ADSENSE

2011年7月27日水曜日

次の人生の旅へ

ヨーロッパから帰国後、数ヶ月フリーでプログラマーをやり、
青年海外協力隊に参加することになりました。

2010年3月から2012年3月まで。こちらのブログをどうぞ。
http://xjsako.blogspot.com/

2009年1月14日水曜日

回った国の数

そういえば、今回の旅で訪れた国の数を数えていなかったので、
カウントしてみたいと思います。

フランス(パリ、レンヌ、モンサンミッシェル、バイユー、ボロニュー、ストラスブール、リヨン、ニース)
ベルギー(ブルッセル、リエージュ、アントワープ)
ルクセンブルグ
オランダ(ドルドレクト、キンデルダイク、ロッテルダム、アムステルダム)
イタリア(ミラノ、ブリンデシ、アルベロベッロ、バーリ、ローマ、ジェノア)
スイス(ジュネーブ)
スロバキア(ブラティスラバ)
オーストリア(ウィーン)
ポーランド(クラクフ、ワルシャワ)
ドイツ(ハンブルグ、ベルリン、ケルン)
デンマーク(コペンハーゲン)
チェコ(プラハ)
リトアニア(降りずに通過)
ラトビア(リガ)
エストニア(タリン)
ハンガリー(ブダペスト)
クロアチア(ザグレブ、ザダル、スプリット、ドブロブニク)
ボスニアヘルツェゴヴィナ(モスタル、サラエボ)
モンテネグロ(ブドバ、コトル)
アルバニア(シュコーデル、ティラナ、ベラート)
マケドニア(オフリド、スコーピア)
コソボ(プリシュティナ)
セルビア(ナビパザル、ベオグラード)
ブルガリア(ソフィア、ヴェリコタルノボ)
ルーマニア(ブカレスト、ブラショフ、シビウ、コンスタンツァ、マンガリッツァ)
トルコ(イスタンブール、カッパドキア、イズミル、ボドルム)
ギリシャ(コス、ロドス、サントリーニ、アテネ、メテオラ、イグメニッツァ)
モナコ
スペイン(バルセロナ)

以上の29ヶ国でした。思ったより多かったですね~。ちなみに、通過しただけの
リトアニアや、まだ全ての国から承認を受けていないコソボなんかも入ってます。

行きと帰りに寄ったシンガポールを含めると丁度30ヶ国。かなーり急ぎ足で
移動していたので、正直もう一回行きたいです(笑

ユーチューブ禁止

トルコに入国した時の事。宿で荷物を下ろし、ユーチューブでも
見ようかとアクセスしてみると、表示されたのはトルコの文字で
書かれた2行の文章だった。明らかにユーチューブのページではない。
ページの雰囲気からすると、「アクセスできません」的な事が
書かれているのだろうと想像できる。宿によっては負荷がかかる
ユーチューブを嫌い、アクセスできないようにしている所も
あったので、この宿は禁止しているのだろうとすぐに諦めた。

数日後、他の宿に移動して再びユーチューブへアクセスしてみると、
また前に見た2行の文章が表示されている。この宿も禁止なのか?
と思ったが、ちょっとこれはおかしい。宿によって禁止されて
いるならば、今度は違ったデザインの禁止ページが表示されるはずだ。

ひょっとして。。。

宿の人に確認するとやはりそうだ。トルコ国内からのユーチューブ
へのアクセスは制限されえているらしい。これはちょっとした
驚きで、新鮮な体験だ。これまでたくさんの国を回ってきたのに、
トルコで初めてこの経験をするとは思っていなかった。

まっ、他の動画サイトは見えるんだろうけど。

2008年12月12日金曜日

ただいま

12月9日に無事日本へ戻りました。半年ぶりの日本ですが、
いざ戻ってくると、それだけ離れていたという実感はあまり
ありません。

旅行中は色々困難な事がたくさんあるのではないかと覚悟して
いたのですが、思った以上に平和な旅となりました。他の
旅行者の中には強盗にあったりされた人もおり、私は運の良い
人間なのかもしれません。

