬?の糞がたくさん
落ちてます。パリの街にはゴミ箱が各所に置いてありますが、
それでもそのままゴミを捨てる人が多数いるようです。
また、犬の散歩をする人を見ても、糞を片付けるための道具を
持っていません。タバコも自分の店の前に平気で捨てます。

美に対する視点がいろいろあるんだなと感じます。
ところ変われば考え方も違うと。

街中には清掃車が毎日走ってます。どのぐらいの割合で
道路の清掃が進むのかはわかりませんが、道はすぐに
汚れてしまうようです。

レンヌにて

パリを出て、何のプランも無いままレンヌに着き、さてどうしようかと考えていた。
時間はお昼の12時ぐらいで、このままモンサンミッシェルへ行くか、宿を探すかの2択。
考えながら、駅から出るべく歩いていると、「日本人ですか?」と呼び止められた。
ちょっと驚いて振り返ると、山登り用のバックパックを背負ったおばさんがいたw
体格に対してバックパックがだいぶ大きく、いかにも重たそうだった。
なんでも、彼女も1人旅行の途中だそうで、これからレンヌのYHへ行くのだが、
ガイドブックの地図がわかりづらかったため、詳しく場所をしらないか聞いてきたらしい。
少し話しているとと、、次の日にモンサンミッシェルへ行く予定だそうなので、
これも何かの縁と思い、レンヌYH宿泊を決め、一緒に行動することにした。
彼女はKATSUKOさんといい、60ぐらいの方。だいたい僕の母ぐらいの年だ。
独身で、仕事も引退し、気ままに旅をしているらしい。英語力は少しあるが、
意思疎通を図るには少し苦労する感じである。

ガイドブックの地図を見てみたが本当にわかりづらかったため、書いてある文章に従う事にした。
まずはバスで行くべくガイドブックが示す通り、18番のバスを探す。しかし、ガイドブックには
18番に乗れと書いてあるのに、駅前からは18番のバスが出ていないのである。
意味がわからず、地元の人2~3人に声をかけた。みんな親切に対応してくれるのだが、
英語が通じずバスでの行き方がわからない。仕方が無いので、地下鉄で行くことに。
地下鉄で切符を買うときに、レンヌの切符は地下鉄とバスの両方で使え、
1日券が2ユーロで買えると教えてもらった。小さな町になると運賃が安い。
最寄駅に着いた後は18番バスがあり、苦も無くYHまでたどり着いた。

レンヌの人達はすごく親切で、みんな笑顔で答えてくれる。笑顔で答えてくれると、
不思議と旅のエネルギーがプラスされる。

レンヌの町は小さく、市街地周辺は2時間ほどで制覇できた。旧市街地が
少しかわいらしい町並みで素敵。とても素朴です。一番印象に残ったのは
町ではなく、人の良さ。YHでの対応の良さは、今のところNo.1。
住むならこういう町がいいかな。

2008年7月5日土曜日

コミュニケーション

フランスに入ってから結構大変です。当たり前ですが、言葉がわかりません。
英語ができる人が多いので、話す分には困らないですが、私がアジア系のため、
最初はとりあえずフランス語で話しかけてきます。
せっかくなのでフランス語で返したいですが、ボンジュール、メルシーしか
知らないです。しかも、とっさに答える時には、Thank youと言ってしまいます。

サインボードなどには少しは英語が書かれているかと思ったんですが、ほとんど
英語表記はありません。まぁ、普段の生活では困らないですが、チケットを
買ったりする際の間違えてはならない時などにすごく神経を使います。英語の
説明を付けて欲しいと思ってしまいます。

あれ、考え方がアメリカ人に近づいている

2008年7月1日火曜日

Time to go

Waiting for the Singaporian airline to make an announcement for passenger to board. It`s coming very soon. Looks like there are very few asian people on this flight. Most of them are whites (sorry about my English).
Last flight was bad for me. It was very cold that I had really bad running nose. This time, I prepared better. Hope my condition will be good on the air.

It`s now time to go. Next message would be from the airport in Paris.

you want couchserfing?

One morning, a German girl at the hostel gave me an advice on making my trip cheaper. She said there is a site called couchsurfing.com which you can find a free couch (free stay) in all over the world. She used it when she came to Japan and stayed Naruto, Tokushima. Mmm... tempting using it while I`m travelling...

Would you use it?

http://www.couchsurfing.com