ヨーロッパへ行ったのは事実なのですが、不思議とそれらの
思い出はすべて夢であったかのような錯覚に陥っています。
昨日が6月22日(出発前日)で長い夢を見た後に12月9日になった、
そんな気分です。

旅行の最後はドタバタと移動しながらの旅行となってしまい、
日記がおろそかになってしまったので、またゆっくりと
思い出しながら書いていきたいと思います。

旅行記ブログは旅行についてだけの投稿しか考えていないので、
ミクシ指定の日記からは近々外す予定です。

2008年11月18日火曜日

帰国について

帰国日は12月9日になりました。確定です。

現在はアテネにいてこれから

ギリシャ
 メテオラの修道院
イタリア
 アルベロベッロ
 ナポリ
 ローマ
 ???(未定)
フランス
 ???
スペイン
 バルセロナ

と移動します。バルセロナから12月2日のフライトでシンガポールへ行き、
シンガポールから12月9日のフライトで日本となります。

エーゲ海はきれいでした。あんな場所もあるんだなぁ~と変に関心して
しまいました。長く暮らすと面白みがなくなってしまうような、そんな
所なのかもしれませんが、また行ってみたいです。

2008年11月10日月曜日

これからエーゲ海

これからトルコのボドルムよりコス島へ、その後ロドス島、サントリーニ島、
そしてアテネへと移動します。今でも暖かいこの地ではキャンプができれば
キャンプをしていく予定です。そのため、暫くネットにつなげない状態が
続くかもしれませんが、ご心配なさらないでください。

2008年10月29日水曜日

イスタンブールの旧市街地を歩くと

観光客、特に日本人がイスタンブールの旧市街地を歩くとすぐに声を
かけられます。アジア人であれば「こんにちは」、それ以外であれば
「Hello」と、数十メートル歩く度に聞こえてきます。それを聞いて
振り返えれば、お約束の世間話の後、たいていツーリストオフィスか
絨毯屋に連れて行かれます。行った先ではチャイを出してくれて、
ツーリストオフィスではツアーの説明、絨毯屋では絨毯についての
ウンチクを語ってくれます。冬で暇だったのもあるかもしれませんが、
私が連れて行かれた先では、本当にじっくり世間話や絨毯の説明を
してくれました。最終的な局面で買う、買わないの所になると、
彼らはかなり一生懸命押してきます。そして、買わないと伝えると
中には怒り出す人やあからさまに嫌な顔をして態度が変わる人が
多いです。こちらからすれば声をかけられたから、話をしてたの
ですが。

他にも、ベンチに座っていた際にトルコ人に話しかけられて会話を
した時の事ですが、旅の話になり、貧乏旅行をしていると伝えると、
突然「なぜお金を持たないで旅行をするんだ!」と怒り始めた事が
ありました。彼の親戚がキリムを売っているらしく、その勧誘を
したかったはずが、私という外れくじを引いたため怒り出したのだと
思います。

これは珍しいパターンですが、ある日宿を探してきょろきょろと
していると、トルコ人に話しかけられました。握手を求めてきた
ので握手をすると、手を握ったまま10mぐらい離れた彼のファースト
フードレストランまで連れて行かれました。そして、食事をする
気も無いし、お金も持ってないと言っても、構わず何かを作り
始めます。再三お金が無いと伝えると「I don't believe you」と
言ってきたので、最後にお金を取るつもりなんだとわかり、彼が
厨房にいる間に店を出ました。そして、隣に全く同じようなお店が
あったので、そちらに入って隣の人はどういう人なのかと聞いて
みると「彼はクレイジーだから気にするな」と教えてくれました。

イスタンブール旧市街地の客引きは厚かましい奴が多いので皆さん
気をつけましょう。